ラカイン州
ミャンマー西部に位置する州で、自治権拡大を求める武装勢力と軍との戦闘が続く。日本にはおよそ5万6000人のミャンマー人が暮らすが、うち1000人くらいがラカイン族といわれる。留学や技能実習、定住者といった在留資格で日暮里など都内や神奈川などに暮らす。
ラカイン料理の特徴のひとつは“酸っぱ辛さ”
ソウルフードはサカナ型の鍋に海鮮がどーんと盛られたコーターガー。
「スズキ、カニ、エビ、それからムール貝が入っています。それにタケノコやエリンギも」
なんとも豪華だが、気になるのは黄色いスープだ。ひと口いただいてみるとさわやかに酸っぱい。これはターメリックとレモン、それにガピという発酵調味料がベースになっているんだとか。ガピといえばタイにもあるが、ラカインを含めミャンマー各地でも使う。
「ラカインの場合はイワシの小さいものを発酵させてつくります。味が濃い、いい出汁が出るんです」
ガピに使う魚は現地から輸入してくるそうだ。でないと、なかなか故郷の味にはならない。このラカイン風ガピがもたらす風味と酸味が、海鮮のうまみと混じり合う。あと引くスープなのだ。
「コーターガーもそうですが、ラカイン料理の特徴のひとつは“酸っぱ辛さ”ですね」
ガピやレモンだけではない。酢やタマリンド、マヤンディ(プラムマンゴー)という果物など、酸味のある食材をふんだんに使う。そのひとつがカッルソィン トゥッ、貝の和え物だ。ホタテやホッキ貝、アサリ、それに日本でいうサザエのようなラカイン独特の貝も入っているのだとか。こちらはタマリンドベースで甘酸っぱく、貝とはよく合う。サザエのごりごりした食感も楽しい。
こうしたラカインスタイルの和え物がたくさん用意されているのも『SEA GARDEN』のウリで、もうひとつおすすめはターナートゥッ、バナナを使ったものだ。これはなかなか珍しい料理なのではあるまいか。ミャンマーでもラカインか、やはり少数民族のモン族くらいしか食べていないのでは、とタンミンアウンさん。バナナのつぼみや、バナナの花を干したものがピーナッツソースで和えられていて、日本人にも食べやすい味だ。
店ではこんな和え物をつまみながら、ビールを楽しむミャンマー人が多い。いわばここはラカイン居酒屋なのである。
ちなみに先ほどから料理の名前が極めて難解だが、これは現地の言葉は発音がとにかく豊富で、カタカナで表現しきれないからだ。インドシナ半島の民族はとくにこの傾向が強いように思う。
ミャンマー人の多い「山手線の北半分」
海鮮と酸味を愛するラカイン族の店が、なぜ鶯谷にあるのか……。周囲はそっち系のホテルが乱立するけっこういかがわしい界隈なのだが、聞けば鶯谷というより隣接する日暮里に住むラカイン族、ミャンマー人が多いのだとか。
ミャンマー人集住エリアといえば、この連載の第2回でも紹介した高田馬場が「リトル・ヤンゴン」とも呼ばれているほど有名だが、実はそこから山手線をグルリと半周した鶯谷あたりまでミャンマー人たちが点々と暮らしている。とくに大塚と日暮里に多い。家賃が安く、庶民的な商店街もあって、どこかアジアのにぎわいを思い起こさせる街をミャンマー人たちも気に入ったのかもしれない。とりわけラカイン族は日暮里にたくさんいるそうで、タンミンアウンさんも東日暮里在住だ。15年になる。
「鶯谷、日暮里、西日暮里、町屋……どこも、もう“地元”みたいなものでよね」
潮の香り漂う、絶品のクリアスープ
軍事政権の圧政が続くミャンマーでも、ラカインの状況はとりわけ厳しい。もともとラカインはアラカン王国という独立国だったのだ。しかし18世紀に東の大国コンバウン朝ビルマ、つまり現在のミャンマーに征服され、以降は紛争が続く。ミャンマーでは「バングラデシュからの不法移民」と扱われているロヒンギャを抱えているのもラカインだ。なんとも複雑な地域だけに、国外に希望を求める若者は多い。日本にも留学生や技能実習生などの在留資格で、たくさんのラカイン族がやってくる。同じミャンマー人でも国籍が一緒というだけで、民族が異なれば抱えている事情も来日の背景もさまざまなのだ。
とはいえ、ほかの民族同士で交流がないわけではない。
「いま上の階に来ているお客さん、みんなビルマ族ですよ」
ラカイン料理はミャンマーでも評判の味。「食」には民族の垣根を超えるものがあるということだろうか。
そんな客が誰もが注文するのはラカインモンティ、汁そばだ。スープの味わいが実に深い。ハモとカマスを干して燻(いぶ)したもの、生のハモをボイルして焼いてほぐしたもの、ガピ、ミャンマー産のブラックペッパーとニンニク……これらを煮込んで海の香りのスープが生み出されているが、現地の食材は政情不安により輸入がたいへんなのだとか。ページョー(ひよこ豆のかき揚げ)を割ったりスープに浸したりして食べよう。
タンミンアウンさんたちラカイン族は、日本で暮らしながら困窮する故郷に支援を続けている。彼らが守り続けている「味」が、鶯谷にはある。
『SEA GARDEN』店舗詳細
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2023年11月号より