「鉄道(てつぶん)」プロジェクト事務局
上野山(西日本支社)、中村(月刊『散歩の達人』編集部)、吉野(会員誌『ジパング倶楽部』編集部)、渡邉(時刻表編集部)
乗代雄介さんの「犬馬と鎌ケ谷大仏」
朝夕、飼い犬ペルとの散歩を欠かさないフリーターの坂本。ある日、家の天袋から小学校の時の発表で使った模造紙が見つかる。鎌ケ谷大仏。江戸幕府の野馬土手、土地の開墾、新京成線。ペルと一緒に、町の歴史と「松田さん」との思い出をたどる散歩が始まる。
● 千葉県鎌ケ谷市の史実がベースになっています。町の歴史を調べて発表する、とか、発表のグループがあの子と一緒になってうれしい、という感覚が懐かしく、いろいろな場面で「うわああ!」となりました。(中村)
● ペルは15歳、坂本は25歳。ふたりの関係性に、亡き我が家の愛犬を思い出してしまいました。読んだ後に事務局メンバーと話したら、思い浮かべた犬の姿がそれぞれ全然違ったのが印象的でした。(吉野)
● 発表のシーンは、まるで自分が作中のクラスメイトの一員になったかのように「おぉぉぉーーーっ!」となりました(笑)。なぜ犬だったのか、なぜ大仏だったのか。最後まで読んで、時代が、時が、つながる感じがありました。(上野山)
● 読んだ後で実際に現地を歩くと、野馬土手や大仏のスケール感、散歩の距離感がつかめて、また違う味わいが広がります。向こうからやってくる犬と散歩をする人がペルと坂本でもおかしくない気がして、この一瞬も歴史の一部なのだと妙に実感がわきました。(渡邉)
温又柔さんの「ぼくと母の国々」
台湾に帰ろうと思ってるの、と母は言った――。3歳で両親とともに来日した勇輝は、中学生の時に帰化して苗字が「黄」から「横山」になった。緑色一色の山手線、亡くなった父、日本語を話す祖父母。蘇る記憶の中で見つめる、日本と台湾の物語。
● 跨線橋から眺めた山手線、祖父が乗りたがった「日本初の地下鉄」、週末に外食をした駅直結のデパート。勇輝の鮮やかな記憶をフックに自分自身の思い出も次から次へと蘇り、誰かと話したい気持ちになりました。(渡邉)
● 勇輝は1980年生まれ。編集作業の中で、山手線にステンレス車両が登場した頃、サッポロのビール工場があった頃の恵比寿の資料写真を見て、都心の変化の激しさに改めて驚きました。身近な人との日常が描かれていて、清々しさも。(上野山)
● お母さんがあの年齢になってまた台湾に帰りたくなる、その気持ちはどんなものだろうと考えながら読みました。勇輝の恋人・芽衣がとても印象的で、芽衣がどういう人生を歩んできたのかも気になります。(中村)
● お母さんの料理がどれもおいしそうで、おなかがすきました……。今の社会の問題が自然と描かれていて、それらがむやみに強調されないからこそ「でも、それってどうなんだろう?」と立ち止まり考えることが多かったです。(吉野)
澤村伊智さんの「行かなかった遊園地と非心霊写真」
「これね、心霊写真なんですよ」。怪談作家になることを諦めたばかりのフリーの文筆業・伊澤の元に、不意に舞い込んできた「怪談」。1989年、阪急宝塚線の中山駅と当時の最新車両8000系。偶然出会った同郷の山田が見せた写真の中で、はにかんだ笑みを浮かべる少年とは――。
● 2003年に閉園した、阪急電鉄経営の「宝塚ファミリーランド」が重要な場所として描かれています。中山駅も2013年に中山観音駅に改称。今はもうない場所では思い出を塗り替えることができない、その感覚が効いていました。(上野山)
● 小学5・6年生くらいになって繁華街やレジャー施設に子供たちだけで出かける、その感じがリアルでした。あの年頃特有の人間関係含め、誰もが何かしら身に覚えのある話だなと思いました。(中村)
● 「自分はこうありたい」という思いを体現する難しさ。ありえないようなことも、取り返しのつかないことを取り返そうとするときに起こるひずみだと考えると納得してしまいます。8000系特有の「音」が印象的でした。(渡邉)
● 物語のなかだけでなく、自分自身にもある「怖さ」が呼び覚まされ、読み返す度に鳥肌が立ちました。怪談と鉄道は相性がいいと確信しました。(吉野)
滝口悠生さんの「反対方向行き」
湘南新宿ラインのボックス席に座り、亡き祖父・竹春の家に向かうなつめ。そのはずが、列車は目的地の宇都宮から遠ざかり、神奈川方面へ向かっていた。もう戻れないはずの時間、もういないはずのひとの記憶と、思いがけない出会いが交錯する旅の一日。
