鎌倉で百年。インバウンドも地元民も集う拠り処
大正13年(1924)に東京・浅草で創業し、関東大震災で被災したのを機に鎌倉へ。「浅草さん」と呼ばれていたことが店名になった。
「駅前と言っても、当時、この一帯は松林でまるで違う風景だったそうです」と語るのは、3代目の藤原康夫さん。1965年生まれ、鎌倉育ち。大学進学で上京し、出版社勤務や料理人として経験を積み、47歳で家業に戻った。祖父の看病をきっかけに人生の舵を切り、京都で和食、横浜や香川で中国料理の技を磨いて店を継いだ。
メニューも変遷を重ねてきた。初代は分厚いカツを看板に、出来上がりを待つ間に一杯やる飲み屋的食堂で人気を博した。戦時中は横須賀の海軍関係者も訪れ、高度経済成長期には観光客に応える和洋中のメニューを拡充。2代目の母の代には、家庭料理を中心に。そして、藤原さんは、ラードで揚げる「ぶ厚い豚カツ」を復活して呼び物とした。低温調理を取り入れて、提供時間を短縮。それでも、注文が入るとかかりきりになってしまうので、現在は夜の営業に限定し、昼は予約で注文対応する。
「店とお客さんが対等で、助け合う関係でありたい」と、食器の片付けを客自身が行うことで3%値引きをしたり、ごはんの量を調整してフードロスを減らす工夫もする。
藤原さんには、胸に深く刻まれる祖父の教えがある。
「コンビニも閉まるような台風の日でも、駅前の食堂はいざという時に人が逃げ込める場所であれと、祖父は明かりを絶やしませんでした。食堂は食事を提供する場であると同時に、地域の拠り所であるべきだと思っています」
観光地・鎌倉での飲食店経営は、天気や季節に左右される難しさがあると藤原さんは言う。それでも続いてきたのは、柔軟に変化し、人の流れに寄り添ってきたからだ。日々、多彩な客層が訪れるも、「やはり、地元のお客さまが多いですね。毎日見える方もいます」と藤原さん。『あさくさ食堂』は、この先も変わらない明かりを灯す。
取材・文=沼 由美子 撮影=嶋崎征弘
『散歩の達人』2026年6月号より






