立ち食いそば好きが始めた『会津』
『会津』があるのは、京成線の堀切菖蒲園と、JR綾瀬駅の間ぐらい。堀切菖蒲園駅からは、川の手通りをひたすらまっすぐ歩いていく。
駅からしばらくは飲食店が軒を連ねているが、しばらく歩くと店の姿は少なくなる。歩きながら「こんな遠かったっけ?」と思い始めた頃に、『会津』はようやくあらわれる。首都高速の入り口が近いこともあって、店前の交通量は多い。『会津』は駅前の商圏からは離れた、ロードサイド店なのだ。
『会津』ができたのは30年ほど前。当時、デザイン関係の会社を経営していた店主が始めた。店主は立ち食いそば好きで、あちこち食べ歩いていたという。その中でも南千住にあったそば店がお気に入りだったのだが、その店が閉店してしまった。
だったら、自分で立ち食いそば店をやってみようと、始めたの『会津』だ。自宅が近くにあるため土地勘もあり、ドライバー客が見込めるという計算もあったようだ。
味の決め手は自分の舌
ツユの味は店主が、自身の味覚で決めた。もともとそば好きで、自宅でもそばを打ったりツユを作っていたため、「これ」という理想の味があったのだ。
『会津』のツユは、旨みのしっかりした濃いめの味わい。ひと口すすると、じんわりとしみこんでくるうまさを感じる。ダシは本ガツオ、ソウダにサバ。昆布やしいたけは使わない直球勝負。これが存在感のある小幡製麺のゆで麺とよく合うのだ。
ごま油で揚げられた天ぷらも秀逸で、素材のおいしさをしっかり閉じ込めつつ、ツユとのなじみもいい。ツユになじんで、衣がとろみを増した春菊天は香りもよく、うれしくなるようなおいしさだ。
人気の肉そばは、よく煮込まれた分厚い肉が存在感を放っている。ツユになじませ温めると、ほろほろと崩れ、ツユの旨みと肉の風味でぜいたくなおいしさとなる。天ぷらが評判の『会津』だが、この肉そばも捨てがたい。ん? 思い切って肉そばに天ぷらを乗せればいいのか……。今度はそれで頼もう。
普通のそばの難しさ
すみずみまで気が利いている『会津』のそばだが、店主は「普通の立ち食いそばですよ」と笑いながら言う。しかし、その普通というのが、実は難しいのだ。奇をてらわず、多くの人が引っかかりを感じることなく食べられるもの。こう書いてみると、実に細かいチューニングが必要だということが分かるだろうか。
取材のとき、少し早めに着いたのだが、店に入ると、店主がそばを食べていた。単に食事していただけではない。ふだんから、まめに食べてツユをチェックしているのだという。「普通」とは言っているけれど、こうした手間をかけているからこそ、「普通のおいしさ」が実現しているのだ。
「日によっても、時間帯によっても変わるからね」と言う。確かに以前、いただいたときは濃く感じたツユだったが、この日はそれより少し軽く感じた。だが、これもまたうまい。撮影用に頼んだ肉そばも、肉の煮汁とそのツユがうまく溶け合い、なんともいえないうまさになっていた。
昨今はコロナ禍の影響などもあり、立ち食いそば店の閉店が相次いでいる。『会津』のそばを食べ、今回の話を聞いて、「普通においしい」立ち食いそばのありがたさを、あらためて感じた。
取材・撮影・文=本橋隆司