店主は元サラリーマン
優しそうな笑顔が印象的な店主の末岩尚人さんに、店主になった経緯を聞いた。
「妻のお父さんが体を壊して入院したので、後を継ぐ話になりました。正直言って、迷いもありましたが、『やるぞ!』と決心をして思い切って、2019年に受け継ぎました」
気合が必要だったのもそのはず。末岩さんはそれまでワインの輸入業者でサラリーマンとして約20年働いており、銭湯の経営にはまったくの門外漢だった。
脱衣場に入って見上げると、東京の古い銭湯に特徴的な格子天井。
「一番古い記録が昭和7年(1932)なんですが、もっと以前からあったようです。この建物になったのは昭和28年(1953)です」と末岩さん。
すでに70年が経過した建物は、歴史を感じられるが古さや不便さも出てくる。末岩さんは、その歴史を守りながら使いやすくアップデートさせている。
「ロッカーの鍵やマットを新しいものにしました。他にも、脱衣所の空間が使いやすいようにテレビを壁掛け式にしました」
設備を変えるには、大きな工事が必要になるため簡単にはいかないが、少しでも居心地のいい場所を提供したいという思いが伝わってくる。
高い天井から入る光が、爽やかな水色の壁面にきらめく。末岩さんが、銭湯の仕事に携わって最初に実感したのは、この綺麗さを保つ大変さだったという。
「掃除は本当に大変ですね。しかも、サラリーマン時代は土日が休みでしたが銭湯はむしろ土日がメイン。最初は身体的にもかなりキツかったです」
この綺麗さは、その努力の賜物だ。
学びながら銭湯を育てる
綺麗に磨かれ整然と並ぶ風呂桶とイス。ボディーソープやシャンプーと言ったアメニティも完備されている。
かつては小袋で配っていたアメニティもボトルに変えた。ゴミも削減されSDGsにも寄与している。細かいところにまで気が回るような、銭湯運営のノウハウはどこで学んだのだろう。
「どこかで勉強をしたということはないんです。出入りの業者さんや近隣の銭湯の店主さんに教えてもらったり、大女将に聞いて模索しながら頑張っています」
『玉の湯』の浴槽は、ジェットバスにリラックスバス、薬湯など種類が多い。末岩さんもその魅力を次のように話す。
「この仕事をすることになってから、いろんな銭湯を巡りました。他を見て初めて、『うちは必要なものがちゃんと揃ってていいな』と感じました」
湯温も、メインが42.5度で日替わりの薬湯は38度と2種類。心地良さそうにじっくりと使っているお客さんをよく見かける。
銭湯という「場」はお店と利用者で作る
上段では、110度近くの高温になるというサウナ。
サウナ好きが増えたことで、新規の若いお客さんも多く来店するようになった。
いくつかの銭湯では、それによって常連客とのトラブルに発展することもあるというが。
「トラブルがあるにはあります。しかし、それを放置しないように心がけています。お店としてきちんと介在してしっかり解決して帰っていただくのが大事ですね」
スーパー銭湯やサウナ施設では、入場者に制限をかけることでトラブルを回避している。しかし銭湯は公衆浴場として、オムツの取れていない小さな子供も入れ墨のある人も受け入れる。その懐の広さを持ったまま場の安寧を保てるのは、利用者である私たちと店主の共同作業なのだ。
サウナブームの今でこそ、水風呂の大きさが求められるが、古くから営業している町の銭湯で、5人はゆったり入れるほどの大きな水風呂があるのは珍しい。
「チラーなどの冷却装置を使わずに、地下水100%の掛け流しにしています。冬は17~18度で夏場はぬるくなりやすいのでかけ流す水量を増やして冷たさを保てるようにしています」
美肌にいいメタケイ酸という成分が多く含まれた地下水は肌触りも柔らかく、サウナ後の「ととのい」をもたらしてくれる。
銭湯業界に飛び込んで4年の末岩さんは、この仕事の喜びを次のように話す。
「黙って入って来たお客さんが、お風呂上がりに晴れやかな表情になって帰っていかれる時は嬉しいですね」
その言葉通り、スッキリして風呂から上がると、思わず表情もほころぶのが『玉の湯』だ。模索しながら進み続ける「銭湯ルーキー」の情熱が感じられる銭湯、一度訪れて見てはいかがだろうか。
取材・文・撮影=Mr.tsubaking