● 目的地から離れていきながら行くはずだった場所を思うのが面白かったです。飛行機や船ではこういう乗り間違いは起こりにくいだろうし、いろいろなことをつらつら思い出すのも、長い距離を走る列車の中ならではですね。(吉野)
● 間違って反対方向に乗ることがよくあるので「わかる……」と思いつつ、なつめのように落ち着いていられるのがすごいなと。偶然出会った人と仲良くなるような、旅の楽しさが描かれていてよかったです。(上野山)
● 路線図を眺めているとたしかに、「行こうと思えば考えているよりずっと先に行けるんじゃないか」という気になります。机上旅行もいいけれど、旅をしながらの想像は思わぬ場所に連れて行ってくれる、そんな読書体験でした。(渡邉)
● 最初にこの小説を読んだのが電車の中で、夢中になり読むのをやめられず、そのままホームのベンチで一気に読み終え、ふわふわした気持ちで駅の階段を上ったのを覚えています。列車に乗って読むのもおすすめの小説です……!(中村)
能町みね子さんの「青森トラム」
生まれ育った東京での変化のない日々に焦燥感をつのらせた水越亜由葉は、勢いで仕事を辞め、漫画家の叔母・華子が暮らす「芸術家が多い、自由人の街」青森にやってきた。トラムに乗り、自分で選んだ街を見てまわる日々。まだ見ぬ自分に出会う“上青”物語。
● 自分が上京者ということもあって、「上青」の描写が胸にキュ~ときました。亜由葉が一日券で繰り返し乗るトラムも魅力的で、散歩小説としても楽しめました。ラストの多幸感が……!(中村)
● 雪国に向かう旅、トラムでの散歩など、とてもワクワクしました。東京での生活の行き詰まり、その原因に共感を覚える人も多いのでは。「言わなくてもいいことは言わない」、それを描いていることが重要だと思いました。(吉野)
● 自分が20代前半だった頃の自信のなさや不安だったことを思い出すような、描写の繊細さが印象に残りました。何をどうすればこの作品の青森のような街になるのか? そのことを考えていました。(上野山)
● 自分で選んだ街を堪能する高揚感と、ぬぐいきれない自己への不満、他者への不躾な視線。その不安定さにヒリヒリします。さまざまな視点で楽しめる小説ですが、行動することで何かに一歩近づく、そのまぶしさがとてもよかったです。(渡邉)
『鉄道小説』は、こんな思いで編集しました
この本は、交通新聞社で出版する初めての文芸書です。鉄道史に刻まれるような出来事や人生で一度の特別な旅だけでなく、もっと身近で/もっと個人的な体験も一つの歴史としてとらえることができるような、あたらしい『鉄道小説』をつくりたいという思いで制作をスタートしました。
「150年の歴史の中で、鉄道はフィクション作品にどう描かれてきたか」について振り返りつつ、本の方向性をまとめるためのまざまなキーワードが浮上するなかで、最終的に『鉄道小説』という直球な書名になりました。
「降りなかった駅」と「待ち合わせ」
最初に出たのは「降りなかった駅」というキーワード。列車に乗っていると、自分には縁がなさそうな駅で、見ず知らずの人が乗り降りする。自分がその様子を見ていることもあれば、自分が誰かに見られていることもある。
自分が降りなかった駅でも、きっと何かが起きている(起きていた)。そんなふうに他者の人生について思いを馳せることができるような本にしたい、と話し合いました。
また、「待ち合わせ」というキーワードも。駅で誰かと待合せをしているとき、同じ場所で同じように誰かを待つ人と、ほんのわずかな時間を共有する不思議さ——。
鉄道で「待ち合わせ」といえば、列車の待ち合わせもあります。向かいのホームに停車した列車を何気なく車窓から見ていると、同じようにこちらを見ている人と目が合ったりする、そんな瞬間のことを考えました。
『鉄道小説』の楽しみ方
集まった5つの作品には、直接的なかかわりはありません。一方で、登場人物の年齢や過ごした時代、乗り降りした駅など、かすかな重なりを見ていくとまた違う面白さがあります。
思いおもいに読んでいただき、『鉄道小説』の感想や、それをきっかけに思い出したご自身の鉄道体験をSNSなどでお聞かせいただけたらうれしいです。
また、検討の過程であがったキーワードは、装丁にも生かしています。穴をあけたスリーブケースは、本を抜くとき・収めるときに、車窓の向こうに景色が流れていく様子をイメージしています。反対向きに差し込むとまた違う車窓が楽しめるので、ぜひお試しください!