それでも今は無き新榮堂書店池袋店で気まぐれに上巻を買うと、学校の授業中もずっと読み耽り、その日のうちに読了した。
次の日、下巻をやはり今は無き雄峰堂新井薬師店で通学前に買い、これもその日のうちに読み切った。そんなことは初めての経験だった。
童貞の僕にとって緑はエロカワだったし、登場人物の大半が自殺という設定に心地よい喪失感を得た(数年後に読み返したところ、いつもセックスの話ばかり振ってくる緑にげんなりし、全編に会話が多すぎてバランスを欠いてると感じた。それでも思い入れの強い本なので、いまだにトラン・アン・ユン監督の映画は未見だし、出演者が誰なのか、視界から積極的に排除している。次に読み返したときに脳内で、その俳優で変換されるのが嫌だから)。
閑話休題。ほどなくして『ダンス・ダンス・ダンス』が出てそれもじっくりと読んだ。それからデビュー作の『風の歌を聴け』から順に、数冊のエッセイと翻訳を除けばほとんど読破していると思う。
さて、なんで村上春樹が日本の作家でここまでウケたのか。ちょっと分析してみましょう。
①欧米を中心とした先進国は「大人になりきれない大人たち」が社会全体の主流になっている。読者からの相談に答える『そうだ、村上さんに聞いてみよう』で、「20歳を過ぎたけど大人になった実感がありません」という問いに、春樹が「30歳で大人になればいいじゃないですか」という旨の返答をしていた。僕なんかは正直ゾッとしながらも、「自分がどういう人から好かれているか、やっぱりこの人よくわかっているわ」と思ったものだ。「やれやれ」と呟きながら絶望ピクニックを堪能する、飢餓や戦争とは無縁の文化圏で暮らす世代からの支持を集めたわけです。
②川端康成が日本人初のノーベル文学賞を獲得した理由は、ジャポニズムを全面にアピールしたことと、E・G・サイデンステッカーが訳してくれたから。『考える人』のロングインタビューで、英語を喋れるため自分で翻訳者を選んだと春樹は語っていたけどこれは大きい。春樹はジャポニズムと真逆。17ヶ国23人の翻訳者による『世界は村上春樹をどう読む』という研究書がある。編著した四方田犬彦さんが言うには「どこの国の人も“村上春樹はうちの国の小説です”」。
以上、字数が足りないので要点のみを記しました。20 年分のコラムを纏めた拙著『さよなら小沢健二』をあたってもらえれば、そちらはもっと詳しく書いています。映画『リトル・チルドレン』との比較論も収録しています。
で、肝心のノーベル文学賞ですが、当分難しいのではないかと。むかし開高健が名著『風に訊け』で挙げていた「ノーベル賞を取りやすい3つの条件」を思い出してみます。
①ユダヤ人
②私企業に勤めていないこと
③60歳以上
もちろん例外はあります。化学賞を取った田中耕一さんは ①日本人②島津製作所勤務③43歳でした。
で、春樹は② と③ は合っているのですが、先進国の平均寿命が延びているので③の条件 は70歳以上になったかなと。ボブ・ディランも初めて候補になってからだいたい10年、年齢も歳になってようやくの受賞だったし。
そしてみなさんご存じのように、あれって持ち回り制なのでアジア番が回ってくるのはまだ先。ハルキストは彼が長生きするよう祈るしかないです。本当なら安部公房(享年68)だったのにその前年に亡くなったため、大江健三郎がもらうケースもありました。
以上、知ったかぶりの原稿でした。そろそろタイトルのエピソードに行きます。僕、村上春樹と遭遇したことがあるんですよ。しかも高田馬場で。
あれは98年か99年だったかな? 僕は当時コアマガジンの編集者でした。季節は夏で、その日の朝はたまたま『ダンス・ダンス・ダンス』を読み返していた。昼の遅い時間にランチをとって会社に戻る途中、駅前の交差点の信号を渡るとき、すれ違った。見た瞬間、すぐにわかった。
――村上春樹だ!
よく気付いたなあと思うでしょ? この連載のvol .3 でも書きましたが、僕の唯一の才能は人混みの中から有名人を見つけ出すことなんです。でもたいていの場合、声をかけたりしません。迷惑じゃないですか。だけど春樹なら話は別。
信号が点滅していたけど、すぐさま踵を返して居酒屋だるまとか、当時は2階にムトウ楽器店が入っていた名店ビルの前で思い切って声をかけた。
「すいません、村上春樹さんですか?」
短髪、黒のサングラス、Tシャツ、よく灼けた肌、背丈は172センチの僕よりちょっと低い。リュックを背負う短パンの男が振り返る。
「はい、そうです」
思ったより野太い声だった。この時代は携帯電話に写メの機能はなかったから記念撮影はできない。そんな機能があっても図々しくてツーショットなどお願いできない。サインをしてもらうにも手元に本がない。何より好きすぎて言葉が出てこない。
北島康介より実に10年早く「なんも言えねえ……!」状態。
で、春樹先生優しかったね。「あ~」とか「う~」としか言えずに立ち尽くす僕にニコッと微笑んで(すんごい白い歯なんだ)、「ハイッ」と手を差し出してくれた。こちらは直立不動の姿勢から深々と頭を下げ、両手で握手させてもらった。
「じゃ」
それから春樹はてくてくと足早に早稲田方面に歩いていった。いつまでもその背中を見送った。時間にして1分ぐらい。まるで真夏の白昼夢。会社にダッシュで戻ると「いま村上春樹に握手してもらっちゃったあ。俺と握手すると春樹と間接握手することになるぞ~」と手を振り上げて自慢しました。
さてさて、最新作『騎士団長殺し』ですけど、まどろっこしいというか、ちょっと展開が遅くなかったですか? ローティーンの女の子との会話はそれこそ『ダンス・ダンス・ダンス』を彷彿とさせるものがありましたね。でもあれ、児童虐待じゃね?
でもまあ『1Q84』もそうだけど、還暦を過ぎてあれだけの大長編を集中力が切れずに書きあげるのはほんとに凄いことですよ。主人公の音楽の好みが40代手前の人と思えないとか文句を言いつつもやっぱり面白いですしね。
僕はいま何の因果か、春樹が生まれ育った京都に住んでいるけど、年に数回神宮球場に行くと、「きょうは先生来てるかな」と、つい探してしまう。
氏が大のヤクルトファンで、それこそサヨナラホームランを見たのがきっかけで小説を書こうと決意したのは有名な話。現在は球場のそばに事務所があると聞く。
今度会えたら何て声をかけよう。またしても「なんも言えねえ」状態になるか。
春樹のみぞ知る。
『散歩の達人』2016年11月号