◆お寺と神社、それぞれの中心は?
お寺と神社の違いは何より、「祀っているものが違う」ということに尽きます。
お寺の多くは、阿弥陀如来や不動明王、釈迦如来などの仏像や仏画を「ご本尊」として祀っています。
一方で神社の中心に祀られているのは「ご祭神」。
種類は様々で、宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)や天照大御神(あまてらすおおみかみ)など、古事記や日本書紀に登場する神々を祭神としているのです。
神社は他に、天満宮の菅原道真や、八幡宮の応神天皇のように歴史上の人物や天皇をご祭神とするケースも多くあります。
◆「目」で違いを感じよう
お寺なのか神社なのかを「見た目」で分けるポイントがいくつかあります。まず、鳥居があるのは神社です。
一方、お寺では鳥居と同じような役割として山門があり、山門の中に祀られているのは仁王像です。
仁王像は二対一対で神聖なお寺を守る役割を持っており、一方が口を開き(阿形:あぎょう)、他方が口を閉じた(吽形:うんぎょう)姿になっています。
「阿吽の呼吸」という言葉はここからなんです。
神社で仁王像と同じ役割となるのが「狛犬」。こちらも阿吽になっています。
また、お寺の御本尊は多くの場合、仏像や仏画として「見える」のですが、神社では神を宿す鏡や剣などは、一般の参拝者から「見えない」場所に置かれているという違いもあります。
◆「耳」で違いを感じよう
聞こえてくる音にも違いが。
神社で聞こえてくる祈りの言葉は「祝詞(のりと)」と言います。
「清めたまえと申すことを、聞こしめせと、かしこみかしこみも申す」と、古文のような言葉遣い。
一方、お寺で聞こえてくるのは「お経」。
例えば「観自在菩薩行深 般若波羅密多(かんじーざいぼーさーぎょうじん はんにゃーはーらーみーたー)」と、呪文のように聞こえるでしょう。
これは仏教がインド生まれの宗教で、古代インドの言葉に漢字が宛てられているので、日本語にない語感になっているのです。
また神社に勤める人を「神職(しんしょく)」や「神主(かんぬし)」と呼びます。宮司(ぐうじ)、禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)という言葉を聞いたことがある方もいると思いますが、これらは、神職(神主)の役職や階位を表しています。
お寺で修行をしたりお経を挙げているのは「僧侶(そうりょ)」です。いわゆる「お坊さん」ですね。僧侶のうち「住職(じゅうしょく)」が、各寺院の責任者ということになります。
ただ、大きなお寺では、住職ではなく別当(べっとう)や管主(かんしゅ)という呼び名になっている寺院もあります。
◆参拝方法の違いは?
神前や仏前で手を合わせるとき、「ここって、手を叩くんだっけ?」と、わからなくなったことはありませんか?
神社は「二礼二拍手一礼(にれいにはくしゅいちれい」、お寺は「合掌礼拝(がっしょうらいはい)」です。
つまり、手を叩くのは神社だけなんです。
なお、出雲大社(島根)や宇佐神宮(大分)など、「四拍手」する神社もあります。
お寺では、合掌礼拝の時に声に出したい言葉があり、それは、御本尊に合わせたものになります。御本尊が阿弥陀如来であれば「南無阿弥陀仏」、釈迦如来であれば「南無釈迦如来」など。
「南無」は宗教的に言えば「信じます」「帰依します」という意味になりますが、一般の参拝者ならば「ありがとうございます」といった感覚がマッチするでしょうか。
◆神社とお寺で同じ部分も
ここまで、神社とお寺の違いについて紹介して来ましたが。共通する部分も多くあります。
例えば「おみくじ」は、良源という僧侶がはじめたとされています。僧侶なので、お寺で始まったものですが、現代ではおみくじは神社でも当たり前のものになっています。
また、参拝の前に境内の入り口で手と口を清める「手水舎(てみずしゃ・てみずや)」も、共通するものです。
古代神道で、参拝前に川などで身を清めていたことが起源とされますが、現代では神社にもお寺にもあり、作法にも区別はありません。
◆神社とお寺は分けないのが日本スタイル
違う宗教なのに、なぜこんなにも共通点があるのか。それは、歴史を紐解くと見えて来ます。
実は、仏教が伝来した西暦500年代半ばから約1300年にも渡って、「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」と言って、お寺と神社をいっしょくたにして拝んでいました。
それが1868年に明治政府が「神仏分離令」を出して、神社とお寺を、政治的に分けたのです。
つまり、神社とお寺を区別する歴史は、まだ150年余りなのです。
神仏習合の名残は、全国の神社仏閣に残っており、東京では浅草寺にも見られます。浅草寺はお寺ですが、その境内に「浅草神社」が建っているのです。
このように、日本人はずっと神も仏も「だいじなもの」として一緒にお参りして来ました。
つまり、神道と仏教の区別を理解して、現代のそれぞれの儀礼に則って参拝するのも良いですし、特に作法を気にしていなくても「心を込めて」お参りするのも良いのではないでしょうか。
文・写真=Mr.tsubaking