専用線は田浦駅のトンネルを出たあとすぐに北向きへ左カーブ[A]、北上してアミノ飼料工業工場のあった岸壁へ伸びていきます[B]。
その途中で、右手には小山があって、道路用の比与宇(ひよう)トンネルが口を開けています[C]。線路はこのトンネル内へも伸びていて、内部でスイッチバックする構造でした。海軍の時代は比与宇トンネルと小山は弾薬庫を兼ねており、内部に埋められた横穴が残されています。
道路トンネルの内部でスイッチバックする構造も、稀有な存在ですよね。「軌道終端」という掲示がありました。現役の頃はトンネル内部が併用軌道のようになっていたのか、はたまた、道路部分だけ舗装されていたのか、想像が膨らみます。
このトンネルを米軍撮影の航空写真で見ると、横須賀側の出口の先にも線路敷きらしきものが見られ、はたして線路は伸びていたのか気になるところです。
専用線同士の線路が十字交差!その形状に興奮する
で、スイッチバックした線路は[B]線と直交し[D]、先述した横須賀港湾合同庁舎[E]と倉庫群[F]へ伸びていきました。スイッチバックと交差で岸壁に線路が伸びていたのですね。そして大変気になるのが[D]地点の直行部分です。ここは立体交差ではなく平面交差、つまり線路が十字交差していました。
十字交差は路面電車でよく見かける構造ですが、現在はかなり数を消しており、現役は伊予鉄道大手町駅の軌道線と鉄道線の直交、名鉄東名古屋港の築港線と貨物線の直交が有名です。田浦にも廃線跡として残っていました。
しかも[B]線が複線のために、十字交差箇所が並列してあるという贅沢さ!
実は、私は十字交差する線路の造形が大好きです。何が大好きかって、まず線路同士が直角に交わるのが良い。中心部が「□」となっている形状が最高。井戸を真上から見たような造形美に惚れ惚れします。部屋の床に置いときたい。いや、庭を持つ家に住むようになったら、ひとまず十字交差を地面に埋めて、嫌なことがあったら無意味にトロッコを走らせてガタンガタンさせたい。というほど好きです。
2連続十字交差を見つけたときは興奮し、やたら撮影カット数が多かったです。寄りから引き絵まで、人を入れたり逆光にしたり……。さらに、横須賀市内空撮の時に寄り道して十字交差を空撮するほど。この線路造形が素晴らしいのです。
ここまで熱く語っておいて、現在はもうありませんだと寂しいですが、Googleストリートビューで見る限り2023年1月現在もまだ残存しているようです。ただ、踏切部分の線路は撤去されているようで、比与宇トンネルに至る線路の痕跡も、最近の道路工事によって様変わりしました。
田浦の専用線跡は十字交差がトレードマークとなって残されています。
史跡になるほど重要物件かどうかはさておき、港に張り巡らされた線路は、海軍の軍需物資、終戦直後の緊急食料輸送、米軍関連の輸送に活躍してきました。錆びて埋もれかけているレールには、激動の昭和を生き抜いてきた歴史が染み込んでいます。
取材・文・撮影=吉永陽一