南米で行ったのは、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンの4ヵ国。マチュピチュやウユニ塩湖などのメジャーな観光地にも行ったけれど、それ以上に「何もない日」が多い旅だった。ひとつの街に数日間滞在して、街を散歩したり、宿で本を読んだり、自炊をしたりする。

南米滞在の後半は、もっぱらチリとアルゼンチンの南部にまたがるパタゴニア地方にいた。あちこちでトレッキングを楽しみ、その合間にいくつかの町でのんびりと過ごす。

フアンさんに出会ったのはそんなときだ。パタゴニアのプンタアレーナスという街で偶然知り合い、4日間を共にした。

写真は残っているけれど、連絡は取れない。たぶんもう二度と会うことはない、地球の裏側に住む友達。

日本で生まれ育った私と、チリの田舎町で生まれ育ったフアンさんの人生が一瞬だけ交錯したことを思うと、なんだか不思議な気分になる。旅の間持ち歩いていた日記帳を開き、彼との思い出をたぐりよせた。

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その日の午前中、私と夫はバックパックを背負ってプンタアレーナスを歩いていた。

前日の夜、朝から晩まで高速バスに揺られてようやくプンタアレーナスに到着した(南米は長距離バスが発達していて、国をまたぐ移動にもよく使われる)。着いたのがもう夜中だったのでバスターミナル近くの適当な宿に泊まったのだが、今日は宿を変えようと、ネットで見つけた宿に向かって歩いていたのだ。

プンタアレーナスは、パタゴニア地方の中ではかなり大きな都市だが、日本の政令指定都市と比べるとビルも人も少ない。空が広く、灰色っぽい印象の街だ。3月だったが風が強く、登山用の薄手のダウンを着ても肌寒かった。

住宅街で道に迷っていると赤い車が速度を落として停まり、運転席の男性が話しかけてきた。40代くらいの、小柄で人の良さそうなおじさんだ。スーツ姿ではなく、カジュアルな格好をしている。

彼はスペイン語で「どうしました?」と言う。私はカタコトのスペイン語で「この宿に行きたい」と伝え、メモした住所を見せた。男性は、その場所まで車で乗せていってくれると言う。私たちは彼の好意に甘えることにし、ありがたく後部座席に乗り込んだ。

「ハポン?(日本人?)」

「シ(はい)」

私たちが日本人だとわかると、彼は嬉しそうな声を上げた。

「私、少し、日本語話せる」

「えっ、そうなんですね!」

彼はカタコトの日本語とスペイン語をミックスして自己紹介をしてくれた。名前はフアンさんで、空手を習っている。何年か前に日本語を習っていたこともあるそうだ。

すっかり意気投合していると、車は目的地に着いた。しかしネットの情報が古かったのか、その住所には宿がなかった。事情を話して第二希望の宿の住所を見せると、フアンさんは「送っていくよ」と言ってくれた。

宿に到着したのはお昼頃で、フアンさんはこれから仕事に戻るという。「せっかくだから一緒に夕飯を食べないか」と誘われ、夜6時に宿に迎えに来てくれることになった。

フアンさんが連れていってくれたのはカジュアルなレストランで、私たちはハンバーガーを食べた。フアンさんは日本語⇔スペイン語の辞書を持参していて、お互いわからない言葉が出てくると辞書を引く。辞書のおかげで、だいぶ意思の疎通ができた。

たとえば、フアンさんは水産加工品などを運ぶ冷蔵車の会社に勤めているそうだ。彼は辞書を引き、「私はチョウです」と言った。「長」のことだろう。社長ではなく、部署で一番えらい人、くらいのニュアンスだと思う。

また、彼は独身で母親と2人暮らしだそうだ。父は他界し、兄は家庭を持っていると言う。恋人はいないがいい感じのガールフレンドがいて、今度の休暇は一緒に旅行に行くそうだ。

「私のアミ―ガ(女友達)」と写真を見せてもらったら、そこには白いビキニのセクシーな女性が写っていた。他人に見せる写真のチョイスとしてアリなのか。彼女はフアンさんよりもだいぶ若くて美しく、だまされてはいないかと思ったが言えなかった(言葉の壁がなくても言わないだろう)。

レストランを出たあと、ショッピングセンターでアイスを食べた。まるでイオンモールのような建物だ。パタゴニアでも郊外のショッピングセンターはイオンっぽくなるんだなぁ、と感じ入る。

明日は日曜日で、フアンさんは仕事が休みだという。彼はすっかり私たちを気に入り、「明日も出かけましょう!」と言った。

人との距離感に敏感な私は「えっ、めっちゃグイグイくるじゃん」と少しだけ引いたが、夫は乗り気で、明日もフアンさんと会うことになった。

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翌日の11時、フアンさんが宿へ迎えに来てくれた。彼の運転で「パタゴニア歴史公園」へ向かう。そこはもうプンタアレーナスじゃないのか、けっこう時間がかかった。

海沿いの一本道をドライブしながら、3人でいろんな話をした。運転中はフアンさんが辞書を引けないので、私は頑張ってスペイン語多めで話す。

フアンさんが子どもの頃、チリではよく日本のテレビ番組が放送されていて、フアンさんはその影響で日本を好きになったそうだ。好きな日本のテレビを尋ねると、「ショーグン。馬に乗ってる」と言う。暴れん坊将軍だろうか? また、フアンさんは「ヘイディー」も好きだったそうだ。

「ヘイディー? なんだろう?」

「女の子ども。山に住んでる」

「あぁ、ハイジね!」

そんな感じで、お互い連想ゲームのように会話をした。

ようやく公園に到着。森のように広い園内には、古い大砲や教会や牢屋が設置されていた。本物を移築したのか、現代人が再現したものかは不明だ。それらを見学して、園内をぐるりとトレッキングする。車に戻り、宿で作ってきたサンドイッチを食べた。

