北国の気温になれきってしまった体でセーターにダウンジャケットはやりすぎだった。まだ体が火照っている。もちろん朝、着替えるときに暑すぎやしないかと迷いはしたのだけれど、一月の札幌の寒さは厳しく、外は氷点下六度だった。あとで邪魔になると思っても、最寄り駅までの十五分を軽装備で歩く勇気はなかなか出なかった。しかもそんなときに限って、このところあまり思い出さなくなっていた浜野くんの言葉が蘇ってきたのだ。

東京出張から帰ってきた彼は、関東の方が気温は高いけれど寒さの質が違う気がして結局寒かったとか、屋内の暖房がこちらほど厳重でないとか、そんなようなことをあれこれ喋っていた。あのころはまだ会話があったんだな、と他人事のように思ってから、わたしは一度クローゼットに収めたダウンを再び取り出した。寒がりのわたしは東京に住んでいたころ、気温が二桁あってもこの格好だったし、と決意して、そのまま家を出た。

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非正規の職員として五年勤めた職場は慣例でそれ以上の契約更新はなく、まあ、それも織りこみ済みで働いていたし、と聞きわけのいい顔でそのまま花束をもらって三月末に退職した。新しい仕事も決まっていた。これまでと似たような、非正規の事務員だ。不眠もだいぶ落ち着いてきたから、正社員の求人にもいくつかチャレンジしてみたけれど、やはりそううまくはいかなかった。

最終出勤日のあと、一週間程度の有休消化期間にふと思いついて、短歌の連作をつくった。短歌自体は趣味で何年もやっていたけれど、SNSや投稿サイトにぽつぽつと載せる程度で、連作は初めてだった。そのまま投稿しようと開いたSNSで、ちょうど小さな同人の会がやっているコンテストの募集を目にしたのだった。応募要項は満たしていた。あとは勇気を出すだけ。これまでも何度か賞に出してみたことはあるけれど、結果のページに名前が載っていたことはなかった。いつも少し傷ついて、でもただの趣味なんだしと自分を慰め、それで終わりだった。今回も傷つくことになるだろうと思いながら、勢いに任せて、募集フォームにできたばかりの連作を放りこんだ。

数ヶ月して、厳しい暑さがやわらぎ、新しい職場にやっとなじんできたころ、一通のメールが来た。受賞の知らせだった。小さな賞だから、一躍有名になれるようなものではないけれど、誰かに選ばれた、評価されたというのがこんなにも嬉しいとは知らなかった。しばらくは浮き足だってしまい、仕事帰りに用もないのに札幌駅の方まで繰り出して、あちこちのお店ではやりの服を眺めたり、使い道のわからない素敵な雑貨を買ったりした。ちょうど繁忙期で残業もあったけれど、あまり憂鬱にならずにすんだ。

受賞の知らせを普段お世話になっているネットの人たちや、ときどき顔を出している地元の歌会の人たちに報告して、というのが一通り終わると、浮ついていた心がやっと落ち着きを取り戻した。嬉しかったことが過ぎ去ってしまうと少しのさみしさも感じたけれど、目の前の仕事や日々の雑事は待ってくれない。

そこへまたメールが来た。今度は、授賞式を兼ねた食事会の招待だった。東京で活動している会の賞だから、場所はもちろん東京だ。時期は年が明けた、一月末。遠方に住んでいるわたしに配慮して、スピーチだけメールで送り、賞状は郵送でもと但し書きがあったけれど、わたしは迷わず出席すると返事をした。

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関東には、もう十年近く帰っていない。実家とは最低限のやりとりだけで、ほとんど縁を切ったような状態になっている。短大のときに父が死んで以来、母と折り合いが悪くなり、就職と同時に家を出た。結婚したのだって、一番穏便に実家と距離を取れる方法だから、という理由も密かにあった。

それからはごまかしながらやっていたけれど、わたしが離婚したあとも家に帰らなかったことで決定的に疎遠になってしまった。でも当時は周りにかまっていられるような精神状態ではなかったし、自分なりに安息の場所をつくるのに精一杯だった。いまは、妹が間を取り持ってくれているおかげでぎりぎり音信不通にはなっていない。

別に、家族と不仲でもかまわないと思っていた。それなりの理由と覚悟を持って距離を置いていたつもりだ。そんなわたしが帰る決意をしたのは、春に姪が生まれたのが理由だった。かつてのわたしと同じように、妹もなかなか子供を授かることができていなかった。ずっと不妊治療をしていたのを知っている。

子供が生まれたと聞いて、思ったのだ。新しく誕生する命に、わたしが影を落としてしまったらどうしよう、と。なぜか連絡の取れない、帰ってこない、会ったことのない伯母。事情を聞いても、みな口を濁す。まあ、ありがちな話かもしれない。どこの家族だって、ひとりくらいそういう親戚がいるだろう。でもそういう、なんだか後ろ暗い存在に、祝福されるべき誕生のそばの影に、わたしがなってしまうのだろうか。気にしすぎだとは思うし、妹からすれば余計なお世話かもしれない。けれど一度そう考えてしまうと、気がかりだった。

だから結局、帰るのは子供のためというより、わたしのためということになるのだろう。このさきまた疎遠になったとしても、一度は会いに来ましたよという、アリバイ作りというわけだ。

