大阪駅はなんと来年で150年!南ゲート広場の歴史パネル
まずは大阪駅の歴史からお話ししましょうか。説明するのにちょうどぴったりのパネルが南ゲート広場にあるんですよ。あまり人が通らないような場所ですけど、ここに大阪駅の歴史が詰まってるんですわ。
まずは初代の大阪駅。開業したのは明治7(1874)年です。149年前ですから、みなさんまだ生まれてないころですね。
この写真、見てみてください。なかなかハイカラな駅舎でしょう。
でも駅の前には、客待ちの人力車が停まっているだけで、何にもない。このあたりは、昔はなーんにもなかったんです。
もともとは「埋田」と言って、このあたりは湿地帯でした。地盤沈下も起こるくらいヌルヌルした土地で、そこを埋めて固めて駅舎を建てたんです。
最初はもう少し南の堂島に建てる予定やったんですが、当時は蒸気機関車ですから、煙がモクモク出る。「火の粉が飛んできて火事になったらどないすんねん!」と、住民から猛反対されたそうです。
「埋田」がなんで梅田になったかというと、墓地があったから「埋める」やと縁起が悪いと。それで、近くに植えられていた梅の木にちなんで「梅田」にしたそうです。今やったらそう簡単に地名なんて変えられませんけど、昔はそのへんゆるかったんですね。
2代目大阪駅の開業は明治34(1901)年。この頃の大阪は人口がどんどん増えて、すごく勢いがありました。
前は人力車が停まっているだけやった駅前に市電の停車場ができたり、駅ナカにビアホール風のレストランがオープンしたり。にぎやかで、華やかな時代やったんですね。
さて続いて3代目。昭和15(1940)年まできましたよ。それでもまだ生まれてへん人も多いかな。僕もギリギリ生まれてないですね。
大正後期から昭和初期にかけての、いわゆる「大大阪」と呼ばれる、大阪がおおいに栄えた時代を過ぎて、太平洋戦争が始まろうかというころに開業しました。
昭和54(1979)年まで約40年間使われた駅舎で、今の大阪駅のおおよその形は、このころにつくられたと言うてもええと思います。
ちなみにこのころには私鉄も走っていて、たとえばこの写真は、昭和9(1934)年のJR(当時は国鉄)と阪急(当時は阪神急行)の高架切替工事の様子です。JRを高架に切り替えて、逆に阪急を高架から地平に下ろすという大工事を、短い期間でやってのけたそうです。えらい大仕事ですね。
これは覚えている人も多いでしょう。昭和54(1979)年に開業した4代目です。
駅舎の向こう、南側(写真左側)に建っているのが「アクティ大阪」。北側の横に細長いのは「北ビル」です。ここには昔の、ふるーい喫茶店とか食堂とかが並んでてね。子どものころは親に連れられて行って「何食べる?何食べる?」言うてワクワクしたもんです。
このころは大阪駅の北側と南側で、完全に分離されていました。それをつないでひとつの「街」にしたのが5代目、今の大阪ステーションシティです。
大阪ステーションシティの開業は平成23(2011)年。今いるサウスゲートビルディングが3月にできて、4月に橋上駅舎、5月にノースゲートビルディングと、順番にオープンしました。
こうして振り返ってみると、大阪駅ってすごいですよね。駅舎が5代目っていうのはなかなか聞かないです。それだけ長い間、大阪の街をひっぱってきた場所やということでしょうね。来年で150年ですから。
明治時代の音が鳴る?駅の人々を見守り続ける「旅立ちの鐘」
初代大阪駅の名残が、今も残ってるってご存知ですか? 南ゲート広場から駅構内に入っていきましょう。
これは「旅立ちの鐘」といって、初代の大阪駅が開業した時から、汽車が出発する時間を知らせるために使われていた鐘なんです。よく手入れされて、今でもピカピカしてきれいでしょう。
今は待ち合わせスポットになっていますが、この鐘は、実は長いこと倉庫にしまい込まれていました。
太平洋戦争のころに取り外されて、戦後は駅長室に保管。再び日の目を見たのは4代目の駅舎ができてからで、「旅立ちの鐘」という名前がついたのもその時です。でも駅の改修工事が始まってまた撤去。出たり入ったり、なかなか落ち着かへんかったんです。
この「旅立ちの広場」に鐘が設置されたのは、大阪ステーションシティが開業してから。
毎時0分になると鐘の音が鳴るんですが、ちょっと鐘の中をのぞいてみてください。
何にもないですよね?揺らしてもたたいても音は鳴らないので、スピーカーで音を再現してるんですよ。
大阪ステーションシティを一望!模型2連発
次は、今の大阪駅の話をしましょう。いつどの建物ができたかがよくわかる模型があるんですよ。2階に上がって、阪急百貨店に続く歩道橋のほうに行ってみましょう。
この通路、「スカイウォーク」っていうんですけど、知ってました?人通りは多いんやけど、名前がついてて、こんな模型が置かれてるって、意識してない人も多いんちゃうかなと思います。
模型の建物に刻まれている数字は、開業した年。今のサウスゲートビルディングは、昭和58(1983)年に4代目として開業したビルをそのままに、南に増築してできたもんやというのがわかります。あ、1983年ってことは、今年でちょうど40周年ですね。
ちなみに模型のまわりの白い線は、実際の道路が描かれてるんですよ。足元もよく見ると、路線図なんです。駅名と、路線名がちゃんと書いてある。おもろいでしょう?
