「男はつらいよ」と学問
「男はつらいよ」シリーズでは、寅さんもしくは「とらや」の面々との対比の意図もあってか、大学関係者や大学のシーンがちょくちょく登場する。
おもな大学関係者としては、
・諏訪飈一郎(演:志村喬)
〔登場作〕第1作、第8作、第22作
〔肩書き〕北海道大学名誉教授(インド哲学専攻)
〔関係〕博の実父
・岡倉金之助(演:米倉斉加年)
〔登場作〕第10作
〔肩書き〕東京大学助教授(理論物理学専攻)
〔関係〕御前様の甥。「とらや」に間借り
・筧礼子(演:樫山文枝)
〔登場作〕第16作
〔肩書き〕東京大学助手(考古学専攻)
〔関係〕御前様の姪。「とらや」に間借り
・田所雄介(演:小林桂樹)
〔登場作〕第16作
〔肩書き〕東京大学教授(考古学専攻)
〔関係〕上記、筧礼子の師
・原田由紀(演:三田寛子)
〔登場作〕第40作
〔肩書き〕早稲田大学第一文学部学生(日本文学専攻)
〔関係〕当作ヒロイン真知子(演:三田佳子)の姪
また、シーンとしても、
・東京大学(第10作、第35作)
・早稲田大学(第40作)
・東京薬科大学(第43作、第44作、第45作 ※ただし満男が通う大学のロケ地として。同校に在籍したわけではない)
が映し出される。
このように「男はつらいよ」に数々の学問ゆかりのシーンあれど、「学問」というテーマをとことん追求した作品はこれしかない。第16作『男はつらいよ 葛飾立志篇』だ。
寅さんが学問と恋に奮闘する物語。そんな寅さんに倣って(?)、本稿でも学問についてそこそこマジメに考えてみたい。
きっかけの学問
まずは、寅さんが学問に目覚めるきっかけとなった言動から。
おゆきさんの学問
「私に少しでも学問があれば男の不実を見抜けたものを、学問がないばかりに一生の悔いを残してしまった」
寅さんを実の父親と思ってきた順子(演:桜田淳子)の亡き母・おゆきさんが生前、山形の住職(演:大滝秀治)に語った言葉。
それを聞いた寅さん、
「私も学問ないから今までつらいことや悲しい思い、どれだけしたかわかりません。私のような馬鹿な男がどうしようもないですよ」
と、深く我が身を悔やむ。
おゆきさんにしても、寅さんにしてもここでは、
「学問」=「教養」「高等教育」
という認識だろう。教養で不実を見抜けるかどうかは疑わしいが、そう思い込んでいる人たちがいるのは確か。
博なら、
「違いますよ、兄さん。それは学問があるかないかの問題じゃない。社会のせいですよ」
とでもカニみたいな顔して言いそう。それも一理か。
ともあれ、異性の不実を見抜く「学問」があるなら、かつて大事な局面でそれを見抜けなかった筆者に誰か教えて~!
山形の住職の学問
学問がなかったことを悔やんだおゆきさんに同情して、我が身も恥じる寅さん。そんな寅さんに対する、おゆきさんの眠る寺の住職の諭し。
「己れを知る。これが何よりも大事なことです。己れを知ってこそ他人を知り、世界を知ることができるわけです(中略)。己れの愚かしさに気づいた人は、もう愚かとは言いません。あなたはもう利口な人だ」
「『朝(あした)に道を訊けば夕べに死すとも可なり』(中略)物事の道理を極め知ることができれば、いつ死んでも構わない。学問の道はそれほど遠く厳しいわけだ」
いろいろありがたい言葉をいただいたが、要は、
「学問とは己れを知るためにすること」
と教えられた寅さん、学問をしようと決意するのだった。
ま、この決意が長続きしないのが寅さんなんだけど……。
「とらや」の面々の学問
みんながみんな、学問を語れるインテリや聖人君主ばかりじゃない。世の中、むしろ大多数のそうでない人たちで成り立っている、
ここで登場するのは寅さん曰く“無教育な”「とらや」の家族一同。作中の学問論議では笑いにされているが、誰が彼らを笑えよう。もしかしたら、真実はここにあるのかもしれないぞ。
おばちゃんの学問
「そうやってエライ学者の先生方がいろいろ研究(=学問)してくださってるからこそ、私たちがこうやって平和に暮らせてるんじゃないか」
一見、
学問する人=エライ学者
私たち=その恩恵を受ける人
と、学問を放棄したようにも見える。しかし、ふだんはハッキリと主張することの少ないおばちゃんが、ここまで力強く言い切っているのだ。これは、おばちゃんなりに問い続けた結論なのだ。この過程は立派な学問だと思うぞ。
今どきのエライ人たちやインテリは、こんな巷の格言にちゃんと耳を傾けているか?ん?
