伝統文化に多様な現代のエッセンスをプラス。令和に生まれた新たな“茶室”

駅から数分も歩けば輝く海岸にたどり着き、天気がよい日には水平線の先に富士山を望めることから、リゾートやマリンスポーツの地として高い人気を誇る神奈川県・逗子。そんな“海の街”としてにぎわうこの街でも、少しずつ、おいしい日本茶が親しまれ始めています。

「逗子はどちらかといえば欧米色が強い街。開拓の余地があると感じたからこそあえて、この地を選びました。日本茶にあまりなじみがない方も、もちろんよく飲まれる方も、いろいろな方においしいお茶をお届けできればと思っています」

そう語るのは『逗子茶寮 凛堂 -rindo-』の店主・山本睦希さん。雪月輪ニ利休竜胆の家紋が描かれた大きな暖簾をくぐれば、その先に広がるのは落ち着いた装いの現代風喫茶室。店内には潮の香りに代わって茶を焙じる茶香炉の香りが満ち、重厚感ある一枚杉のカウンターが穏やかな一室にぐっと厚みをもたらし、趣ある和の空間をつくり出しています。

京都府出身だという山本さんが、ここ逗子に『凛堂』をオープンしたのは2021年5月のことでした。掲げたコンセプトは「現代茶室」。古きよき茶の伝統文化に、現代の多様な技術や思想を調和させることで表現する、新しい茶室のかたちです。

「茶室は、お茶を飲む場であると共に魅せる場でもあります。味づくり、メニュー、設え、おもてなしの方法など、ここで触れることのできるすべてを『現代茶室』のフィルターを通して伝えることを大切にしています」

山本さんがここで目指すのは、初心者にも玄人にも喜んでもらえる日本茶喫茶。学んできた茶道や煎茶道の道に則りながらも、トレンドや遊びの要素をバランスよく溶け込ませ、ワクワクするような新たな日本茶の一面を届けたいといいます。厳選した生産者の茶葉を使ったペアリングやアレンジティーはもちろんのこと、お茶を淹れる所作を楽しむライブ感も、『凛堂』が現代茶室として提供する日本茶の楽しみの一つです。

「店構えは一丁前ですが(笑)、あくまで“現代茶室というスタイルでお茶を喫する”喫茶です。私も積極的にお話しますので、どうぞ肩肘張らずにお越しください」

ソムリエ時代に気付かされた、日本人としてのあり方

『凛堂』には、昼の「日本茶喫茶」と夜の「日本茶バー」という2つの顔があります。

「ファッション要素が強すぎると茶の道から外れ、作法ばかりが前に出るとかしこまってしまう……。うまく調和する落とし所を常に探っている」と山本さん。
「ファッション要素が強すぎると茶の道から外れ、作法ばかりが前に出るとかしこまってしまう……。うまく調和する落とし所を常に探っている」と山本さん。

実はかつては、東京銀座の会員制フレンチのソムリエやプロのバーテンダーとして活躍していたという山本さん。日本茶へ舵を切るきっかけになったのは、10年ほど前、研修先のフランスで同い年のソムリエにかけられたひとことでした。

ーー “フランス人はフランスワインこそ一番だと絶対的な自信を持っているから、どんなときでも自国のワインを一番に勧める。でも日本のフレンチやイタリアンレストランでは、日本人なのに驚くほど堂々とフランスワインを勧めるよね。不思議でならないよ”ーー

「するどいところを突かれた」と苦笑いしつつ、何の疑問も抱かずに他国の飲み物や歴史文化ばかりを学び、お客様に伝えてきたことに気付かされた瞬間だったと山本さんは振り返ります。

長くお酒の世界に身を置いた経験を活かしペアリングにも注力。スパイスやアルコールを使った茶菓子は自家製。
長くお酒の世界に身を置いた経験を活かしペアリングにも注力。スパイスやアルコールを使った茶菓子は自家製。

帰国するとすぐ、山本さんは野菜、米、ワインの原料であるぶどう、お茶など、さまざまな日本の生産者のもとへ。その度に、自分がいかに日本の食文化や歴史について無知であったかを思い知らされ、「いつか自分で店を持つときには日本文化を表現する店にしたい、日本人に・自分にしかできないサービスマンになりたい」という想いを強くしていきました。

各地の茶と果物で味わう「旬果茶」には、“一歩先”の楽しみを添えて

こうして生まれた現代茶室・『凛堂』を象徴するメニューの一つが、「旬果茶(しゅんかちゃ)」です。四季折々の日本の旬の果物と日本各地の茶葉をかけ合わせた、月替りの季節茶。

消費者と生産者が直接つながるきっかけになればと、茶葉はしっかりと紹介。メニューには生産者の名前も明記。
消費者と生産者が直接つながるきっかけになればと、茶葉はしっかりと紹介。メニューには生産者の名前も明記。