妹がわたしをどう思っているのか、本当のところはわからない。たまに連絡をくれて、そのときの言葉はやわらかいけれど、ふつうに考えれば、家族を放置してずっと戻ってこないわたしをよく思っていないだろう。妹は、わたしより「ちゃんと」している。結婚したあとは実家の近くに住んで、老いてきた母の面倒も見てくれているらしい。

でも、たとえ嫌われていたとしても、やっぱり会った方がいいんじゃないか。あれこれ思い悩んだ結果、そう決意して以来、ずっときっかけを探していた。

そういうわけで、授賞式の知らせは渡りに船だった。でも何泊もする勇気はないから、今日は都内にホテルをとってある。明日、実家で一泊して、それから札幌へ帰る。

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つり革を持って立ち、頭上の路線図を見上げた。こっちで暮らしていたころもあまり使ったことのない路線だから、少し不安だ。いま乗っているのは、空港線というらしい。そのまんまだ。この路線の利用者は大半が空港への行き来を目的としているのだろう。飛行機にあまり乗ったことがないのだから、使ったことがなくて当然だった。

目で路線図をたどる。分岐が多い。空港の駅でも、同じホームなのに電光掲示板に全く違う行き先が表示されていることがあって、少し混乱した。今日は、都内へ出るから、蒲田方面の電車に乗って、品川で乗り換える。

会場は池袋だ。ホテルも池袋駅前のビジネスホテルを予約してある。品川に着いたら、渋谷方面の山手線に乗って……と、アプリで検索しておいたルートを頭の中で確かめる。小田原の実家へもしまっすぐ向かうことになっていたら、横浜方面の電車だったろうか。

横浜。就職して東京に住む前は、よく遊びに行った街だ。もう二十年近く前になる。それ以降も訪れるたびあちこちが工事で変わっていて驚いたものだが、いまはどうなっているのだろう。

そういえば、前の職場にいた正職員の若い男の子が、出向中は横浜に住むと言っていたっけ。まだいるのだろうか。そう考えたとたん、横浜駅で偶然すれ違って、お互いあっと顔を見合わせるイメージが頭の中で膨らんだ。もちろんそんな都合のいいことが起こるはずはない。指折り月を数えたけれど、たぶん、もう札幌に戻っているはずだ。なんという名前だっけ。数年一緒に働いていたのに、我ながら薄情なものだ。たしか植物っぽい……ああ、林さんだ。そう、わたしが短歌をやっていると言ったら珍しく興味を持ってくれて、イベントにも一度来てくれた。もし会えたら、賞のことを知らせたいけれど、どうだろう。きょとんとされるだけだろうか。

足に隣の人の持っていたスーツケースがあたり、ありもしない空想から引き戻される。小さく会釈をされたので、わたしも返す。大きな荷物を抱えている人は、みな空港からきたのだろう。それぞれの用事で、それぞれの事情で東京へやってきた人たち。行き先もばらばらで、なんの関係もないのに、ここで同じ電車に乗り合わせ、同じ時を過ごしている。

時折、外国語の会話も聞こえてくる。引っ越したばかりのころの札幌はそういえば観光客らしい人たちの外国語ばかり聞こえてきたものだが、コロナになってめっきりなくなった。またぽつぽつ増え始めている。元に戻っていく、のだろうか。

一度損なわれたものを回復するのは、なんであれ、とても大変だ。立ちゆかなくなった店もある。失われた命も、ある。傷ついた心も、たぶん、あちこちに。

 

わたしの心は? わたしの心が完全に元に戻ることは、たぶん、ない。

 

突然、品川駅に降り立った途端、ホームで待ち構えていた浜野くんに腕を捕まれるイメージが頭に膨らみ、全身に汗が噴き出した。最後に知らされていた転勤先の名古屋からはとっくにまた移っているだろう。もう東京の本社に戻ってきていてもおかしくはない。心臓がどきどきしてくる。とはいっても、待ち構えているなんてありえない。そう自分に言い聞かせる。でも、すれ違う可能性はある、と反論してくる自分に、さらに反論する。あるわけがない、東京はとても広いし、これだけ人がいるのだから。

努めて顔を上げる。どこか浜野くんに似ている人がいないか、スマートフォンに顔を落としている乗客を見回してしまうけれど、ときどきぎょっとする顔を見つけても、若すぎるか、老けすぎているかで、どうやら本人ではなさそうだった。

ふうっと深呼吸をする。楽しいことを考えなければ。スマホを取り出して、案内のメールを確認する。池袋の、小さな、雰囲気のよさそうな居酒屋。出席者は、賞を主宰していた会のひとたちや、過去の受賞者。SNSで何年もやりとしていたけれど、顔を合わせたことのない人たちの名前もあった。今日、初めて話すことができる。

不思議な感覚だ。東京にいたら、もっと早く会っていたかもしれない。授賞式と言ってもほとんど食事会のようなものだから気負わずに、とメールは結ばれていた。楽しみだ、と自分に言い聞かせる。緊張の方が少し上回っているような気もしたけれど、楽しみだという気持ちも、もちろん本物だ。

文=貝塚円花
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。