もうひとつ、ぜひ見てもらいたい模型がノースゲートビルディングにもあるんで、行きましょう。3階にある、オフィス棟の入り口です。お買い物客でも観光客でも、入り口部分は自由に入って大丈夫ですよ。
1/300スケールのなかなか細かいつくりで、上から見たらがどんな感じかな、というのがすごくわかりやすいんです。
ちなみに駅のホームを覆う大屋根に、雨水をためる役割があるのはご存じですか?
北から南に向かって傾斜しているのは、雨水を流して地下の貯水槽に送るためなんです。それをトイレや、植物への水まきに使う。エコですね。
貯水槽につながるパイプまで、この模型は再現しています。オレンジ色の車両の向こうに柱があるでしょう。これがそう。大阪環状線のホームはいつも混むので、この柱がジャマやなあと思うときもあるんですけど(笑)。エコのために必要なんやったらしゃーないですね。
どこにつながる?誰が通る?ナゾの通路
ところで今いる3階は、大阪駅の連絡橋口改札があって人通りが多いですよね。でもこのフロアにも、ほとんど人が通らないところがあるんです。なんでこんなところに通路が?って思うんですけど。
ご覧の通り、ほとんど人がいない。こんな広い通路やのに、トイレがあるだけですからね。でも、大屋根を見上げたり、行き交う電車を眺めたりするのにはいい場所ですよ。なんせ人がいないから、ゆっくり見ていられます。
いま大阪駅西側の開発がどんどん進んでいますから、新しい改札や駅ビルができたら、この通路にもたくさんの人が通るようになるかもしれませんね。
似たような通路がもう1本、同じ3階の反対側、東に向かっても延びています。これはコインロッカーに隠れていて、なかなか気づかない。
端まで行くと階段があって、カリヨン広場につながっているので、人混みを避けて阪急方面と行き来するのには便利かもしれないですね。
誰もが知るシンボル「金時計」にも発見あり!
最後にご案内するのは、「時空の広場」の金時計。これを知らん人はいないと思うんですけど、本物の金を使っているというのはご存じですか?
金色の丸い部分をよーく見たら、四角いものを何枚も貼り付けたようになっているでしょう。あれは本物の金箔。金沢の「箔一」という老舗の金箔を、1枚1枚丁寧に貼っているんです。
柱とベンチの部分は、これもまた本物の黒大理石。本物やから、冬でも冷たくない。体温が移ってなかなか冷めないから、ほとんど屋外みたいな場所でもずっと座っていられるんです。
この金時計、実はおしゃべりするんですよ。いや、声を出すわけじゃないんですけど。
柱の根元を、これまたよーく見てください。文字が刻んであるでしょう?「こんにちは。僕、金時計」って。
待ち合わせの目印になること、みんなが楽しく過ごせるようにすることが、この金時計くんの役割やそうです。
さいごに
よく通ってる場所でも、いつも見ているものでも、改めて見てみると「こんなんあったんや!」と発見があるかも。
広いひろーい大阪ステーションシティ、ぜひあちこちに目を向けて、街中を散歩するように楽しんでみてくださいね。