実は庶民的なパン屋さん
『丸栄ベーカリー』の最寄り駅は学芸大学駅なのだが、歩いていくと10分以上かかる。商店街を抜け、クネクネした道を進んで目黒通りを左折、目黒通りを目黒駅方面にしばらく進んだところにある。
目黒通りは、インテリア通りとも呼ばれ、センスの良い家具を並べた店が多く並んでいる。インテリア関係の店が多いのは目黒川から下目黒ぐらいまでだが、その先もおしゃれ感は続く。たとえば車のディーラーも、ボルボ、プジョー、ヤナセ、フォルクスワーゲンが並んでいるのだ。偏見まみれではあるが、いかにも目黒らしい通りなのだ。
そんな目黒通りにある『丸栄ベーカリー』なのだが、入ってみると、実に庶民的なベーカリーだったりする。なにしろトップ画像のクリームパンは160円。しかも通常のクリームパンよりひと回り大きいとくる。自家製のカスタードクリームはリッチさありつつ、スッと舌になじむ風味で、ふんわりしたパンとの相性も抜群。目黒でこんなパンが食べられるの? と軽く感動してしまう。
ドライバー客に人気に
『丸栄ベーカリー』現店主で三代目の柴田吉文さんによると、もともとこのあたりには庶民的な店が多かったのだが、年月を重ね、だんだんに減っていった。代わりにおしゃれな店が増えたから、最近の目黒にはおしゃれなイメージがあるのだという。よく見れば、『丸栄ベーカリー』のすぐ横には、昔から続いているであろう車の整備工場があった。なるほど、この景色がもともとの目黒なのだ。どうやら、中目黒や自由が丘のイメージに引っ張られすぎていたようだ。
そんな、昔ながらの目黒の店である『丸栄ベーカリー』は、1959年に創業した。初代の柴田久夫さんは、戦後、名古屋で菓子の販売をしたりそろばんを教えたりしていた。その後、目黒駅近くにあった『丸栄ベーカリー』(現在は閉店)に嫁いだ姉に紹介され、上京。技術を学んだ後に、現在の場所でベーカリーを始めた。当時の久夫さんは40代。かなり思い切った決断に思えるが、パンがまだ一般的には新しい食べものだった時代。その将来性に賭けたのだろう。
繁華街から離れていて当時は周囲も畑ばかりと、不利な立地に思えるが、交通量の多い目黒通り沿いだったため、開店当時からドライバーに人気だったという。当時はまだコンビニのない時代。朝早く、車で現場に向かう職人にとって、運転しながらかじれるコッペパンはありがたい食べものだったのだ。
ちなみに目黒の『丸栄ベーカリー』から暖簾分けしたベーカリーは、現在、清瀬にある。閉店してしまったが、方南町、池上、駒沢にもあったという。『丸栄』は一大勢力だったのである。
100年続くベーカリーに
学芸大学の『丸栄ベーカリー』は久夫さんの後、二代目の柴田勝久さんに引き継がれ、さらに97年に三代目の吉文さんが店に入った。そのタイミングで店をリニューアルし、対面販売からセルフ式にし、看板も現在ある「MEGURO Maruei」に変えたのだという。
さらにパンのラインナップにも手を加えた。従来の看板商品を残しつつ、ハード系のパンを入れたのだという。ハード系のパンはスタートから好評で現在も人気商品だが、それでも『丸栄ベーカリー』の看板商品は昔からあるタマゴパン160円だという。
このタマゴパンは、自家製のマヨネーズを使用していて、まろやかな酸味と甘みが、玉子の風味を引き立たせている。とんがったところのない、昔ながらのおいしさだ。吉文さんは店のモットーを「子どもからお年寄りまで喜んでもらえる、毎日、買いに来てもらえるようなパンを作り続ける」としている。このタマゴパンは、まさにそんなパンだ。
『丸栄ベーカリー』のパンは、どれもひと手間がかかっているのに、なじみやすいおいしさがあって、安い。これを続けるのは並大抵のことではないが、地域密着型の町のパン屋さんでは、一番、大事なことだろう。
吉文さんは「100年続けたい」と言っていたが、飽きられない味というのは実に強く、しぶとい。昔ながらの目黒のパンは、これからも長く愛されるはずだ。
取材・撮影・文=本橋隆司