1909年創業。政界、財界、芸能界などからも親しまれる鳥割烹の名店
サラリーマンの街でも知られる新橋は多くの飲食店がひしめき、夜になるとますます活気づく。昼夜関係なくギラギラとネオンが灯る街並みに反して、凛とした佇まいをみせるのは1909年創業、鳥割烹の老舗『末げん』だ。創業以来、元内閣総理大臣の原敬や鳩山一郎、歌舞伎俳優などのほか、政界、財界、芸能界の著名人に愛されてきた。3代目店主の丸哲夫さんに話を聞いた。
「私の祖父で初代の丸源一郎が、日本橋髙島屋のそばにあった鳥のソップ炊きを出す料亭「末廣」で修行を積み、やがて独立して新橋に店を出すことになりました。それが『末げん』の始まりです」。
ソップ炊きとは鶏ガラのスープで煮込む鳥鍋のことで、「末廣」直伝の名物だ。のちにかの文豪・三島由紀夫が最後の晩餐に選んだことでも有名になる。店名には祖である「末廣」の“末”と自分の名前・源一郎さんの“げん”をとって『末げん』と名付けたそうだ。
「私が代を継いだのは1970年代の始めくらいでしたかね。以前は、この場所に店と家族や従業員の住居があってみんな一緒に生活していて、物心ついた頃からずっと祖父や両親が店に立っているのを見てきました。だから自分も当たり前のように店を手伝い、時が来たら3代目になるんだと思っていましたね。ですから、今も伝統を引き継いで先代の製法と味を真摯に守っています」。
現在は大阪の割烹料理店で修行を終えた4代目の敬一郎さんも厨房に立ち、新たなバトンが受け継がれようとしている。
名物・ソップ炊きと同じ肉だねを使った、たつた揚げ定食
ランチは哲夫さんの代になってスタートしたという。夜のみ提供している名物のソップ炊きに使用するつくねのタネや鶏肉、スープを使っているから、料亭の味がお手頃な価格で食べられるのだ。メニューは3つあり、鳥ひき肉の親子丼・かま定食、同じく鳥ひき肉に薬味を加え、衣を付けたたつた揚げ定食、そして鳥肉を特製だれに絡めた唐揚げ定食だ。
SNSでもよく見かける人気のかま定食にしようと思ったが、鳥肉の旨味をダイレクトに感じるならたつた揚げ定食1800円がいいだろう。
トレイに乗せテーブルに配されたたつた揚げ定食。この衣の中にギュッと鳥の旨味を閉じ込めているのか! さっそくいただきます。
箸で持ち上げてみると思ったよりボリュームがある。ひとくちかじってみると、ふんわりジューシー。しっかりコショウが利いていてなかなかスパイシーだ。
「地養鳥、軍鶏、合鴨の肉を2度挽きにしています。そこへ長ネギ、塩コショウで味付けしているんです。合鴨はいいダシがでますし、軍鶏は弾力がありますから挽肉でもおいしいんですよね。ソップ炊きにもこの肉を使っています」と哲夫さん。
それぞれの鳥肉の特性を生かしながら絶妙なバランスでブレンドしているのだ。
お碗のふたを開けると鳥のスープが注がれていた。鳥の濃厚な旨味があり生姜の香りがぷ〜んと心地よい。底に沈んだなめこは半透明の鳥スープを含んでいる。チビリ、チビリと飲んでいたら、体がポカポカしてきた。
「これはソップ炊きにも使うスープです。毎朝、鶏ガラを下処理し、煮立たせないように気をつけながら丁寧にアクを取っているので、澄んだスープになるのです」と哲夫さん。
ソップ炊きはこの鳥スープを使用。ランチで使われている挽肉で作ったつみれのほかにさまざまな銘柄鳥と厳選された部位の肉が登場し、鳥を思う存分堪能し尽くせる。それは相当おいしいんだろうな〜と想像してしまう。ちなみにソップ炊きを含み個室でいただける夜のコースは、1万円から用意されている。
三島由紀夫が自決前夜に立ち寄ったことでも知られる『末げん』。
1970年11月25日、かの文豪・三島由紀夫は陸上自衛隊市谷駐屯地で切腹による自決をした。実はその前夜、同志・楯の会の4名と共に『末げん』を訪れ、鳥鍋(ソップ炊き)を食べたという。三島由紀夫の父が頻繁に『末げん』に訪れていたことから、自身も幼少の頃から両親とともに店を訪れていたそうだ。そして、最後の晩餐に選んだのがこの『末げん』だった。
哲夫さんが当時の記憶を語ってくれた。
「自決する前日の11月24日、三島先生が楯の会のみなさんと食事にいらしていました。この日、先生は背広を着ていましたね。私は厨房にいましたから、先生と直接お話ししなかったのですが、女将(哲夫さんの妻の武子さん)は先生がお帰りになる時に、玄関のところで『またお越しくださいませ』とご挨拶をしたところ、『また来いって言われてもなぁ。でも、こんな女将がいるならあの世から来るか』と、おっしゃったそうです。その時は意味がわかりませんでしたが、はじめから覚悟ができていたのですね。あの時の先生の目は何十年経っても焼きついていて、困ったときにいつも助けられているような気がするそうです」。
翌日の昼、哲夫さんが仕込みをしていたらテレビで三島のニュースが流れてきて、従業員が大騒ぎになったことも深く記憶に刻まれているとか。
「1997年に店舗を5階建のビルにしました。その時になるべく旧店舗の木材などを新店舗に使うようにしました。なかでも、三島先生が最後に座られた玄関の板間は残さなくてはいけないと、今も大切にしています」と、哲夫さんは語る。『末げん』が続く限り、飴色になった板間は三島由紀夫という人物を伝え続ける。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