新しいけど懐かしい。地元の人が自然と集うラーメン店
下北沢駅から10分ほど歩き、駅前の喧騒が落ち着いてきた頃に一軒のラーメン店が現れる。『マルキ食堂』は、地域密着型の中華そば専門店。赤いのれん、木の扉が“昔ながらの町中華”を彷彿とさせるが、実は2020年にオープンしたばかりの店だ。11時から15時までと営業時間は限られているが、その味を求めて地元客が足しげく訪れる。
店内にあるのはオープンなキッチンを囲うカウンター席のみで、その数わずか6席。コンパクトな空間だが、カウンターのスペースが広いため窮屈さはない。そのため、家族そろって訪れる人も多いという。
洗練されていながら程よく親しみが持てる空間は、肩ひじ張らずリラックスして過ごすことができる。
理想のラーメンを描き続けて、ひたむきに
店主の中山紘二さんは、ラーメン好きな元バンドマンだ。以前から、音楽活動のためライブハウスが多く集まる下北沢によく訪れていた。
「バンドの練習が終わったあとはラーメンを食べに行くことが多く、次第にラーメンの食べ歩きが趣味になっていきました。おいしいと言われるラーメン屋には大体足を運びましたね。そのうちに音楽活動に区切りをつけて何か新しいことを始めたいと思ったタイミングがあり、せっかくなら自分が好きなラーメンを仕事にしてみようと思いました」
その後、数々のラーメン店で数年ごとに修業を積むうちに「自身の店が持ちたい」という思いが芽生え、2020年11月に念願の店をオープンした。
『マルキ食堂』は中華そば専門店だが、中山さんからは「これまで働いてきた店では一切中華そばを作ってこなくて。むしろ、濃厚系のラーメンが多かったんです」と意外な一言。中華そばにたどり着いた理由は「一番好きなラーメンだったから」と実にシンプル。さまざまなラーメンの技術を学んだが、自分の“好き”を貫いたのだ。
「10年ほど前から“独立したら昔ながらの中華そばを絶対に作ろう!”と心に決め、のせる具材、スープの味わいまで具体的に思い描いていました。最近ではノスタルジックなものが流行って中華そばも注目されていますが、当時からはまったく想像していなかったです」と中山さんは笑う。
昔ながらの中華そばは、体に染みわたる王道の味
「具材がたくさんのった特製中華そばは人気ですが、僕の個人的なおすすめはスタンダードな中華そばです」と中山さんから教えてもらい、今回は中華そばを注文した。
器のなかには、ぐるぐると渦を描いたなると、チャーシュー、メンマ、のり、ホウレンソウ……“ザ・中華そば”なビジュアルになぜか安心感を抱いてしまう。
スープのこだわりを尋ねてみると「難しいことはせず、先人のラーメン店の方々が守ってきたラーメンを自分なりに解釈して作っています。素材は“ザ・昔の醤油ラーメン”みたいな、昔から変わらないものを使っています。高級な食材は使わず、手に入りやすい素材でおいしいものを作ることが、うちのテーマです」という答えが返ってきた。
鶏や豚など動物系の出汁をベースに、魚介、香味野菜など数種類の出汁から作られた醤油スープは、口に含めば「懐かしい」という言葉が自然と頭に浮かんでくる。子どもからお年寄りまで誰でも親しめるラーメンだ。
スープによく合う細麺も中山さんが「すごく好き」と話す、三河屋製麺のもの。スープから具材、麺に至るまで隅々に中山さんのお気に入りが詰まっている。
ラーメンを食べ進めるなかでの“お楽しみ”は、4時間半ほど煮込まれた大ぶりのチャーシュー。口のなかでホロホロととろけていき、幸せな気持ちで満たしてくれる。メンマもやわらかく、コリコリとした食感がたまらない。
趣向を凝らしたラーメンや高級ラーメンが増えるなか、昔懐かしい味わいはまるで“故郷”のような温かさを与えてくれる。
『マルキ食堂』の中華そばを味わってみると、もはや地元の人にとって“生活の一部”になっているのだろうと想像がついた。王道を守りながらも味わい深く、シンプルだからこそ何度も食べに来たくなる。
下北沢で赤いのれんを見かけたら、迷わず扉を開けてみよう。
取材・文・撮影=稲垣恵美