定番商品にちょっとプラス

JRの西荻窪駅。その北口から北西に伸びる伏見通り商店街に『藤の木』がある。こぢんまりとした店内にはナチュラルなオーナメントが飾られ、新しいお店のように思えるが、看板にはしっかりと「SINCE1937」と書かれている。『藤の木』は、西荻窪で3代続く老舗ベーカリーなのだ。

店内に並ぶパンは、定番のクリームパンなどからバゲットまでさまざま。ただ、定番のものでも、ちょっと手が入っているものが多い。たとえばド定番のカレーパン。普通のカレーパンもあるが、それに半熟卵を乗せた「焼きチーズカレー」をラインナップさせているのだ。

カレーにチーズに卵。

ちょっと過剰な感じもするが、カレーの刺激は控えめになっていて、うまいこと3つの味がバランスされている。定番商品をそろえつつも、それだけでは終わらない。押さえるところは押さえつつ、ちょっと刺激的にしているのである。

焼きチーズカレー380円。
焼きチーズカレー380円。

そんな『藤の木』は現在の店主である下田将司さんの祖父、正一さんが1937年に始めた。正一さんは当時、高円寺にあった「藤乃木」(現在は洋菓子店で都立家政に移転)で修業をして、西荻窪に店を構えた。現店主の将司さんが聞いたところによると、その頃の西荻窪はすでに多くの住民がおり、商店街もにぎわっていたという。

3代目の下田将司さん。
3代目の下田将司さん。

店はかなり繁盛し、近くの西武新宿線上石神井駅、西武柳沢駅の駅前にも、小さな売店を作ってパンを売っていたという。時を経て『藤の木』2代目に受け継がれたが、先代の頃と違ってスーパーマーケットもでき、変わらず繁盛というわけにはいかなかったようだ。

かつてのにぎわいを取り戻すため

その頃、将司さんはあるアミューズメントパークで、契約社員として働いていた。2代目は将司さんにとって叔父にあたるのだが、叔父が跡継ぎがいないため店をたたもうとしていると聞き、後を継ぐことを決意する。祖父の時代のにぎわいを、もう一度、取り戻したいと考えてのことだった。

そして退職後、他店で4年間、パンの修業をし、平成22年に3代目として『藤の木』を継いだ。まずはパンの製造方法、店をリニューアル。しかし、西荻窪はパンの激戦区。それだけでは、うまくいかないのは明らかだった。

「まずはターゲットを、30代から40代のファミリー層に絞りました。西荻窪は個性的なベーカリーが多くて、そこで売られているのは、ちょっと特別なパンです。その方向ではなく、ファミリー層に気軽に買ってもらえて、毎日、食べてもらえるようなパンというコンセプトを考えました」

自家製カスタード使用のクリームパン250円。バランスの取れた優しい味わいで、みんなが好きなタイプ。
自家製カスタード使用のクリームパン250円。バランスの取れた優しい味わいで、みんなが好きなタイプ。

さらに手を加え、焼きチーズカレーのような工夫したものを加える。ファミリー向けの親しみやすさにプラス、ちょっと冒険をする。それが現在の『藤の木』の魅力となっているのだ。

店内には「おじいちゃんのようなパン屋目指しています」と書かれているが、それはただのおじいちゃんではない。優しいけれども、時たまえらく面白いことを言う、なんともイカスおじいちゃんなのだ。

無人販売も好調

さて、将司さんの試みはパンだけにとどまらない。最近になって隣の空きテナントを活用して、『藤の小箱』という無人販売を始めたのだ。

こちらは『藤の木』が閉店する19時ぐらいに開店。ロッカーの中にパンが入っていて、代金を入れると扉を開いてパンを取り出せるという、野菜の無人販売方式だ。中身は3種ほどの組み合わせになるが、メニュー札が貼られているので種類を(だいたい)選ぶことができる。1000円相当のパンが600円で買えるなど、お得なラインナップになっている。

『藤の木』のすぐ隣りが『藤の小箱』。夜の人気店。
『藤の木』のすぐ隣りが『藤の小箱』。夜の人気店。

もともとはフードロスの解消を考えて始めたのだが、かなり好評で売上も上々。当初は売れ残りのパンを入れていたのだが、最近では小箱のために夕方、多めにパンを焼くこともあるという。店全体の売上に、かなり貢献しているのだ。

私も利用したことがあるのだが、夜にパンが買えるというのは、かなり便利だ。ベーカリーはだいたい朝から営業していることもあり、夜の閉店が早い。仕事帰り、20時ぐらいに「明日の朝、パンを食べたいな」と思っても、なかなか買えないことが多い。そんな不満を、この小箱は解消してくれる。

さらに宣伝効果もあったようで、『藤の木』に男性客が増えたという。おそらく、昼間は都心で働いていて『藤の木』のパンを買ったことがなかった人が、夜の『藤の小箱』でパンを買い、『藤の木』に来るようになったのだろう。空きテナントの活用、フードロスの解消から始まった試みが、思わぬ効果を生んだのだ。

どのパンもボリュームがあるのがうれしい。
どのパンもボリュームがあるのがうれしい。

常に新しい試みに取り組み続ける『藤の木』。だからこそパン激戦区の西荻窪で、人気店であり続けられるのだろう。

取材・撮影・文=本橋隆司