コットン……きょん(トップ写真右) 西村真二(トップ写真左)
1984年生まれ、広島出身の西村と、1987年生まれ、埼玉出身のきょんによるコンビ。NSC東京校17期に入学、2012年にラフレクラン結成。2021年にコンビ名を「コットン」に改名。2022年KOC準優勝。
今回訪れたのは……『ヨシモト∞ホール』[渋谷]
2006年、芸歴10年以下の若手芸人を主力とする劇場としてオープン。看板芸人「ムゲンダイレギュラー」を中心に、時代の最前線を行く若手芸人が多数所属。同じビル7階の∞ドームでは、色とりどりの企画やオーディションライブを開催。
一発目で劇場メンバーになれた
――初めてこの舞台に立ったのは……?
西村 2012年の4月です。コンビ組んで、まだ10日とかそれくらいでした。4月1日にコンビ組んで、2日に(事務所に)申請出したと思います。
きょん ネタは何もない状態ですね。養成所卒業して2日後に組んだので。同期何組かに分かれて、∞の定期ライブへの出場権をかけて戦うんですけど、そこで上位4組に入れたんですよ。
西村 一発目で劇場メンバーになれた。これに関してはすごい。もうめちゃくちゃすごいですね。
きょん 売れるなと。
西村 恥ずいな。活字にしてほしくない(笑)。
人生最大の「やっちまった」
――∞で仲のいい芸人さんは?
西村 一番はネルソンズ青山さん、あとはダイヤモンドの小野さんですかね。
きょん ネルソンズさんとダイタクさんは∞の番長、みんなの兄貴ですね。あと僕は皆さんもおなじみのバビロン ノリ。
―― ……?
きょん 知らないんですか? もっと掘り下げなきゃダメですよ!!
西村 いや、掘り下げなくて大丈夫です。なんなら伏せ字で大丈夫。
――不勉強でした(笑)。∞での忘れられない思い出はありますか?
西村 3年目ぐらいで∞ホールのトップになった時、正月公演があったんです。当時僕らも休みはなくて、年末からいろんな劇場を行ったり来たり。それで、正月公演の出番いただいたときに、他の劇場から∞に着いて2人とも疲れて寝ちゃった。ステージに「ラフレクラン」って出て、でも本人たちがいない……舞監さんの判断で1回照明が落ちまして。明転して出ていったジャンポケさんが
「すいません、ラフレクラン死にました〜!」
――!!
西村 あれはやっちゃいましたね。今までの人生で一番ミスった。
きょん 両方寝ちゃってたからな……。でもそんな大ミスも先輩方が笑いに変えてくれたんですよね。
「お客さんによって育てられたし、お客さんによって殺された芸人もいます」
西村 コロナ禍で客席に降りるライブがなくなったから、さっき撮影で客席に座った時なんか懐かしかったです。
きょん もう中さんと客席から紙飛行機飛ばして競走したなあ。
西村 そういうワーキャーイベント、当時は迷いながらやってました。歯がゆい気持ちもあった。
きょん どんなイベントでも全力で乗って楽しませれば正義なんでね。
――お客さんは若い方が多いですか?
きょん 年齢層高くなってますね。
西村 9年目以下が神保町の漫才劇場に移ったのは大きかったかもしれない。でもそうなってより賞レースに強くなったのも確かで。若い子はアグレッシブに笑ってくれるイメージあるし、そういう劇場の時もあったからね。お客さんによって育てられたし、お客さんによって殺された芸人もいます。全てお客さんの「おかげ」だから、うん、難しいですよ。
――10年いるからこその言葉ですね。
西村 最近ようやくわかってきたくらいです。浮き沈みを経験してるから。栄華も見たし、どん底期もありました。
きょん 人気あった時は妬みもすごかったんですよ。最初の頃は池袋まで移動してチケット売ったり、即興でネタもやりました。なのに「ビジュアルだけで売れてる」とか、愛のないこと言う先輩たちもいて、それがすごく嫌でした。でもだから逆に頑張れたかもしれないですね。
同期の優勝に感じた「悔しさ」
――紆余曲折ありながら、キングオブコント準優勝……お二人の分岐点ってどういうところにあったと思いますか?
きょん 去年同期の空気階段がキングオブコントで優勝して、テレビで見ながらめっちゃ応援したんですけど、終わった後すっごく悔しくて。僕いろんなことパッと忘れちゃう方なんですけど、その悔しい気持ちだけは唯一残しとこうと思ってスマホのメモに「忘れるな、きょん」って書きました。
――なるほど。西村さんはどうですか?
きょん 一番近くにいるんでよく分かるんですけど、にっくんは本当に変わりました。
西村 今俺が話す番!
きょん 『しくじり先生』出演以降は全てが丸くなった。相方だからこそ感じる言葉の柔らかみというか。前までは今日イラッとしてるなとかこっちが気ぃ使う場面が結構あったんですけど、今それも全くなくてもう丸みしかない。
西村 諦めかもしれない(笑)。相方は言ったこと全部忘れちゃうんで、それにキレたりしてたんですけど、でもそれがきょんだから。
きょん 受け入れだ!
西村 諦めだ! やっぱり四六時中ネタのこと考えてたんですよ。今もこれからもそうだけど、でも2021年は確かにもう負けたくないと思った。
きょん 先輩たちの賞レースだったキングオブコントで、友達が優勝したんだもんな。
西村 気持ちの変化で言ったらマジでそう。2022年は自分自身を追い詰めましたね。
「人気者」も「どん底」も超えて
――ネタに対して真剣にやってきたからこそ、人気に左右されて消えていく人もいる中でこういう結果を出された。
西村 人気にかまけちゃったやつにはなりたくなかった。悔しかったんですよね、人気者って言われるのが。
きょん 今だったらそれに乗れますけどね。あの頃は腕がなかったんで。
西村 人気も実力も結果も残してないやつにバカにされたこと、「お前らに決勝なんか無理」「場違いだな」とか言われたのはやっぱ忘れられないですもん。
きょん 俺もそれはムカつくよ。でもにっくんは特に根に持っちゃうんでね〜。よかったです、僕相方で(笑)。
――いいコンビですね……。
きょん でも、例えば「誰かおすすめの芸人さんいますか?」とか聞かれても絶対その人たちのことは言わない。バビロン ノリさんって言う(笑)。
西村 あ、伏せ字で大丈夫です。
「芸人人生のスタートラインで、帰ってきたい場所」
――芸人さんにとって∞ホールはどういう存在でしょうか?
きょん まあ2つ目の実家ですかね。
西村 いろんな船が集まってくる――“ 港 ”ですね。
きょん 俺より強いの出すなよ!
西村 芸人人生のスタートラインだし、帰ってきたい場所。
きょん みんなそうだと思いますけど、オズワルドの畠中がよく言うのが
「あ〜今日の仕事は∞終わりだからうれしい」
って。その気持ちめっちゃわかる。
西村 一番恩返ししたいですね。コットン観にきたっていうお客さんで∞をバーっと埋めたら恩返しできんのかなって。
きょん 出番ない芸人が
「渋谷ブラブラしてたから遊び来ちゃったよね」
って来ちゃう。タバコ吸えるし友達いるし。
西村 だから芸人は晩婚なんです。この“実家”から離れない。
きょん にっくんは結婚しましたけど。
西村 僕はこの地下地獄ゲボ芸人どもから脱出しました!
取材・文=西澤千央 撮影=三浦孝明
『散歩の達人』2023年1月号より