旧相模川橋脚と複数の言い伝え

関東大震災で突然水田に姿を現した旧相模川橋脚。

のちの調査によると、この橋脚は鎌倉時代に源頼朝の重臣・稲毛重成が亡くなった妻「稲毛女房」の慰霊ために架けた橋の跡だと判明します。

この橋にまつわる複数の言い伝えで、印象的なものが2つほどありました。

①源頼朝の死の原因
建久9年(1198年)12月5日に行われた橋の竣工式に立ち会った源頼朝は、帰り道で平家の亡霊に驚いた馬が暴れ、川へ転落。その衝撃と寒さで病気になり亡くなった。

②落馬事件と川の名前
源頼朝の落馬事件の際、馬もともに川に転落したため、相模川下流を「馬入川(ばにゅうがわ)」と呼ぶようになった。

メインとなる言い伝えには源頼朝の死の原因が大きく関わっていて、ドラマチックな歴史の気配を感じます。

が、調べているだけではピンとこないもの。実際の旧相模川橋脚を見に行くことにしました。

フィールドワーク①旧相模川橋脚を知る

旧相模川橋脚の場所は茅ヶ崎市下町屋1丁目。ざっくりと地図を見てみると、JR茅ヶ崎駅と平塚駅のなかほどにあるようです。今回はせっかくなので茅ヶ崎駅から国道1号沿いをのんびり歩いて向かいました。

国道1号沿いを平塚方面に歩いて行き、新湘南バイパスと茅ヶ崎西インターが見えてきたら、新湘南バイパスをくぐらずにその手前で左折します。

こちらの「国指定史跡 旧相模川橋脚」と刻まれた石柱が目標です。ゆるやかな坂道をくだると旧相模川橋脚が見えてきました!

鎌倉時代に建設されその竣工式には源頼朝も立ち会ったものの、その後なんらかの理由で失われた旧相模川橋。

関東大震災の液状化現象でこの地に再び出現し、以降大切に守られ続けているのがその橋を支える橋脚でした。

緑に囲まれた場所で今もなお静かに佇む橋脚は、長い歴史を見てきた不思議な貫禄があります。

二つ並んだ標柱には「史跡」と「天然記念物」と書かれています。

冒頭でも書いたように旧相模川橋脚は国指定史跡としてはもちろんのこと、地震学・地質学的な観点から、関東大震災発生当時の液状化現象を知る貴重な遺産として天然記念物にも指定されています。

自然物ではないものが天然記念物に指定されるのは非常に珍しいことだそうです。

敷地内のパネルには旧相模川橋脚の歴史から関東大震災での出現、その後の発掘調査、これまでの保存活動などが書かれています。

調査によって判明した橋全体の幅は、約7メートルとされています。橋脚はヒノキを使用した木材でできており、年輪で年代を測定すると1126年〜1260年に伐採されたものだそうです。

メインの説明パネルのほかにも旧相模川橋脚を知るための説明ブロックなどもあり、じっくり読んでいるとあっという間に時間が過ぎていきました。

フィールドワーク②源頼朝落馬の地を探して

旧相模川橋脚のパネルにも源頼朝の死の原因とこの橋の関係についての説明がありました。

この橋が架けられたとき「渡り初め」をしたのが頼朝で、その帰路で落馬したこと。鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」にその記述があること。

では一体、彼が実際に落馬したのはどこなのでしょうか。

鎌倉時代のことだしはっきりとしていないのかもしれない。そう思いつつ調べてみると、お隣の藤沢市に「源頼朝公落馬地」があるとわかりました。

「源頼朝公落馬地」はJR辻堂駅から徒歩約3分ほどの場所にあります。

辻堂駅北口はテラスモール湘南などの商業施設がありますが、こちらの南口側は駅前の通りを一本逸れると人通りも少なく静かな街並みが続きます。

地図を頼りに進んでいくと、コインパーキングの前に「源頼朝公落馬地」がありました。

「建久九年(1198)戌午十二月二十七日(中略)八的ヶ原(辻堂)に差しかかりし時、突然落馬する難に遭遇する。(中略)源平物語り関係の書物には、将軍頼朝公は怨霊が目に現じて、落馬したと記述されているが果たして真相は。頼朝公だけしか知る人はいない。」(郷土史家 大石静雄)

そう書かれた標柱を読みあたりを見まわします。

歴史上の有名人物である源頼朝の死の原因となった地は、現代の人の生活が存在しながらもひっそりと静まりかえっていました。

調査を終えて

現地に赴き鎌倉時代から存在し続ける旧相模川橋脚を見て、長い時の流れを経て今もなおそこに在り続けるものの圧倒的な迫力を感じながら、同時に人間の一生の儚さにも想いを馳せました。

源頼朝の死の原因となる落馬事故の原因は平家の怨霊だったのか、違う理由だったのか、それは誰にもわかりません。

ですが今回「旧相模川橋脚」「源頼朝公落馬地」という二つの地を訪れたことは、ひとりの人間が生きていたことを実感するには十分な経験でした。

はるか昔の偉人・源頼朝と、現代に生きる一般市民である自分。

どちらも同じ人間で、同じ世界の延長線上に生きている(生きていた)ということを思うと、なんだか不思議な気持ちになりました。

取材・文・撮影=望月柚花