東海道本線の明治期のトンネルが海岸へと崩壊する
私は毎年静岡県を空撮する業務があり、大崩海岸付近へ飛行することもありますが、石部トンネルを間近で撮影する機会は2016年の一度だけでした。というのも、大崩海岸より西側の焼津市内は自衛隊静浜基地の管制圏で、この圏内は許可なく飛行できないルールとなっています。(基地、空港などは軍民問わず管制圏というエリアがある)
圏内を飛行する事前申請と、管制官の許可が無いと飛べないため、用事がなければこのエリアを迂回して飛行します。石部トンネルは許可を得たときのわずかな時間で撮影しました。
大崩海岸は静岡市の安倍川の西側に位置し、高草山や日本坂峠のある山々が駿河湾まで迫り出す地形です。静岡市内と焼津市内との間に山々が迫り出しているため古来より難所で、海岸部は急峻な崖。国土地理院地形図を見ると、周囲は開けているのに「なぜここだけ?」と思うほど、大崩海岸部分は等高線が詰まっています。その名称からして崩落が絶えず、実際に海岸線沿いを縫う県道416号線(旧国道150号線)は、過去に崖崩れによって車が巻き込まれる死亡事故が発生してしまいました。
空撮は東京方面から飛行し、安倍川が見えるころになると前方に山塊と表現するのが適切なほど、山々が平地を遮って海岸部へ迫り出しているのが望めました。内陸側は標高500mクラスの山々がどこまでも連なり、地形の悪戯か、はたまた意地悪か、ここを行き交うのは容易ならざることだと分かります。
海岸線ギリギリに造られたトンネルが崩壊していく
石部トンネルの転機は、戦前の弾丸列車計画によって内陸部に掘削された日本坂トンネルです。戦争によって弾丸列車計画は中止したが、複線規格の日本坂トンネルを東海道本線へ活用しようと、昭和19(1944)年に線路を切り替えました。日本坂トンネルは2kmあまりある直線で、戦後に電化するまで蒸気機関車が行き交っていたことになります。
石部トンネルと磯浜トンネルは遺棄され、戦後の昭和23(1948)年のアイオン台風によって西側の坑門がゴッソリと崩落してしまいました。海岸線沿いの線路の路盤も立派な石積みでしたが崩落してしまいます。
やがて東海道新幹線建設によって、東海道本線日本坂トンネルを新幹線用にすることとなり、海岸線ルートの石部・磯浜両トンネルを再利用します。とはいえ海岸部は崩落している。そこで石部トンネル東側、磯浜トンネル西側部分を再利用し、両トンネルの内部から新規に掘削して一つのトンネルとして繋げました。海岸部分だけ遺棄した状態での再復活です。一つのトンネルとなって、名称は「石部トンネル」になりました。
両トンネルの残りの部分は遺棄されたままとなり、今回の主役である石部トンネルの旧西側坑門は、大崩海岸の崖下で眠っています。多くの愛好者がこの崖を降り、朽ちていく坑門とトンネルを見つめてきました。それをブーンとひとっ飛びして現場上空へ訪れるのは簡単すぎやしないかと、心のどこかで引っかかる気持ちもありましたが、空撮でないと見られない姿もあるのです。
坑門は長年の風雨と波に晒され、打ち寄せる波の影響なのか、土台となる地面ごとさらわれてしまい、上下線の石積坑門はポッキリと折れています。
下り線トンネルは海岸に迫り出しながら石積の擁壁で覆われ、城壁の様相です。上り線の坑門は「鉄道廃線跡を歩くⅧ」(JTBパブリッシング)の取材だと壁柱や迫石まで残存していましたが、2016年の空撮では巨人の手でもぎ取ったがごとく斜めに損壊しており、石積坑門が地面に叩きつけられてバラバラになっています。
こうして侵食しやすい海岸の遺構は、砂上の楼閣の如くボロボロとなって海岸の石場と同化していく運命……。月日を追うごとに形を変えていきます。その姿を上空から捉えると、崩壊しているパーツが生々しく客観描写され、胸が締め付けられるような、しかしながら崩壊していく美に取り憑かれたような複雑な感情が織り混ざり、心の中で波を立てて渦巻きました。空から見るだけでも強烈な印象を与える旧西側坑門。これが地上ではどんな感情に支配されるのだろう。
磯浜トンネル旧東側坑門の行方
そしてもう一つ気になる存在の磯浜トンネル旧東側坑門は、上空から見つけられませんでした。地上を探索したレポを読んでも見つからなかったというより、その場所は現在産廃処理場となって埋められてしまっているのです。完全に山の斜面へと没してしまい、その名残りを見つけることは不可能となっています(それに、私有地ですし……)。
想像図を描いてみた↓
では、自宅で出来る追憶の遺構探しとして、地図・空中写真閲覧サービスの航空写真を追います。戦後すぐの1946年米軍撮影と1977年地理院撮影の写真を観察すると、崩れかけた石部トンネル旧西側坑門から石積の上を線路跡の路盤が続いて、緩い弧を描いて陸側へ分け入り、ぷつっと途切れています。途切れている箇所が磯浜トンネル旧東側坑門の位置ですね。
<国土地理院ウエブサイトの航空写真からトンネル部分の変遷を追う>
1987年の写真ではその位置が確認でき、1988年の写真では業者が土砂を流入させているのが確認できたので、この2年間に旧東側坑門は土中に埋まったのでしょう。
どんな形状の坑門であったのか、それは反対側の坑門を見れば分かります。磯浜トンネルは東西どちら側の坑門も同じ形状でした。反対側は東海道本線として現役で、抗口部分がコンクリート補強されていますが、石積の単線トンネルが2つ並んでいます。
ということで、前後編と2ヶ所の廃トンネルの空撮を紹介してきました。たまには空から見る視点も新鮮です。次号は再び地上からお伝えします!
取材・文・撮影=吉永陽一