病気になってからの食事制限ではなく“病気にならない食事”を提供したい
東銀座駅を出ると、目の前は高層ビルをバックにどーんと構える歌舞伎座。その裏手の路地を入ったところに、『薬膳Dining&Bar 銀座しんのう』がある。
扉を開けるとすぐにバーカウンター、奥にはテーブル席。2階にもテーブル席がある。2階に上がると、出迎えてくれたのは店主の三上康介さん。
三上さんは岩手県のご出身。料理人だった父親の影響もあって、小学生の頃から料理に興味があったそう。料理の専門学校卒業後、地元の老人保健施設に就職。「給食のお兄さんとして入所者のおじいちゃん、おばあちゃんの食事を作っているなかで、薬膳を知ったんです」。
食事の配膳をしながらお年寄りと会話をするなかで、みんな食事をすごく楽しみにしていることを感じた三上さん。疾患があって塩分制限している人が「なんでこんなに味がないんだ」と言っているのを聞いて、次の日にちょっと加減してあげたら、「今日はうまかった!」と笑顔が見られたなんてこともあったんだそう。
「それでもやっぱり制限はしなくてはならなくて、だったら、病気になってから制限する食事じゃなくて、“病気にならないような食事”を提供できればみんな笑顔になれるのかな、って思っていたときに、栄養士さんから薬膳っていうものを教えていただいたんです」。
「これは面白い」とピンと来た三上さん。ただ勉強するだけでなく、それを生業としてやっていけたらと考え、一念発起して老人施設を退職、上京して薬膳の専門学校に入学した。「上京してからは薬膳の学校に通いながらいろんなお店で料理の勉強をさせていただきました」。
薬膳の学校では中医薬膳師、国際薬膳師、国際中医師の資格を取得。「資格を手にしてからも自分的にはまだ納得いかなかったので、学校を卒業してから2年くらい料理の修業に集中して、それから物件探しを始めました」と三上さん。
満を持して2020年、故郷である岩手のアンテナショップも近いここ東銀座に『銀座しんのう』をオープンした。
薬膳のイメージがひっくり返る、彩り豊かで奥深い味わいのキーマカレー
ランチタイムの一番人気メニューは薬膳キーマカレー。この日は三上さんイチ押し、薬膳キーマカレーにモルネ―ソース(ベシャメルソースにブイヨンとチーズを加えたソース)をトッピングした薬膳チーズキーマカレー1600円を注文。
ドーナツ状に盛られたご飯は三上さんの地元・岩手県産のひとめぼれ。「僕の高校の同級生の実家で作っている特別栽培米を使っています。おいしくて健康にいいお米です」と三上さん。
キーマカレーはしっかりとした味付けで、まろやかなモルネ―ソース、ヴィシソワーズと合わさってちょうどいいバランス。スパイス感はあるがそんなに辛くなく、むしろ甘みのようなものを感じる。でも味わっているうちにやっぱり辛さも感じるような……。いつまでも口の中に置いておきたい気がしてきた。こういうのを「深みのある味わい」というのだろう。
「キーマカレーの材料は主に合挽き肉と玉ねぎ、それから20種類以上のスパイスが入っています」と三上さんが教えてくれた。「材料に砂糖は使っていません。最初に感じた甘みはカレーに混ぜ込んでいる“甘草(かんぞう)”という生薬です。甘草は食欲不振や疲労回復に効果があります」。
スパイスはカレーに混ぜ込んでいるほか、食感や香りがいいものは上からパラパラとかけている。上からふりかけられているのは、カスリメティ、セージ、タイム、バジル、ピーナッツの5種類。それぞれ消化不良や抗菌作用、滋養強壮などの効果があると言われている。
この日の付け合わせは野菜チップ(サツマイモ)、キャロットラペ、キャベツとクコの実の塩こうじ漬け。野菜チップはレンコンやカボチャなど、季節によって変わる。
今まで筆者が抱いていた薬膳料理のイメージは「味が薄そう」「苦そう」だったが、いやいやどうして。「砂糖は使わず、塩もできるだけ使わない」と三上さんは話すが、どれもしっかりとした味付けで奥深い。そして食感も楽しい。
おいしいうえにカラダにいいなんて、そんなうまい話があっていいのだろうか。三上さんの豊富な薬膳の知識と確かな調理の技術によって、こんないい思いをさせてもらってるんだなあ。感謝、感謝。
ふだんの食生活にも薬膳を取り入れてほしいという思い
ディナータイムには、韓国のサムゲタン、インドネシアのバクテー(豚のスペアリブ)、インドのタンドリーチキンなど各国の薬膳料理のほか、さまざまな料理を薬膳にアレンジしたメニューがいただける。
から揚げやポテトフライといった居酒屋メニューはもちろん、砂糖を使わずに羅漢果という甘い生薬を使ったクワの葉のティラミスや、フランスのパンデピスというスパイスを使ったパウンドケーキなどのデザートもある。
「夜は、食事ももちろんですけど、薬酒をお出ししています」と三上さん。お酒の担当は、三上さんの弟で薬膳コーディネーターの隼平さんだ。30種類以上のオリジナル薬酒をそろえ、お客さんの体質や体調によって、合うお酒をすすめてくれる。好みによって、ソーダ割りやジンジャーエール割りなどのアレンジも。
アルコールって薬膳的にOKなんでしょうか? 「もちろんです。医療の医っていうのは、昔の漢字で書くと、下に酒っていう漢字がありますよね。お酒は古くから医療で使われてきたものなので、理にかなっているんです」。なるほどですね。
「まあこれを1回飲んだからといって、もちろん治るわけではありません。こういうことを日常に取り入れていただければ」と三上さん。
先に話した「味が薄そう」「苦そう」のほかにもう1つ、筆者が持っていた薬膳のイメージがある。それは「どのように手に入れればいいのかわからない」だ。薬膳をどうやって日常に取り入れればいいんだろう。教えて、三上さん。
「薬膳イコール漢方っていうわけではなくて、薬膳って、ふだんの食生活の中にあるんですよ。例えば、秋だったら白い食べ物を意識して食べれば、それだけで冬に向けての体作りになります。お味噌汁だって1つの薬膳です。季節によって、例えばちょっとミョウガを入れれば、それで春の薬膳になります。貧血気味のときにはキクラゲを入れてみたり。それだけでいいんです」。
なるほど。自分でちょっと意識するだけでふだんから薬膳の恩恵にあずかることができるんですね。これならお家でもできそう。
「簡単なことからでいいから、自分の体質に合わせたり、季節に合わせたりしながら、もっと身近に薬膳を取り入れていってほしい。“食によるセルフメディケーション(自分自身の健康管理)”を世の中に発信していきたい」と三上さん。
今回はおいしい薬膳ランチで心もカラダもポカポカにしてもらった。この次来るときは自分に合う薬膳酒もぜひ味わってみたいなあ。寒い冬を元気に乗り切るためにも、近いうちにまた伺いたい。次に来るまでの間、ふだんの食事も薬膳を意識することを心がけてみようと思う。
取材・文・撮影=丸山美紀(アート・サプライ)