私は子どもの頃から本が好きだ。半年も海外にいたら日本語の本なんて読めないだろうと思っていたが、私が泊まるような安宿はたいてい共用スペースのリビングに本棚があり、「本棚の本は手持ちの本と交換OK」のルールであることが多かった。そのため私は旅の間、たくさんの本に出合うことができた。ここに紹介するのはその一部だ。
旅先を歩いていろいろな景色を見るのと同じくらい、旅先で読んだ本も思い出に残っている。
悪夢のエレベーター/木下半太
この旅で最初に滞在した街はメキシコシティだ。
泊まっていた日本人宿は大きな一軒家のような建物で、リビングとキッチンは共用スペース。1、2泊だけしていく旅人もいれば、ここに住んでいる人もいる。
この宿には12月半ばから年明けまで滞在した。つまり、クリスマスも年越しもここで過ごした。メキシコシティには美術館がたくさんある。毎日のように夫とぷらぷら街を歩き、たくさんの美術館を巡った(夫は美大出身で美術館が好きだ)。
クリスマス明けのある日、夫はいつものように美術館へ行った。私は連日の街歩きに疲れていたこともあり、宿で過ごすことにする。私たちは個室に泊まっていたので、他の住人や宿泊者の目を気にすることもない。リビングにある本棚から『悪夢のエレベーター』を自室に持ち込み、ベッドの中で読み耽った。
ストーリーが演劇のようにぐいぐい展開するので夢中になって読み、途中でふっと本から顔を上げた。まるで水中から、水面に顔を出して息継ぎするかのように。そして、思った。
「あ、ここメキシコか……」
小説の舞台は日本で、私の意識もすっかり日本にいたので、ここがメキシコであることがなんだか不思議だった。別に日本が恋しかったわけではないが、「本さえあれば意識はいつでも日本に帰れる」と知った瞬間だった。
I'm sorry, mama./桐野夏生
メキシコシティ滞在中、何度か近隣の街へ行った。大きなバックパックはメキシコシティの宿に置いたまま、小さなリュックだけで1、2泊して帰ってくるのだ。
グアナファトもそうして訪れた街だった。私はこの街で、30歳の誕生日を迎えた。
グアナファトは、家々の壁が赤や黄色やピンクに塗られており、街全体がカラフルだ。私たちが泊まった宿は、壁がショッキングピンクでベッドカバーが青で、メキシコの民芸品がたくさん飾ってあって、ド派手で可愛い部屋だった。
私たちはこの宿に2泊して、グアナファトの街を隅から隅まで歩きまわった。古着屋でワンピースを買ったり、博物館になっているディエゴ・リベラの生家を見学したり、オシャレなカフェでスイーツを食べたりした。
そして夜は、メキシコシティの宿から持ってきた『I’m sorry, mama.』を読んだ。可愛い街の可愛い部屋で読むには似つかわしくない、グロテスクで気持ちの悪い物語だ。この本をメキシコまで持ってきた人は、いったい何を考えているんだろう?
翌朝、身支度をして荷物をまとめていると、ドミトリーに日本人らしい男の子が入ってきた。彼は私たちを見つけると、まくしたてるような英語で自己紹介をし、最後のほうはもう「Y.U.T.O YUTO!」とラップになっていた(ラッパーがよくやる手ぶりもしていた)。どうやら彼はユウトという名前で、アメリカの大学に留学している日本人で、冬休みでメキシコ旅行中らしい。
私たちが「えっと……」と戸惑っていると、ユウト君は「あっ、日本人ですか!? すみません、韓国の方かと思って……」と真っ赤になっていた。
そんなはずない/朝倉かすみ
アルゼンチンにある世界最南端の街・ウシュアイアに行った。20時頃、バスから降りるとちらちらと雪が舞っている。寂しい田舎の街だ。
ネットで目星をつけていた宿に行くも満室。困って、コンビニから「地球の歩き方」に載っていた日本人宿に電話すると、「明後日で営業終了するからもう新規のお客さんは泊めないことにしてたんですけど……」と言いつつ、泊めてもらえることになった。
宿は古くて小さな一軒家だった。高齢の日本人女性が経営しているが体調が思わしくなく、今はお手伝いの方が運営しているという。ベッドが2つ空いている部屋がなくて、この旅で初めて夫と別室になった。
本棚に大好きな朝倉かすみさんの『そんなはずない』を見つけて、思わず手に取った。朝倉さんの長編はかなり読んできているが、これはまだ未読だ。相部屋の女の子はすでに隣のベッドで寝息を立てているので、布団を頭からかぶり、ヘッドライトの明かりで読み進めた。世界最南端の街に、朝倉文学を持ち込んだ人に想いを馳せる。その人とは気が合いそうだ。
翌日になると、建物を解体する業者の人がやってきた。お手伝いの女性は「アルゼンチン人はまともに働かないから、わざわざペルーの業者を雇ったのよ」と言っていた。
その宿では日本のテレビ番組(NHKかBS)が見られる。その日は3月11日で東日本大震災の特番をやっていて、宿泊者全員でテレビに見入った。
鍵のかかった部屋/貴志祐介
初めての結婚記念日はイースター島で過ごすことにした。
早朝に飛行機に乗り、お昼にイースター島に到着する。宿が高いので、市街地のキャンプ場にテントを張って宿泊することにした。
モアイは島内のあちこちにあり、徒歩ですべて巡るのは難しい。私たちは二日目にツアーに参加して遠くのモアイを、三日目にレンタサイクルで近場のモアイを巡ることにした。初日は特にすることがない。