市街地に戻ると、セメンタリオ(お墓)に連れていかれた。一つひとつのお墓は小さくてガラスのケースに入っていて、雨風を避けられるようになっている。お花を活けた花瓶だけでなく、写真立てや置物など、さまざまなもので飾り付けられていて綺麗だった。

フアンさんは、自分のお父さんのお墓を紹介してくれた。フアンさんによく似た男性の写真が飾られている。私も夫も、神妙に手を合わせた。フアンさんのお父さんも、見ず知らずの外国人に参られてびっくりしているだろう。

そのあとは港へ行った。港と言っても工業地帯なのだが、水色とピンクが混ざり合った夕暮れの空が美しい。尖った形の月がとても綺麗だった。

フアンさんが「月はメス、太陽はオスです」と言った。昔、日本人からそう教わったという。

たしかに、月はスペイン語で「Mes」だ。しかし太陽は「Sol」で、オスではない。いったいどういうことか考えて、わかった。たぶんフアンさんは「月は女性名詞で太陽は男性名詞」と言いたいのだ。

日本語のオス・メスのニュアンスをうまく伝えられないまま、車が宿に着いてしまった。

フアンさんは、明日の夜も私たちと遊びたいという。フアンさんのことは好きだが、私は人疲れするタイプなので3日連続はキツい。

しかし断り切れず、明日も会うことになった。

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プンタアレーナス3日目。日中は宿でのんびり過ごし、夕方に仕事を終えたフアンさんが迎えに来て、3人でちょっと高そうなレストランへ行った。子羊のグリルが美味しかった。

その後、フアンさんの自宅に招かれた。小さな一軒家では、お母さんがテレビを見ていた。息子が突然日本人を連れてきても、特に驚く様子はない。私がカタコトのスペイン語で自己紹介をすると、うんうんと小さく頷きながら聞いてくれた。その様子が、夫のお母さんに似ていた。

フアンさんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、空手の話や、日本のアニメの話をした。ほとんどフアンさんが喋っていて、私たちがそれを読解する形だったが、楽しかった。特に夫はフアンさんと年齢が近いので、私にはわからない昔のアニメの話で盛り上がっていた。

私たちは明日、プンタアレーナスを発つ。フアンさんは空港まで送ってくれるという。

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プンタアレーナス最後の日、約束通りにフアンさんが迎えに来てくれた。仕事中のはずだが、長だから時間の融通が利くらしい。

車の中で、「これ、売り物」と言いながら茶色い紙袋を渡された。中には、チリの国旗とパタゴニアの旗、羊とペンギンのぬいぐるみが入っていた。「売り物」とはお土産のことか。

いつものように話していると、あっという間に空港に着いた。チェックインをしてから、空港のカフェでコーヒーを飲み、3人で記念写真を撮る。フアンさんは連絡先として、Facebookのアカウントを教えてくれた。

私たちが保安検査の列に並んでも、フアンさんは離れたところからずっと見送ってくれていた。

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その後、夫がFacebookからフアンさんにメッセージを送ったが、返事はなかった。そしてそのうち、彼のアカウント自体が消えてしまった。

あんなに一緒に過ごしたのに、あっさりと連絡が取れなくなってしまうなんて。なんだか拍子抜けする。

あれから10年近くが経った。フアンさんはどうしているだろう。あのセクシーなガールフレンドとはどうなったのか。私たちのことを覚えているだろうか。聞きたいけど、尋ねる術はない。

もう二度と会うことがない人の思い出を抱えたまま、私は今日も何気ない一日を送る。フアンさんのことは、たぶんこの先も忘れないだろう。

文=吉玉サキ(@saki_yoshidama

方向音痴
『方向音痴って、なおるんですか?』
方向音痴の克服を目指して悪戦苦闘! 迷わないためのコツを伝授してもらったり、地図の読み方を学んでみたり、地形に注目する楽しさを教わったり、地名を起点に街を紐解いてみたり……教わって、歩いて、考える、試行錯誤の軌跡を綴るエッセイ。
私にとって、赤坂はモンゴルだ。何を言ってるんだと思われただろうが、なんてことはない。赤坂にあるモンゴル料理店によく行っていたのだ。そこは知り合いのスーホさんとタカシさんがやっていたお店で、こってりした羊料理をたんと振る舞ってくれる。宴が盛り上がってくるとスーホさんが音頭を取り、お客さん全員で歌いながら馬乳酒を回し飲みしたり、指名された客同士がモンゴル相撲をとったりもする。赤坂駅に降り立つときはいつもワクワクしていて、赤坂駅から帰りの電車に乗るときはいつもフワフワしていた。お腹いっぱいで、少しさみしい。いつだって、私にとって赤坂は異国の旅先だった。
さんたつ読者には一人旅を好む人が多そうだが、私は一人旅をほとんどしない。出張することはあるし、チケットが1枚しか取れなければライブも舞台も一人で行く。山小屋時代は他のスタッフと休暇がかぶらなかったので、仕方なく一人で縦走した。だから決して一人行動が「できない」わけではないのだが、好んで「したい」とは思わない。理由は単純で、一人よりも話し相手がいたほうが楽しいからだ。何かに触れたとき、「すごいね」「美味しいね」と感想を言い合いたい。思ったことを言えないと物足りなくて、なんだか手持ち無沙汰になってしまう。そんな私の一人旅デビューは意外にも早く、15歳のとき。札幌出身だが、訳あって一人で京都に行くことになったのだ。京都にいる間、私はひたすら街を歩きまわった。知らない街を一人で歩くことに、意外にも不安や寂しさはなかった。旅先には知っている人がいない。私のことを知る人がいない街で過ごす時間は、自由で心地いいものだった。