おいちゃんの学問
「俺もよく言われたよ。『団子屋に学問なんて要るかーっ!』って」
ここでおいちゃんが言う「学問」も「学歴」「高等教育」のこと。
「大工のセガレが大学行く必要あんのか」
とかもほぼ同義語。
おいちゃん世代の感覚だと、大学行ったら変な思想にかぶれるとか、家業を継がなくなったりするから、難しいこと考えずに無心で商売に勤しめ!ということでしょう。
職人の多いエリアには今もってそんな雰囲気が残るが、ひとつの職業をちゃんと修めることも立派な学問かと思うな~。
博の学問/タコ社長の学問
「(己れを知るとは)つまり、自分はなぜこの世に生きてるのか。つまり人間存在の根本について考えるっていうか……」(博)
「そんなこと考えて何になるんだい?」(タコ)
「そういうことを考えない人間というのは本能のままに生きてしまうっていうのか、まあ早い話が、お金儲けだけのために一生を送ってしまったりするんですからね」(博)
「それで悪いのかい?」(タコ)
「学問をしないとお前(=タコ)みたいになっちゃうよって話してたんだよ」と寅さんは言うが、そいつは早合点。
小賢しい理屈を素朴に問う。それこそが学問の「問」。学問の第一歩だ!
誰もタコ社長を笑えない。このタコの本能をしっかり直視するところから学問は始まるのだ。たぶん。
識者の学問
御前様の学問
「朝(あした)に道を訊けば夕べに死すとも可なり」
学問をすると決意した寅さんに(下心満々だけど……)、御前様が色紙に記して贈った『論語』の一節。坊さん好きだねえ、この言葉。
他にも、達磨禅師(6世紀初頭にインドから中国に禅を伝えた僧)の逸話を寅さんに教えようとしていたが、詳細は不明。
田所先生の学問
「愛の問題、男と女の愛情の問題は難しくて、まだ研究し尽くしておらんのですよ!」
愛情も学問の対象か~い!
愛情の問題が学問で解けたら世話ないわ~!
観ている誰もが異口同音に突っ込むシーンです。
「学問」という本稿のテーマからは外れるが、田所センセの課題に対する寅さんの解答はコチラ!
「ああいい女だなあと思う。その次には、話がしたいなあと思う。ね?その次にはもうちょっと長くそばにいたいなあと思う。そのうちこう、なんか気分が柔らかぁくなってさ、ああこの人を幸せにしたいなあと思う。もうこの人のためだったら命なんかいらない、俺死んじゃってもいい、そう思う。
それが愛ってもんじゃないかい」
田所センセ~、ぜひ学んで問い続けてください。ま、結局二人ともフラれるんだけどね……。
礼子さんの学問
「(なぜ学問をするかという問いは)何のために生きてるかってことと同じことでしょ」
学問の問題が、生きる意味にまで飛躍しました。
以下、各人の「何のために生きているのか?」
・礼子先生:学問のため
・タコ社長:金のため
・おいちゃん:食うため(第12作)
・おばちゃん:たぶん上に同じ
・博:(食うためだけじゃなく)いろんなことに喜びを感じるため
・御前様:煩悩を断ち切るため(第32作)
・満男:人間は何のために生きてんのかな?(第39作)
・寅さん:「ああ生まれてきて良かった」そう思う瞬間ため(第39作)
深~い問題につき、今回はこの辺でお開きってことで……。
悟り~寅さんの学問/さくらの学問
「こっちに学問があったらなあ、うまい答えをしてやれたんだけど……。学問がねえってのは悔しいよ」
田所先生からの告白を受けて思い悩む礼子さんを見て、何もできない己れの無力さを悔やむ寅さん。
この場合の「学問」とは何だ?
「教養」「高等教育」であるようにも思えるが、そんなものがここで役に立たないことは寅さん自身が良~く知ってるはず。もしかしたら自分の手に負えないことの解決法を「学問」という言葉に置き換えたのかも知れない。
そもそも「己れを知るため」に学問を始めた寅さん。皮肉にも最後にこういうカタチで己れを知ったか……。
それを聞いたさくら。
「学問なんかできなくたって、いくらだってしてあげられることあるわ」
ま、平たく言えばそういうコトっしょ。最後に上手くまとめてくれました。さっすが聡明だねえ、さくらさん!
学問って何だ?
学問がないばかりに涙する人、
学問は己れを知ることと諭す人、諭される人
学問がなくても生きられる人
学問は生きることだと言う人
学問は極めても、愛情はからっきしな人
学問やってる人のおかげで世の中平和と主張する人
うわあ。たかだか一片の映画の中にも、人それぞれの学問の定義があって、学問にまつわるドラマがあるのね~。つまり、『男はつらいよ 葛飾立志篇』は、「学問」の捉え方のギャップが織り成す悲喜劇なのだ。
で、つまるところ「学問」って何なんだろう?
ここで『論語』の一節に目を向けてみたい。
学而時習之、不亦説乎。
学びて時に之(これ)を習ふ、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
〔意訳〕
学んだことを「どういうことだろう?」と自分自身に問い続けて、自分としての答えや意見を持つことこそ、学問の悦びである
と、『論語』では、このように「学問」を捉えている。
これなら、高学歴や高い教養がなくても、誰もが心の持ち方ひとつで学問できるぞ。つまり、生きる姿勢の問題なのだ。
「学問」は、“こうじゃなくちゃいけない”なんてものではない。
寅さん流だって、礼子先生流だって、おばちゃん流だって、いろいろな学問があったっていい。それぞれがそれぞれに問い続ければいい。
私事で恐縮だが、この半生、思い起こせば恥ずかしきことの数々(内容的には刺激的過ぎて、文量的には無限にあって、とてもここでは書けない)。そこから自分は何か学んだのだろうか……。ま、とりあえず「寅さん」観ながら問い続けるか!
文・撮影=瀬戸信保 イラスト=オギリマサホ