谷根千では珍しいチャイの店
地下鉄根津駅からすぐ、飲食店が並ぶ長屋の一角に『CHAI ful NEZU』はある。店内には白い壁のすっきりとした空間が広がっていて、アンティークのカウンターや小さなシャンデリアがアクセント。おしゃべりに花を咲かせる人、ひとりで本を読み耽る人など、お客さんがそれぞれ思い思いの時間を過ごしている。
「もともとチャイが好きで、よくお店で飲んでいました」と話す店主さん。この店をオープンしたのは2021年1月のことだ。
簡単におさらいしておくと、チャイはインド式の甘いミルクティー。スパイスが効いた「マサラチャイ」のイメージが強いが、広義ではミルクで煮出す紅茶のことだ。その歴史は19世紀、イギリス植民地時代のインドで茶葉の生産が行われていた頃に遡る。良質な茶葉はほとんどがヨーロッパに輸出されており、残った茶葉で作る紅茶は、渋くて香りも少ない。それをどうにかしておいしく飲もうと編み出されたのが、ミルクで煮出して砂糖を加えたチャイだといわれているのだ。
スパイスカレーのお店で提供されることも多く、インスタントの粉末も売られているなどドリンクとしてかなり浸透しつつある印象だが、とはいえコーヒーや紅茶に比べれば圧倒的に珍しい。谷根千エリアでチャイをメインに提供しているのは、おそらくここだけだろう。
そんな『CHAI ful NEZU』のメニューは、もちろんのことチャイが主役。スパイスなしのプレーン500円のほか、ジンジャー600円、6種類のスパイスが入ったマサラ650円から選べる。コーヒーなど他のドリンクもあるが、ここに来たならばぜひチャイをいただこう。
ほっとあたたまるシナモンラムでひとやすみ
この日注文したのは、月替わりメニュー「今月のチャイ」のシナモンラム。シナモンの上品な香りの奥からラム酒の深いコクがやって来て、じっくりと味わうほど発見がある。短時間で抽出できるCTC製法の茶葉のほかに香りづけの茶葉も加えているそうで、紅茶、シナモン、ラム酒それぞれの全く異なる香りが絶妙なバランス。ひと口でもほっと体の芯からあたたまり、冬にはぴったりの一杯だ。
また、飲んでみて驚いたのが、予想よりもずっと甘さ控えめだということ。これなら、甘いものが苦手だという人でも飲みやすそうだ。
「チャイといえば甘さが強めのものも多いのですが、少し控えめにした方が紅茶本来のおいしさがわかるかな、と」
お店の開業にあたり、紅茶コーディネーターの勉強もしたという店主さん。チャイのおもしろさは、アレンジ次第で可能性が広がるところにあると話す。
「地域や家庭ごとに工夫や変化があってとても興味深いんです。夏はミントチャイにしたり、ラムやシナモンを入れたり、唐辛子やブラックペッパーでピリ辛にしたり。コーヒーは豆自体の産地で違いがありますが、チャイはアレンジ次第でいろいろな飲み方ができる。既成概念にとらわれず、その土地の風土にあったものでいい、というラフなところが好きですね」
また、ドリンクだけでなくトーストやスイーツなどのフードメニューも用意している。ホットサンドなどの食事メニューを合わせるのもいいが、チャイの甘さがやさしいので、ケーキやパイなど甘いもの同士で組み合わせても全くくどくない。今後はさらにドーナツなどスイーツも少し増やしたいと考えているという。
さらに、昼食時にはランチメニューも。グラタンやドリア、キッシュのセットとドリンク(プレーンチャイもしくはコーヒー)で1000円。街歩き中の腹ごしらえはもちろん、付近に通勤する人にとってもうれしいラインナップだ。
ふらっと入れて、ほっとひと息つける場所
店には幅広い年代の人が出入りしていて、お散歩や病院帰りのお年寄りも愛用している様子。すっかり根津の街になじんでいるようだが、そもそもなぜ開店の場所に根津を選んだのだろう?
「湯島で育ったので、子供の頃はこのあたりでよく遊んでいて、なじみのある場所だったんです。お店はのんびりやりたいけれど、あまりに人通りがない場所だと難しいかもしれないと考えたときに、根津はぴったりでした」
新しいカフェが増えている根津エリアだが、近所のお年寄りが気軽に使えそうな喫茶店となると実はそれほど多くない。ふらっと入りやすくて、ひと息つける場所にしたい……そんな思いで開いたお店なのだ。
「味の好みもあるから、食べた人が100%おいしいと思うものを作るのは難しい。でも、雰囲気がよかったり店員さんが優しかったりすると、また来ようって思うじゃないですか。そんな感じで、地元の人に使いやすい店でありたいですね」
チャイがおいしいお店だが、だからといってチャイが好きじゃなければ縁がないなんてことは全くない。むしろストイックすぎる考えは捨てて、居心地よい空間を目当てに訪れたっていい。ゆるりとあたたかく迎えてくれる雰囲気は、柔軟で自由なチャイの魅力によく似ている。
『CHAI ful NEZU』店舗詳細
取材・文・撮影=中村こより