ちょりんた(@chorinta)さんフォト_1
profile:ちょりんた
インスタグラマー
平日は会社員、週末はフォトグラファーとして活動。
Instagramでは、旅やアート、建築の写真や動画を発信。

開催中の「#SHARE_SHIZUOKAフォトコンテスト」は、静岡県の歴史・文化にまつわるスポットを舞台にした7つのモデルコースが用意されている。西部エリアでは、浜名湖を横断する歴史探訪コースや4つの市をまたぐ歴史と自然を満喫できるコースがある。中部エリアは寺や城といった歴史遺産だけでなく、海や山も巡る欲張りなコースと、見て触れるだけでなく味覚でも楽しむ五感満足コースを提案。富士・伊豆エリアでは修善寺を目指し伊豆半島を南下するコースと、伊豆半島南側を周遊するコースがある。

ちょりんたさんが選んだのは「三英傑の一人“徳川家康”ゆかりの地を巡る」という、広域エリアにまたがるコース。第1回ではその全貌を紹介したが、第2回は歴史にまつわるスポットにある、意義のある建造物をより“魅力的”に撮影するテクニックに迫ってみよう。

ちょりんたさんが最初に注目したのは、徳川家康が29歳から45歳という、激動の17年間を過ごした浜松城。この時代の家康は、三河から東の遠江(とおとうみ)まで勢力圏を広げ、駿河(するが)に侵入してきた武田信玄に備えるため、本拠地を岡崎城から浜松城に移している。三方ケ原(みかたがはら)の戦いで武田軍に手痛い敗北を喫したり、本能寺の変に遭遇して九死に一生を得るなど、文字通り苦難の連続であった。

そんな時代を過ごした浜松城の天守は、家康の時代に建てられたものではなく、昭和33(1958)年に野面(のづら)積みの旧天守台上に再建された復興天守だ。城跡は浜松城公園として整備され、市民の憩いの場となっている。

「古いお城が現存しているわけではないので、少し離れた場所から撮影して、新しさが出ないようにしたいですね。思いきり空の面積を大きくするのもいい方法だと思います」

ちなみに復興天守というのは、かつて天守が存在したことは確かだが、その規模や意匠に不明な点があり、推定部分や改変された箇所があるものを指す。それでも青空の面積を大胆に思えるほど大きくとった浜松城の写真は、確かに一幅の絵画のような美しさと威厳を感じさせてくれる。

空の面積を大きくとって、天守に浮遊感をもたせた1枚。撮影/ちょりんた(@chorinta)
空の面積を大きくとって、天守に浮遊感をもたせた1枚。撮影/ちょりんた(@chorinta)

浜松城でちょりんたさんの目にとまったもうひとつの場所は、資料館となっている天守の最上階だ。天守は地上3階、地下1階という造りになっていて、多くの人が1階に展示されている家康所用の武具や若き日の家康を描いたミニドラマ、それに最上階から望める浜松市街の眺望に注目しがちだ。だがちょりんたさんは最上階でも、その天井に描かれている歴代城主の家紋に着目している。

「ちょうど下の窓から差し込む光が天井に反射して、神々しい雰囲気を醸し出しているように感じました。いつ訪れても同じように光が差し込むことはないでしょうから、こうした好機を逃さないのが大事です」

天守最上階の天井に描かれた、歴代城主の家紋が神々しく光った瞬間を逃さない。撮影/ちょりんた(@chorinta)
天守最上階の天井に描かれた、歴代城主の家紋が神々しく光った瞬間を逃さない。撮影/ちょりんた(@chorinta)
撮影にベストな位置を素早くキープするちょりんたさん。
撮影にベストな位置を素早くキープするちょりんたさん。

浜松エリアは、ほかに浜松八幡宮と元城町東照宮を訪ねた。八幡宮の拝殿写真では、手前に木立を入れて奥行き感を出している。そして東照宮ではあえて全体を入れるのではなく、斜めからアップ気味に撮影し、動きが出るように工夫している。

ただ全体が入るように正面から撮影するよりも、いずれも見応えのある写真に仕上がっている。

浜松八幡宮の拝殿の撮影では、手前に木立を入れることで、奥行きを出している。撮影/ちょりんた(@chorinta)
浜松八幡宮の拝殿の撮影では、手前に木立を入れることで、奥行きを出している。撮影/ちょりんた(@chorinta)
元城町東照宮の拝殿では、あえて斜めから撮影して動きを意識した。撮影/ちょりんた(@chorinta)
元城町東照宮の拝殿では、あえて斜めから撮影して動きを意識した。撮影/ちょりんた(@chorinta)

そして映える歴史的建造物としてはずせないのが、静岡市内にある久能山東照宮である。歴史に登場するのは意外に古く推古天皇の御代、7世紀まで遡る。その後、寺院や城として栄枯盛衰を繰り返し、元和2(1616)年4月17日には戦国時代に終止符を打った徳川家康が、最初に埋葬された地だ。

