ツユのうまさにこだわる
『雪国』があるのは、東武伊勢崎線の梅島駅からすぐの場所。店の前から駅の出口が見えるという好立地だ。
ここのツユがめっぽううまい。しっかりした旨味とコクがありながら、スッキリとしている。カツオの香りが口中をかけめぐるような高級そば店のツユとは違う、じんわりしみてくるうまさは、まさに立ち食いそばの味。それの、極めてよくできたやつなのだ。
三代目店主の山田勇さんは、このツユを煮詰まって味が変わらないよう、慎重に管理している。とはいえ、1日のうちで時間が経てば、風味は変化する。その状態を正直にも、店頭でちゃんと表示しているのだ。また、かえしも同じように状態を表示している。なにもそこまでしなくても、とは思うが、これを確認しながらツユの味を楽しむのは、なかなか楽しい。まぁ、どの状態でも、おいしいことには変わらないのだけれど。
「雪国」は、もともと山田さんの叔父が、都電荒川線の三ノ輪駅前で営んでいた。その叔父は中華料理店もすぐ隣で経営していたが「雪国」のツユは評判で、「王電(王子電鉄)名物 雪国そば」と書かれた看板も有名だった。これが50年ほど前のこと。
その後、梅島で書店を営んでいた山田さんの父親が、叔父からレシピを学び、1979年に梅島の『雪国』を始めた。当時は立ち食いそばも景気が良かったため、商売替えをしたのだ。当時は三ノ輪「雪国」はまだあり、暖簾分けのような形だった。その後、叔父は三ノ輪の「雪国」を閉め、中華料理店1本とする。
店を継いでからの取り組み
当時の梅島は工場も多かった。大きいところでは東武電鉄の西新井工場や田辺製薬の工場があり、町工場も多くあった。忙しく働く工員にとって、手軽に食べられる立ち食いそばはうってつけで、かなり繁盛したという。
山田さん自身は、紙パッケージなどの設計デザインをする仕事をしていたが、20年ほど前、30歳のときにサラリーマンをやめ、店を継いだ。叔父、父親と受け継がれた作り方は、基本的に変えていないが、細部はいろいろとブラッシュアップしているという。
昭和の時代はいろいろと鷹揚だった。ダシの分量なども目分量だったらしいが、山田さんはきっちり計って安定した味を出せるようにした。その日の天気や湿度を見て水分量を調節し、ダシをひいているそうだ。張り出されたツユの状態も、細かくツユを管理しているからなのだ。
カレーの味も絶品!
大胆な試みもしている。大衆そば研究家の坂崎仁紀氏の協力のもと生まれた、シャウエッセンそばがそれだ。個性の強いシャウエッセンだが、しっかりとした『雪国』のツユとは、なかなか相性がいいのだ。そばもツユも熱々で出されるあつもりそばは、寒い冬にうれしい一品だ。
一方で変えていないものもある。カレーは創業当時から使っている、キングカレーのルーを使用。ベースに鶏ガラスープを使うのだが、これは叔父が中華料理店を営んでいた名残だという。スパイシーさよりもコクと旨味が印象的なカレーは、『雪国』のウラ看板メニューかもしれない。実際、カレーライスを単品で頼む人も多いようだ。
「叔父と父親が作ってきた味を守っていきたい」という山田さん。そのためのブラッシュアップであり、『雪国』のそばはかつてを伝えながら、さらに進化をしているのだ。
梅島の街も時を経て変わった。工場は姿を消し、個人商店はチェーン店に変わった。『雪国』の目の前は工事をしていて、今年の夏にスーパーマーケットのライフが開店する。ここに住む人達も、当然、変わっていく。
しかし、そんな中でも『雪国』は、昔の味を伝えるためしぶとく生き続けていくだろう。たとえば5年後、10年後、『雪国』のそばはどうなっているだろうか? 正直で几帳面な山田さんのことだ。時がたったとしても、変わらずうまいに違いない。
取材・撮影・文=本橋隆司