阿佐ケ谷を代表するおでん料理店、米久

阿佐ケ谷駅北口から高架下を西に進んだ場所にあるスターロード商店街。狭い路地には青果店やカフェ、居酒屋など150軒ほどの店舗が建ち並ぶ。

阿佐ケ谷駅北口周辺は戦後に闇市があった場所で、作家やミュージシャン、漫画家などにも愛されてきた。現在も狭い路地には小さな建物がひしめきあい、独特の雰囲気を醸し出している。新しくオープンするお店も多いが、昭和から続く店舗も営業している。

今回紹介する「おでんや米久」は、商店街の中央あたりにある。「おでん」の文字が染め抜かれた暖簾、まろやかな光を放つ赤提灯、これこそ正統派のおでん料理店といった趣きだ。

米久は40〜50年以上前から営業を続けており、スターロード商店街だけでなく阿佐ケ谷を代表するおでん料理店となっている。BS-TBSの「吉田類の酒場放浪記」やテレビ東京の「出没!アド街ック天国」など、TVや雑誌でも取り上げられている有名店だ。

米久がおでん料理店になった経緯はなかなか興味深い。米久は当初「おかあちゃん」という名のやきとん酒場だったが、おかみさん(柿沼美津枝さん)が体調を崩して一時的に営業できなくなってしまった。同じとき、近くでおでん屋台を営んでいた米澤さんという男性が路上での営業を禁止されたことを知る。おかみさんは彼に「このお店でおでんをやらないか」と持ちかけ、おでん料理店に生まれ変わったそうだ。同じ地域で営業する者同士とはいえ、阿佐ケ谷の人々の結びつきを感じさせるエピソードだ。

米澤さんはしばらく営業を続けていたが、故郷に帰ることになったため、おかみさんがお店を続けることになった。10年ほど前からご亭主も手伝うようになり、コロナ禍前まで交代でお店に立っていたという。現在おかみさんご夫婦は引退され、お孫さんがお店を引き継いでいる。

澄み切ったおでん汁が魅力、上品に味付けされた米久のおでん

暖簾をくぐると店主の藤田光龍さんが丁寧に迎えてくれる。清掃が行き届いていて空調も整っており、非常に居心地がいい空間だ。はじめてのお客さんや若者でも気兼ねなくくつろげることだろう。

10席のみのカウンター席でこぢんまりとしているが、窮屈さは感じられない。予約は受け付けていないため、満席の場合はほかの酒場で時間を潰してもいいだろう。午後4時半から営業しているので、早めに来店したほうが確実だ。

お店の中央には6つに仕切られたおでん鍋があり、大根やがんもどき、玉子といった定番のおでん種を中心に、さまざまな種類が整然と並べられている。

おでん汁は鍋底が見えるほど澄み切っており、油はほとんど浮いていない。店主の藤田さんにうかがうと、揚げ蒲鉾やがんもどきの油抜きは長めに行うなど工夫を重ねているそうだ。

3種の鰹節とイワシなどで出汁を取り、味付けは塩のみ、それ以外は結び昆布やほかのおでん種から旨味を引き出している。筆者も味わってみたが、透き通っていながらもさまざまな旨味がまろやかに絡み合う、上品な味だった。

注目は個性豊かな揚げ蒲鉾だ。阿佐谷南で営業する蒲重蒲鉾店や吉祥寺の塚田水産などから仕入れている。上の写真では塚田水産のとうもろこし揚げやなると金時の包み揚げが確認できる。

生ビールをオーダーしたあと、さっそくおでんを注文することにした。最初に選んだのは、大根、焼きちくわ、プチトマト。お皿にたっぷり盛られた昆布はサービスとなる。

プチトマトはトマトを魚のすり身で包んだ揚げ蒲鉾で、蒲重蒲鉾店が製造している。トマトの酸味と旨味が詰まっているが、おでん汁と合わさってまろやかな味わいとなっている。

焼きちくわはぼたん焼き(牡丹焼き)を使用している。牡丹の花びらのような焦げ目が特徴で、ぷりっとした肉厚の食感が素晴らしい。東北地方、とくに青森県の特産として知られており、丸石沼田商店やイゲタ沼田焼竹輪工場が有名だ。

大根は下茹でだけでなく、あらかじめほかのおでん種とは別に調理しているそうで、醤油や出汁でじっくり煮てある。芯までしっかり味が染みており、ほろりと溶けるような食感がたまらなく美味しい。