まず驚かされるのが、社殿の絢爛豪華な姿であろう。日光東照宮よりも19年も前に建てられたもので、施されている彫刻や模様、組物などには桃山時代の技法も取り入れられている、江戸初期を代表する建造物。平成22(2010)年12月には、国宝に指定されている。

久能山東照宮の社殿に施されている彫刻や模様、組物などは、江戸初期を代表する建造物だ。撮影/ちょりんた(@chorinta)
久能山東照宮の社殿に施されている彫刻や模様、組物などは、江戸初期を代表する建造物だ。撮影/ちょりんた(@chorinta)
中国の故事が彫られた拝殿の蟇股(かえるまた)。細部までこだわり抜いた造りは圧巻のひと言。撮影/ちょりんた(@chorinta)
中国の故事が彫られた拝殿の蟇股(かえるまた)。細部までこだわり抜いた造りは圧巻のひと言。撮影/ちょりんた(@chorinta)

久能山東照宮でもちょりんたさんは、建物全体を撮影するのではなく、見せたい場所をアップにしたり、手前に何かを入れて奥行き感を出す構図のテクニックを存分に発揮。どうしても全体を写し、説明的な写真になってしまいがちな建物を、映える素材に変えた。

拝殿を横から撮影。手前に擬宝珠(ぎぼし)をぼかして入れ、奥には門を写すことで奥行き感が豊かな写真となる。撮影/ちょりんた(@chorinta)
拝殿を横から撮影。手前に擬宝珠(ぎぼし)をぼかして入れ、奥には門を写すことで奥行き感が豊かな写真となる。撮影/ちょりんた(@chorinta)
拝殿を撮影中のちょりんたさん。
拝殿を撮影中のちょりんたさん。

眩いばかりの装飾が施された社殿群のさらに奥に、家康の遺骸が埋葬された神廟がある。それまでのきらびやかな建物とはうって変わり、重厚な雰囲気が感じられた。家康は「我が像を西に向け葬るべし」と遺言している。遺志に従い、神廟は西向きに建てられているのだ。それは、西国には外様大名の領国が多かったからである。

「ちょうど周囲の木立を通して朝日が差し込んできたので、逆光を使ってエモーショナルな雰囲気を出しました」

朝の瑞々しい光が木立越しに差し込んだ瞬間を逃さない。あえてフレアが映るように計算している。撮影/ちょりんた(@chorinta)
朝の瑞々しい光が木立越しに差し込んだ瞬間を逃さない。あえてフレアが映るように計算している。撮影/ちょりんた(@chorinta)
ちょりんたさんはF値(絞り値)を大きくし、フレアを入れ込んだが、筆者は適正撮影なのでごく普通の仕上がりになっている。
ちょりんたさんはF値(絞り値)を大きくし、フレアを入れ込んだが、筆者は適正撮影なのでごく普通の仕上がりになっている。

神廟は東照宮の一番奥に建てられているので、帰路は階段上から社殿を見下ろす格好になる。そこから見えた桜色の提灯の列も、とても“映え”ていたので、ちょりんたさんは逃さずシャッターを切っていた。

ズラリと並んだ提灯がとても印象的、とシャッターを切ったちょりんたさん。撮影/ちょりんた(@chorinta)
ズラリと並んだ提灯がとても印象的、とシャッターを切ったちょりんたさん。撮影/ちょりんた(@chorinta)

久能山へのアクセスは、ほとんどの人がロープウェイを使用する。もしも可能なら、下りは表参道の石段を使いたい。こちらは眼下に広がる駿河湾と、御前崎から伊豆半島まで見渡せる美しい風景が、目を飽きさせないからだ。旅の達人でもあるちょりんたさんならではの映え写真がてんこ盛りなので、第3回目も大いに期待してほしい。

 

今回のラストは、東海道本線の興津駅からほど近い静岡市清水区にある清見寺である。ここは室町幕府を開いた足利尊氏も深く崇敬し、天下十刹制度に組み込まれ官寺として保護されたほどの名刹なのだ。

天下十刹制度に組み込まれ、官寺として保護された清見寺。撮影/ちょりんた(@chorinta)
天下十刹制度に組み込まれ、官寺として保護された清見寺。撮影/ちょりんた(@chorinta)

だが戦国時代になると、多くの戦乱に巻き込まれ焼失する。それを修復したのが、今川義元の軍師とも言われた太原雪斎禅師だ。家康は今川家に人質となっていた幼少期、この寺を訪れ雪斎禅師の手習いを受けたと伝えられている。

家康が大御所として駿府に戻ってきた際には、清見寺に何度も足を運んで、大方丈で能の舞を催したりしている。さらに作庭の指導まで行ったという記録が残る庭園は、国指定の名勝に指定された。しかし2022年の台風15号による豪雨で、庭園や書院の床下に土砂が入り込んでしまった。それでも、ちょりんたさんが撮影すると、美しい庭園が蘇った。

