まずは米沢市の玄関口「JR米沢駅」。
江戸からは新幹線で約2時間。
米沢駅のホームに降り立つと、でっかい米沢牛が出迎えてくれる。
それでは米沢の旅、いざ出陣!
やまがた愛の武将隊とは!
やまがた愛の武将隊は、2010年に結成された山形県所縁の戦国武将隊。東北山形の地で覇を競い合った戦国期の武士たちが、観光PRこそ現代の戦場と捉え山形県全域の歴史文化や、地域色豊かな数々の魅力を全国各地に伝えている。
刀と甲冑、火縄銃『宮坂考古館』
まず初めに紹介するのは、駅から徒歩8分ほどのところにある『宮坂考古館』。
ここは初代館長である故・宮坂善助殿が80年余りの生涯をかけて集めた甲冑、武具、屏風など歴史的・文化的価値のある品々が納められた博物館である。
義光公が特に気に入ったのはやはり甲冑。
ここには上杉家初代ご当主・上杉謙信公、二代目・上杉景勝公、戦国一の傾奇者・前田慶次殿、そしてNHK大河ドラマ「天地人」で名を馳せた直江兼続殿等、上杉家ゆかりの甲冑などが展示されておる。
直江殿と言えば、愛の前立てが有名であるが、こちらは慶長5年(1600)の「北の関ケ原」と言われた慶長出羽合戦において、我ら最上家と戦った際に着用していたと伝えられる甲冑である。
その他にも、謙信公愛用の刀剣や螺鈿(らでん)細工が施された美しい槍、上杉の鉄砲隊が用いた銃砲など、武士の心意気や戦の激しさを伝える武具などが展示されておる。
竜が生まれ龍が住まう地『上杉神社』
『宮坂考古館』からバスに乗って約22分。ここはかつて上杉氏の居城・米沢城があった場所で、現在では軍神・上杉謙信公をお祀りする神社である。
春は「上杉まつり」、夏はお堀で「米沢納涼水上花火大会」、秋には「なせばなる秋まつり」、そして冬には「上杉雪灯篭まつり」と季節毎に祭りが催され、近くの松が岬公園では子供たちが遊び、全周約1kmのお堀の周りを多くの者が散策を楽しんでおる。
ここは観光だけではなく、市民の憩いの場でもあるのだ。
これからの時期は街灯がオレンジ色に変わり、雪を湛えた樹木が街頭に照らされてまるで満開の桜のように美しい。
さて、上杉の城下町として栄えた米沢であるが、実はもう一人、忘れてはならん御方がおられる。
それは伊達家17代当主・伊達政宗公である。
伊達政宗公と言えば、独眼竜と呼ばれ数々の戦で活躍し、後に仙台藩祖となり杜の都・仙台を拓いた御仁である。ゆえに仙台の印象が強かろうが、実は生まれは米沢なのだ。
かつて米沢は伊達領であり、政宗公は24歳まで米沢で過ごし多くの戦へと出陣したと伝わる。それゆえ上杉神社には「伊達政宗公生誕の碑」がある。
義光公は政宗公の伯父である。伊達家と最上家は度々戦があったが、石碑を見る殿は誇らしげであった。
そんな姿にわしは心を温められたが、冬の上杉神社はやはり寒い。
次はホッと暖まれる場所を紹介仕(つかまつ)る。
歴史と大地を味わう『東光の酒蔵』
「東光」は古くから米沢の民に親しまれ、地元では専(もっぱ)ら社名ではなく「東光さん」と呼ばれておる事からも、いかに愛されているかわかるであろう。
『小嶋総本店』の創業は慶長2年(1597)。
上杉家の御用酒屋として隆盛を極め、飢饉で禁酒令が出された時も、神事や催事用の酒造りを認められたほど上杉家から愛された酒蔵である。
早速一献といきたいところじゃが……その前に、酒蔵見学と参ろうか。
明治期の酒蔵を再現した館内には、当時使われていた酒造りの道具が展示されおり、一際目を引くのは六尺(約1.8m)の大きな酒樽!
大きな酒樽が整然と並ぶその迫力に、殿もわしも気圧されるほど。
酒造りの道具には「うまい酒」を造る為に力を尽くした杜氏達の魂が宿っておるのかもしれん。
資料館を案内して頂き、いよいよ一献。
資料館に併設された蔵元直営の販売所では、お買い物や試飲が楽しめるのだ。
此度(こたび)は、この志村光安が馳走になり申す!
一口含むと甘みとうま味がじわりと広がり、鼻から抜ける薫りとともに「美味い」と自然とこぼれた。その薫りに誘われて「もう一口、もう一口……」と盃が進んでしまいそうじゃった。
酒造りの歴史と美味い酒を味わい、すっかり温まり申した。
通販等で便利に買い物が出来る時代なれど、実際に足を運ぶ事で感じられる事もある。
終いに
如何であっただろうか?
此度の旅で我らも米沢の魅力を再発見いたした。歴史ロマンや美味しいもの、普段住んでおると気づかぬものでも、こうして歩いてみると改めて様々な魅力に出会う事ができた。散歩とは良いものじゃ。
皆も米沢に来て、その魅力に触れて欲しい!
次回は上杉家筆頭家老・直江兼続殿が米沢を紹介致す。次回もお楽しみに!
取材・文・撮影=やまがた愛の武将隊