大根へのこだわりは皮むきにも及んでいる。米久の大根は円ではなく八角形になっているが、これは使用するピーラーが影響している。

大根の皮むきに使うピーラーは皮が適切な厚さにむけるようにつくられた特注品で、大工職人である藤田さんの叔父さまが製作した。おかみさんの時代から使用しており、藤田さんも愛用している。ちなみにカウンターの板のニス塗りなどもすべて叔父さまが手掛けられた。

次にオーダーしたのは「おそ松くん」。チビ太のおでんを再現したものだが、上からはんぺん、ボール、なると巻となっている。

ある日、常連客たちがチビ太のおでんで使われている種を議論していたところ、編集の仕事をしているひとりが原作者の赤塚不二夫先生に電話をかけて直接回答を得たそうだ。赤塚先生の事務所であるフジオ・プロによれば、こんにゃく、がんもどき、なると巻の組み合わせとなるらしいが、自由奔放な赤塚先生らしく、細かな違いはあまり問題ではなかったのだと思う。

おでん汁を丁寧に仕込んでいるだけあり、それぞれのおでん種の美味しさが引き立っている。とりわけ、木綿豆腐のような汁を吸う種はぜひとも味わっていただきたい。ほのかな大豆の旨味を味わいつつ、ほどよく染み込んだ出汁の塩味や風味を楽しむ。米久のおでんは種ひとつひとつの個性がしっかりと感じられるので、お酒と一緒にじっくり味わいたい。

このほか、おでん汁でさっと煮たニラも人気だが、期間限定で主に冬場に提供している。春菊などもあり、何度も再訪して旬の味わいを楽しむのもいいだろう。

世代を超えて受け継がれる、おでんの味と人情

おかみさんのお孫さんである現在の店主、藤田光龍さんはやさしい笑顔が魅力の好青年だ。てきぱきと調理を行いながら、きめ細やかな接客を行う姿が印象的だった。幼少の頃からおかみさんの仕事ぶりを見つめ、夏休みはお店を手伝ったり、常連客の隣で一緒におでんを味わった。

藤田さんいわく「祖母はおせっかいやき」なのだそうだが、来店時にはかならず「おかえりなさい」と迎えてくれ、ぬくもりのある接客でお客さんに慕われていた。古くから通う常連客も多く、一緒にバス旅行に出かける人がいたり、米久で知り合ったお客さん同士が結婚して、子どもを見せに立ち寄ったりすることもあったそうだ。

藤田さんも息子や孫のように可愛がられ、現在も彼を慕ってやってくる常連客が多い。藤田さんがお店を継ぐことを決めたとき、常連客たちは「膝くらいしかなかった光龍ちゃんがお店に立つなんて」と感慨深げに言葉を投げかけていたそうだ。

「おでんは祖母から直接レシピを教わっているので、味は近いと思う」と真剣なまなざしで語る藤田さん。22歳とかなりお若いが、以前はホテルの厨房でフレンチを中心とした洋食の調理を行っていた。出汁の取り方など和食と洋食の違いはあるが、プロとして技術の研鑽に余念がない。

「自分の出せる色があると思うので、その味で笑顔に、笑ってもらえるのがいちばん」。
長年愛されてきたおかみさんの味をしっかり守りつつ、藤田さんならではの味にも挑戦している。

日替わりランチはカレーライスや麻婆丼などバラエティに富んでいるが、オムライスやソテーなど前職で培った料理の腕前が遺憾なく発揮されている。また、同じスターロード商店街で営業する『キャラバンコーヒー』のコーヒー豆を使用したローストポークも好評だ。マルシェで販売していたところ、お店でも食べたいとリクエストがあったため、よい素材が手に入ったときにおつまみとして提供している。

今後は洋風おでんにも挑戦してみたいと語る藤田さん。お店の情報をInstagram(kuma.omise)で発信するなど、若い世代らしいアプローチで米久の新たな魅力をつくりあげていこうとしている。最近は常連客だけでなく、彼の投稿を見て来店するお客さんも増えつつあるという。

世代を超えて受け継がれる、おでんの味と人情。末長く阿佐ケ谷の土地で、あたたかく灯り続けてほしいと思う。

おでんや米久の基本情報

おでんや米久(よねきゅう)
〒166-0001 東京都杉並区阿佐谷北2-11-17
03-3338-6851
定休日:水、日、祝
営業時間:16:30~21:00
※営業日、営業時間は変更の場合有、Instagramなどで確認をお願いします

取材・文・撮影=東京おでんだね