近年は多様な日本茶のアレンジが広がりを見せ、果物と日本茶の組み合わせはけっしてめずらしいものではなくなりました。しかしそれでも「ストレートのお茶ではリーチできないお客様がいる」と、日本茶になじみがない方へのアクセスポイントとして重要な立ち位置だと山本さんはいいます。

「日本茶を飲み慣れていない方は、やはりこういった華やかなアプローチを喜んでくださいます。ただ、日本茶に詳しい方にも十二分にご満足いただけるよう、単にユニークな味や香りのアレンジティーで終わるのではなく、“もう一歩先”の楽しみや驚きを添えるよう努めています。そこは、私の腕の見せどころですね(笑)。今、全国には日本茶を魅力的に届けてくださる淹れ手さんや茶師さんがたくさんいらっしゃいますから、私にしかできない魅せ方ができれば」

この日淹れてくれたのは、宮崎県産の金柑と宮崎県五ヶ瀬の萎凋釜炒り製「みなみさやか」を合わせた、ある冬の旬果茶。

まずは、金柑をスライスするところからスタート。丸2粒分のフレッシュな金柑と、みなみさやかの茶葉をお客様の前に披露し、見て・香って・触って・時には少し茶葉をつまんで食べるなどして楽しんでもらったのちに、お茶として淹れていきます。

続いて山本さんは柄杓を手に取ると、茶釜から湯を汲んで金柑と茶葉を入れた急須に注ぎ入れ、金柑の香りをまとった茶を今度はワイングラスへ。そして最後に取り出したのは、レモンです。断面に砂糖をのせて少しずつ炙り、甘く香ばしい香りを立てながら出来上がった「レモンべっ甲」をグラスの脇にあしらえば金柑と微発酵茶の「旬果茶」の完成。みなみさやか特有の高い香気と、金柑のさわやかさ、そしてレモン香るべっ甲の香ばしさを愉しむ、なんとも香り高い一煎に仕上がりました。

べっ甲をグラスに落とし、溶かしながらいただく一杯。
べっ甲をグラスに落とし、溶かしながらいただく一杯。

和服に身を包み、目の前のひとりひとりのお客様を一杯のお茶でもてなすその姿はまさに、茶道・煎茶道の道。カウンター越しに、柄杓や茶釜をはじめさまざまな茶器を使いながらお茶を仕立てていく所作の凛とした美しさといったらありません。しかし一方で、どこかバーテンダーを思わせる気品ある格好良さを感じさせるのも、現代茶室としての確かな実力といえるでしょう。

「こうしたパフォーマンスはいきすぎると、茶道・煎茶道の作法や侘び寂びの精神から外れかねないので、頃合いが本当に難しくて、今でも探り探りです。お酒の知識や技術も取り入れながら、味・香りにプラスアルファの驚きをお届けできればうれしいですね」

「日本茶カクテルもご提供していますが、『凛堂』の主役はあくまでお茶。お酒を飲む人が、お茶を飲む人を羨むようなメニューづくりを意識しています」。
「日本茶カクテルもご提供していますが、『凛堂』の主役はあくまでお茶。お酒を飲む人が、お茶を飲む人を羨むようなメニューづくりを意識しています」。

『凛堂』の役目は、新たな日本茶好きの掘り起こし

「和紅茶と黒文字のダイキリ」。お酒があることで、夜の時間や男性のお客様など、喫茶の時間とは異なるお客様層の掘り起こしができているという。
「和紅茶と黒文字のダイキリ」。お酒があることで、夜の時間や男性のお客様など、喫茶の時間とは異なるお客様層の掘り起こしができているという。

最後に、自身が異国の青年の言葉を機に気付かされたのと同様、ここ『凛堂』がより多くの人に、日本茶や日本文化の楽しさを伝えられる場になればと語った山本さん。各地の生産者が丹精込めて育てた多種多様なお茶、旬果茶、ペアリング、そして日本茶のお酒を通して、それぞれのお客様に合った日本茶の新たな一面を届けることで、幅広い方々に喜んでもらいたいと話してくれました。

「伝統や文化の守るべきを守り、破るべきを破る……。この先もそんな探り合いの連続だとは思いますが、たくさんの方にご満足いただける日本茶を目指していきたい。けっして堅苦しい店ではありませんので、ぜひ楽しくお茶のお話ができれば」

海の街・逗子で、『凛堂』から揺らぎ始めた日本茶の小さな波は、これからどんな風に大きくなっていくのでしょう。令和時代に生まれた新たな茶室の試みはまだ始まったばかりです。

『逗子茶寮 凛堂 -rindo-』

神奈川県逗子市逗子5-1-12 2F
046-870-3730

文=RIN 写真=松島 星太(Re:leaf Record)