大久保駅から45歩。毎日行列ができるベトナム料理店
新大久保駅周辺がコリアンタウンだとすれば、すぐお隣のここ大久保駅周辺はまさにアジアンタウン。駅の周りにはそれこそ韓国料理、中華料理、タイ料理、ネパール料理、そこに日本の餃子屋、カレー屋、ラーメン屋、居酒屋、なぜか占い屋さんまで加わり、アジア全域のお店が混沌と並ぶ。しかしその混沌さが不思議に安定し、なんだか居心地のよさを感じてしまう懐の深い地域だ。
その一角にあって行列のできる超人気店として有名なのがここ『ベトナムちゃん』。そのかわいい名前からもおわかりのとおり、本場ベトナム料理のお店だ。
店の場所は、大久保駅北口から約30秒。北口の改札、線路沿いに出る通路の目の前に小さなカギ型の路地があり、そこを進んでいくとすぐにお店がある。試しに駅からの歩数を計ってみると45歩。まさに駅前食堂である。
店は路地の道から2~3段下がった半地下にあり、その小さなコンクリートに囲まれた店前の空間がさらにアジア感を醸し出している。
しかし店の中に一歩足を踏み入れると、世界が一転してカラフルに。壁は鮮やかなグリーンに統一され、部屋の隅にはヤシの木(作り物ですが)まで置かれている。
店はとても広く、2人掛け、4人掛けの席が十数席配置され、壁には手書きのおすすめメニューがごちゃごちゃと貼られ、それが何とも言えない魅力的なメッセージになっている。
昔ながらの本物のベトナムの味
入り口の正面は厨房。数名のスタッフが忙しそうに出入りしている。「お店のスタッフはみんなベトナムから来てもらっている人たちです。料理人ももちろんそう。向こうできちんと料理の仕事を長年していた人にお願いして日本に来てもらっています」と教えてくれたのは、オーナーの金子真已さん。約束した時間ちょうどに大きなスーツケースを2つゴロゴロと引いて登場された。
「昨日の夕方に沖縄から帰ってきて、今日、これからベトナムに行きます」。東京滞在は1日弱。取材の合間にお店のスタッフと流ちょうなベトナム語で真剣な打ち合わせを行い、終わらせるとすぐに「ごめんなさい」と取材の席に戻る。もうそれを拝見するだけでその忙しさとともに、金子さんのバイタリティーがビンビンと伝わってくる。
『ベトナムちゃん』がここ大久保に開店したのは2011年のこと。金子さんは学生時代からベトナムに留学し、その後現地で駐在員として勤務。その豊かな食文化に触れ、この味をぜひ日本で紹介したいとの思いで店を開店させたとのこと。当時はアジアン料理店のメニューの1つとしてベトナム料理が提供されていた程度。本場のベトナム料理だけを提供するお店はほかになかったとのこと。
その前後からベトナム雑貨が注目されマスコミで取り上げられることが増えたこともあり、本物の味を楽しめる『ベトナムちゃん』もすぐに人気店となった。現在、沖縄と吉祥寺にも同様の店舗を展開している。
行列の目当ては大人気のフォーセット
取材にお伺いしたのは開店時間の少し前だったが、すでに店の前には開店を待つお客さんの行列ができ、開店と同時に席が次々と埋まっていく。会社の同僚と思しき男女4人組、ご夫婦と思しき2人組、男性2人など、お客さんの組み合わせは実に多彩。その中で半分ほどが女性の1人客だ。
今回注文したのは、ランチメニューの中でも一番人気の牛しゃぶしゃぶフォーセット。ランチにはほかに鶏肉フォーセット、日替わりセットなどもある。価格はどれも1000円。
注文から約5分。ほとんど待たないうちに到着したセットの多彩ぶり、充実ぶりがすごい。牛肉のしゃぶしゃぶ、パプリカ、玉ねぎ、青ネギなどをのせたフォーを囲むように、おいしそうな具材が透けて見える生春巻きに揚げ春巻き、さらにトッピングして食べるレモンやもやしも添えられている。
「レモンをたらしてもらうとすごくいい味になります。食べるときにもやしをフォーに乗せて食べるとおいしいですよ」と金子さんのアドバイス。
早速いただきます。まずはメインのフォーから。麺は細切りの平打ちタイプ。意外なほどいい出汁がきいていて、それが平打ち麺と絡み、やさしい味が広がる。麺ののど越しが最高に心地よく、一口食べた瞬間に「毎日食べたい」と思ってしまうようなクセになる味だ。
辛さはほとんどなく、先ほど入れたレモンの酸味で食欲が進む。暑い国の料理だけにスパイシーなものを予想していたのだが、それとはまったく別物。ひたすらやさしく奥深いコク、まさに日本人好みの味だ。
「毎日、長時間かけて牛肉から出汁をとっています。昔ながらの本物の味です。私は頻繁にベトナムに行くのですが、最近は現地でもここまで手をかけて作るお店が少なくなって、ここで出すフォーのほうがむしろ昔ながらの手間をかけたおいしい味を守っているように思います」と金子さん。そのこだわり、丁寧さが行列のできる理由なのだろう。
フォーとともに提供された2種類の春巻きもおいしい。生春巻きの皮のもっちりさと具材のシャキシャキした食感がうれしい。初めて食べた揚げ春巻きはサクサクしたおいしさで、どれもクセになる。
ボリュームは十分。目の前の席に座る妙齢の女性がこのランチとともに、キンキンに冷えたビールを飲んでいた。何といううらやましい光景。店内にはスタッフの皆さんのベトナム語が心地よく響き、見渡せば緑の壁にヤシの木。一体ここはどこ? リゾート?と感じてしまうほどの異国的安らぎ空間である。
「夜もいいですよ」とは帰り際の金子さんのお言葉。ランチを食べながら、壁のメニューを入念にチェックしていたこちらの視線をお気づきだったのだろう。もちろん来させていただきます! ごちそうさまでした。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=夏井誠