家康手植えの柏樹、命名された虎石、亀石、牛石という三名石が保存されている清見寺の庭園。撮影/ちょりんた(@chorinta)
家康手植えの柏樹、命名された虎石、亀石、牛石という三名石が保存されている清見寺の庭園。撮影/ちょりんた(@chorinta)

ここでちょりんたさんが、一番“映える”とお気に入りだったのが、廊下のガラスに風景が反射し、まるで大きな廊下のように見える写真が撮影できたこと。みなさんは、どちら側が本当の風景だかわかりますか?

ガラスに廊下や窓が映り、左右対称の広い廊下のように見える映え写真。撮影/ちょりんた(@chorinta)
ガラスに廊下や窓が映り、左右対称の広い廊下のように見える映え写真。撮影/ちょりんた(@chorinta)
寺の内観を撮影する際も、つねに人の目を驚かす要素を見逃さないちょりんたさん。
寺の内観を撮影する際も、つねに人の目を驚かす要素を見逃さないちょりんたさん。
緻密な幾何学模様のように見える甍(いらか)をフィーチャーして撮影。撮影/ちょりんた(@chorinta)
緻密な幾何学模様のように見える甍(いらか)をフィーチャーして撮影。撮影/ちょりんた(@chorinta)

かつて山門の目の前が東海道であったこともあり、江戸時代には朝鮮や琉球の使節が参詣、目の前に広がる駿河湾の風景を賞賛している。境内には正和3(1314)年に鋳造された梵鐘もあるので、「被写体には事欠きません」とちょりんたさんも大満足の様子だった。

昔は窓の向こうに駿河湾が迫っていた。今は埋め立てられ倉庫などが並ぶ。あえて青を協調し、ノスタルジックな雰囲気を演出した。撮影/ちょりんた(@chorinta)
昔は窓の向こうに駿河湾が迫っていた。今は埋め立てられ倉庫などが並ぶ。あえて青を協調し、ノスタルジックな雰囲気を演出した。撮影/ちょりんた(@chorinta)
逆光に向かって建つ鐘楼の力強さを表現。撮影/ちょりんた(@chorinta)
逆光に向かって建つ鐘楼の力強さを表現。撮影/ちょりんた(@chorinta)

第3回では風景に特化した、映え写真の撮影テクニックに迫ってみたい。

#SHARE_SHIZUOKAフォトコンテストが2023年2月28日まで開催中!詳細はこちらから!

取材・文・撮影=野田伊豆守

西部の浜名湖から中部の日本平、東部の富士山や伊豆半島まで、変化に富んだ自然が楽しめる静岡県。どこを訪れても四季折々、また1日のうちでもさまざまな表情を見せてくれる名所が、旅行者を迎えてくれる。そしてもうひとつ忘れてはならないのが、「ぶしのくに静岡県」を謳っている静岡の魅力を体感できる、歴史や文化と出会える名所に事欠かないこと。そんな魅力的な歴史・文化にまつわるスポットを舞台にしたフォトコンテスト「#SHARE_SHIZUOKAフォトコンテスト」が2023年2月28日まで開催されている。「歴史や文化に関係するものを撮影するなんて、ちょっと気後れするな」と諦めてしまうことなかれ。日本中を旅し、各地で旅やアート、建築をテーマにした“映え”写真や動画を撮影している人気インスタグラマーの「ちょりんた(@chorinta)」さんとともに、静岡の歴史・文化の新たな魅力を探しに出かけてみた。思わず誰かにシェアしたくなるような写真撮影のヒントがたくさん詰まっているので、ぜひ参考にして欲しい。3回にわたり、さまざまなアプローチ法に触れていくが、1回目はコース全体を紹介したい。
徳川家康は人格が形成される少年から青年にかけての時代、自身の気力だけでなく国力も充実していた壮年期、そして江戸に幕府を開いた後の大御所時代の3度、静岡で暮らしている。幼少の頃に過ごした故郷のような地であっただけでなく穏やかな気候、変化に富んだ自然が、家康の心を捉えていたようだ。そんな静岡を舞台に、2023年2月28日まで開催中のフォトコンテスト「#SHARE_SHIZUOKAフォトコンテスト」も、いよいよ大詰めだ。日本中を旅し、各地で旅やアート、建築をテーマにした“映え”写真や動画を撮影している人気インスタグラマーの「ちょりんた(@chorinta)」さんがこのフォトコンテストのメディア編集長となり、3回にわたり実際に静岡のスポットを訪ね、写真撮影のヒントやコツを紹介してきた。第3回の最終回では、静岡らしい自然と歴史が融合した風景を、より魅力的に撮影する方法に迫ってみたい。