早起きしたから眠い。夫が昼寝をするといい、蒸し暑いテントに二人して転がり、私は『鍵のかかった部屋』を読んだ。大野智が主演を務めたドラマを観ていたので、ほとんどの話で犯人もトリックもわかっていたが、それでも面白い。
夕方に起きて、村を散策する。あちこちにハイビスカスが咲いていて、ちょっと沖縄っぽい。小学生の制服が赤いポロシャツで可愛かった。
安めの食堂のテラスでビールを飲んでいると、隣のテーブルで、食堂の子とその友達らしい子が宿題をやっていた。食堂の子は、親に言われると宿題の手を止めて私たちのテーブルへ料理を運んできてくれる。食堂の隣のスーパーでは、小さな子どもを連れたママ友同士が延々と立ち話をしていた。
イースター島でも小学生は宿題をするし、ママ友はおしゃべりをするんだな。
人間の営みの普遍性に、妙に感じ入った結婚記念日だった。
プラチナデータ/東野圭吾
南米は長距離バスが発達しているが、私たちが乗ったバスの最長は36時間だ。アルゼンチンのメンドーサからプエルト・イグアス(イグアスの滝がある街)まで乗った。
バスの車内にはいくつかのモニターが設置されていて、映画が流れる。しかし、スペイン語吹替の英語字幕なので内容がよくわからない。1本目はホワイトハウスがテロリストに占拠される話だったのだが、ホワイトハウスを「カサブランカ(白い家)」と訳しているのが気になり、夫と「ホワイトハウスは固有名詞だからそのままでいいじゃんね」と言い合った。
通路を挟んで隣の座席には、若いお母さんが赤ちゃんと2歳の女の子を連れて乗車していた。なんで2歳とわかったかというと、その子が私のひざの上に乗ってきたから歳を尋ねたのだ。その女の子は、バス中の女性のひざの上を縦横無尽に行き来していた。
午前9時頃、ようやくプエルト・イグアスに到着。夫はシャワーを浴びてすぐにイグアスの滝へ行くと言う。36時間もバスに乗ったあとで、よくそんなに動けるな!
私は疲れ切っていたので、今日は休みたい。結局、明日二人でイグアスの滝に行くことになったのだが、夫は「明日も行くけど、今日も行ってくるよ」と一人で滝に行ってしまった。
私は冷房の効いたドミトリーのベッドで『プラチナデータ』を読んだ。爽やかな話ではないが、旅先で東野圭吾を読みたくなるのはなんだかわかる気がする(実際、日本人宿の本棚には東野圭吾作品が多かった)。
その翌日は予定通り夫とイグアスの滝へ行き、笑ってしまうほどデカい滝を眺めたり、ボートで滝つぼに突っ込むアクティビティに参加したり、園内にたくさんいるハナグマを愛でたりした。あちこちに虹がかかっていて、小さい頃読んだ何かの物語の中にいるようだった。
金平糖の降るところ/江國香織
イグアスから16時間くらいバスに揺られて、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスにやってきた。南米に来てから長距離バスに乗りまくっていて、もはや16時間くらいでは「あっという間だな」と感じる。宿にチェックインして、2日かけて観光した。
この宿で、江國香織の『金平糖の降るところ』を入手した。江國香織は10代の頃に読み漁ったが、これは私が大人になってから刊行された作品なので未読だ。読みはじめて、誰かがこの本をこの街に持ってきた理由がわかった。舞台がブエノスアイレスなのだ。
ブエノスアイレスからは、スペインのバルセロナに移動する。夜に宿の近くからタクシーを拾い、「空港まで」と告げた。空港までの道の途中、なぜか道が封鎖されていた。何かが起こったらしく、盾を持った警官が大勢いる。
「飛行機に間に合わなかったらどうしよう……」
不安になっていると、車が中央分離帯のようなところを乗り越えて反対車線を走りはじめた。ぐんぐん加速し、あっという間に法定速度を超える。長髪でひげ面の運転手は「プロピーナ! プロピーナ!」と言いながら高笑い。プロピーナとはチップのことで、つまりは、「空港まで急いでやってんだからチップはずめよ!」と言っているのだ。
カーチェイスばりの荒い運転に生きた心地がしなくて、無事に空港についたときには魂が抜けていた。人生の中で、もっとも死ぬかと思った瞬間だった。
人質の朗読会/小川洋子
パリには何日か滞在した。そのうちの一日は、7時間くらいオルセー美術館で過ごす。とにかく広いので、作品一つひとつをじっくり鑑賞するとそれくらいかかるのだ。
美術館巡りが趣味の夫はよく「美術鑑賞は体力勝負だ」と言う。まさしくその通りで、長時間の美術鑑賞はヘトヘトに疲れた。軽い気持ちで見ているようでも、画家たちが作品に込めた念のようなものに当てられるからか、気がつけばかなりのエネルギーを消費しているのだ。
オルセー美術館に行った翌日、夫はルーヴル美術館へ行くと言う。なんでそんなに元気なんだ。私だって本物のモナ・リザを見たいが、気力も体力も底をついていたので、宿で休むことにした。
夕方になって夫が帰ってきた。夫は「はい、おみやげ」と、小川洋子さんの『人質の朗読会』をくれた。なんとパリにブックオフがあり、そこで買ったのだという。小川洋子さんは好きな作家の一人だが、この作品はまだ読んだことがなかった。
「よかった。読んだことある本だったらどうしようかと思った」
本をおみやげに選んでくれるところや、私が好きな作家を把握しているところ。この人のこういうところを、好ましいと思う。
小川洋子さんのしみじみとした文体が、パリの夜によく似合った。
文=吉玉サキ(@saki_yoshidama)