言葉もおぼつかないなかで見つけた救いの場
「1985年くらいかな。ウイグルにも、日本製の車が入ってきたり、テレビ番組が放送されるようになったりしたんですよ。映画も観ました。高倉健の『君よ憤怒の河を渉れ』とかね」
スラジディン・ケリムさん(44)はそう話す。子供の頃から文化に触れ、親しんでいた日本に、留学生としてやってきたのは2001年のことだ。当初は言葉もおぼつかないし、異国での生活はわからないことだらけ。不安ばかりの日々のなかで、代々木上原にあるモスク、東京ジャーミイのことを知る。ウイグルの人々の多くがそうであるように、イスラム教徒のケリムさんにとって、この日本最大のモスクは安らげる場所だった。
そこで広報を務めるイスラム教徒の日本人から、ケリムさんは声をかけられたのだ。
「金曜日には必ず来るようにしなさい、いろんな人が訪れるからって言ってくれたんです」
イスラム教の休日である金曜日の礼拝には、たくさんの人が参加する。東京ジャーミイにも、都内や近郊に住むイスラム教徒が集まってくる。異国暮らしの寂しさを埋めることができるし、人脈も広がる……そう思ってのアドバイスだったのだろう。
「だから毎週金曜日は授業を少なくして、東京ジャーミイに行っていました」
こうして生活の軸をつくったケリムさんは次第に日本に慣れ、日本語学校から大学に進学。卒業後は日本の会社でマーケティングの仕事をはじめた。
「でも、日本人はウイグルのことをあまり知らないんですよね。モンゴルと間違えられることもありました。それが悔しかった」
その頃ケリムさんは「シルクロード倶楽部」という日本とウイグルの文化交流団体に参加していたが、同じメンバーだった日本人教師に、今度はこう諭された。
「自分たちの文化を活かせる場所をつくりなさい」
ウイグルといえば豊かな食文化ではないか。教師はそうも言った。だからケリムさんは起業し、「場所」をつくってウイグルの文化を発信するため、レストランをオープンしようと決めたのだ。
ウイグル民族の魂、羊料理のオンパレード
「店をつくるなら、東京ジャーミイのそばにしたかったんです」
と、西新宿のこの地を選んだ。ウイグルの人々だけでなく、イスラム教徒がハラル食を楽しめる場所にもしたかった。そしてなにより、日本人に来てほしい。
「ここは在日ウイグル人たちの窓口であり、日本人とウイグル人の文化交流の場所でもあるんです」
こうして開店した『シルクロード・タリム』の売りは、遊牧の民らしく羊料理の数々だ。
「羊を使った料理の種類がいちばん多い民族がウイグル。東京でいちばん多いのもここです」
と、ケリムさんは胸を張る。となれば、羊の串焼き「ズク・カワプ」は外せない。羊の旨味が噛むほどにじみ出る。羊を使ったミートパイ「ゴシ・ナン」もいける。
ほかにも羊のタンや胃袋を使ったもの、羊の肉まんやスープなど、メニューは羊ずくめだ。
「それと、ウイグル料理では麺をよく使います。雨が少ない地域のため小麦しか栽培できなかったから、小麦粉を使った麺がよく食べられるようになったんです」
店内のオープンキッチンからは、麺を打つ威勢のいい音が響く。熟練のシェフが、小麦の塊を手延べでみるみる細い麺に仕上げていく。コシの強いこの麺の上に、羊肉と野菜の炒めものをかければ「ラグメン」の完成だ。ウイグルのソウルフードともいえるこの一品も、ぜひ食べたい。
「料理はすべて手づくりです。だから手間がかかるんですが」
それでもウイグルの味を知ってもらいたいと、シェフたちはていねいな作業を地道に続けている。その姿は日本の職人のようだ。肉料理の油を洗い流すには、なつめ茶がぴったりだ。それに「カンカ」というタクラマカン砂漠に生育するニンジンを使った滋養強壮のお酒も人気なのだとか。
2000人の在日ウイグル人と日本人との交流の場
羊肉の味わいを際立たせるのは、ウイグルでも栽培されているクミンや山椒、ブラックペッパーなどのスパイスだ。
「同じクミンでも、例えばインドのものとはぜんぜん違います」
ウイグル料理にはウイグル産のスパイスがいちばん合うのだ。
しかし近年、中国政府によるウイグル弾圧が問題視される中で、食材の輸入が滞るようになった。それでも独自のルートでウイグル産のスパイス類を輸入し、伝統料理をつくり続けている。
「大変な状況ですが、そうしてこの店を守って生きているんです」
いま日本に住むウイグル民族は2000人くらいではないかとケリムさんは言う。留学生が中心だ。優秀な成績を収め、日本企業に就職する人も多い。東京を中心に、千葉、埼玉、神奈川の首都圏に散らばって住んでいるそうだ。
その在日ウイグル人の中には、故郷の家族と連絡がつかない人もいる。身の危険があるからと帰れない人もいる。日本で暮らすしかない人も多い。
「日本に来て21年になりました。日本、大好きです。第2の故郷です。私たちは第1の故郷を失ってしまった。さらに第2の故郷まで失いたくない。だから日本人と一緒に、この店を守りたいんです」
ケリムさんは切実に、真剣な顔で語る。ウイグルの実情に興味を持ったなら、まずは食文化を知りに、訪れてみてはどうだろうか。
『シルクロード・タリム』店舗詳細
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2022年12月号より