今ならそんな風に評論家めいた分析ができるが、僕はただ単純に千里のことを、「ものすごくいい歌を歌う人」だから大好きだった。
どうやって千里のことを知ったんだっけ?7枚目のシングル「REAL」のテレビCMがきっかけだったか。それともTBSラジオの深夜放送「スーパーギャング」金曜日だったか。でもコーナータイトルにエコーをかけて語尾の「っ」(例:「やっぱりそうでなくっちゃっ」)を大袈裟に読む以外は、正直あまり覚えていない。
僕が夢中で聴きまくっていたのは2ndアルバム『Pleasure』(みずみずしい傑作)、3rd『未成年』(名盤)、4枚目の『乳房』(プロデューサーの清水信之がプログラミングしてほとんどの楽器を演奏している。日本ポップミュージック史上最高のトータルアルバム)、5枚目の『AVEC』(最高傑作。実は人生でいちばん好きなアルバムジャケット)、6枚目の『OLYMPIC』(第2のデビューアルバム。まさに千里全盛期)、7枚目の『1234』(青年時代の終わりを感じさせる秀作)まで。どれもハズレ曲一切なし。しかもこの間4年という短いタームでリリースしていた。神か。
初めてライブに行ったのは87年3月11日、『AVEC』ツアー最終日の日本武道館。会場は超満員。1万人のお客の中で目視できる限り、男は僕の友達を含めて10人いなかった。さらに中坊は僕と友達だけだっただろう。覚えてますよー。1曲目は「AVEC」のイントロからの「コインローファーはえらばない」。さっきも書いたように大江千里は特異なボーカリストだったから、武道館は音響が良くないし、ちゃんと聴き取れるのか、生声はどんな感じなのか、不安だったが杞憂だった。
渡辺美里が「本降りになったら」のデュエットサプライズで現れたときの大歓声は、屋根が吹き飛ばなかったのが不思議なぐらい。クライマックスは「BOYS&GIRLS」「十人十色」「REAL」のシングル3連発。アンコールはアルバムタイトル曲「AVEC」。
ニュースで午後
夕立がここにくる
きみを犠牲じゃ始められない
ジョニ・ミッチェルが針とびをする
この曲でジョニ・ミッチェルを知った人は多いだろう。千里に限らず、こうやって偉大な先人を聴くようになっていった。感謝するしかない。
しかし89年頃から千里がテレビにどんどん出るようになると、「クラスで3人ぐらいしか知らないようなミュージシャン」が好きな、ひねくれ者の僕は急速に熱が冷めていった。
千里は先頃東洋経済オンラインのインタビューで、「(セールス的にはピークの90年に)前回のツアーでいた人が、1列分ぐらいいないんです(中略)。ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな。これは覚悟しなきゃいけないときが来るんじゃないかな、って直感しました」と語っていた。
世間でいちばんの代表曲は「ありがとう」なのだろうが、まったく思い入れがない。あれより素晴らしい名曲が少なくとも50はあると思う。歳月が流れて、20世紀末に僕は20代の終わりを迎えていた。恋人もなく、父の死や、まだ何者にもなっていない焦りに苛まれていた。そしてある曲が突然甦った。
東京で見た海は深いインクの色してた
1日かけてまわった街に飲まれて眠った
シャッター降ろした店 雑誌とちがったテナント
5時頃灯るタワーが低いビルに溶けてた
あんな町は何処にでもある
妹の文字 コーヒー滲む
だけどぼくは今もこの街で
この夜をなくしきれずにいる
誰とでもいい 話がしたい
だけど話すことが何もない
結婚もする 子供も作る
ありあまる情熱
力が欲しい ぬくもりが欲しい
この街をあきらめたくはない
ケンカもするし ダンスもおどる
変わらない情熱
アルバム『1234』の佳曲、シカゴの名曲「サタデイ・イン・ザ・パーク」のイントロをまんまオマージュした「サヴォタージュ」。一語一句、怖いほど言い当てられて、撃ち抜かれた。
この曲をリリースしたとき、大江千里も20代の終わりを迎えていた。歌詞に自分を重ねるのは虫が良すぎるとはわかっている。しかし、すっかり千里を忘れていたはずが、高校生のときにすでに予言を受けていたのだと思うと、真夜中にひとり震えることもできず、部屋で小さくなった。
千里は一大ブレイクし、横浜スタジアムでライブをやったりもした。けれど間もなく賞味期限が切れると、自らの意思でファンクラブを解散し、ニューヨークに向かったという話は人づてに聞いていた。
数年前にテレビで、現地のジャズの学校に通っている様子を見た。ああ、この人はカッコいいなあと素直に思った。
そしてつい先日、2018年1月19日、渋谷HMV&BOOKSで、大江千里のインストアライブを観た。最後に千里のライブに行ったのは88年のNHKホールなので、およそ30年ぶりに見るナマ千里。すっかりおじさんになっていた。そりゃそうだろう。あと数年で還暦を迎える。でもむかしより若々しかった。常に更新し続ける人の輝きがあった。
会場は千里とともに歳を重ねた女性でいっぱいだった。シンガーソングライターからジャズピアニストになった千里は3曲演奏した。ラストの「Rain」は今も多くのミュージシャンがカバーしている。
言葉にできず凍えたままで
人前ではやさしく生きていた
しわよせで こんなふうに雑に
雨の夜にきみを抱きしめてた
道路わきのビラと壊れた常夜燈
街角ではそう だれもが急いでた
きみじゃない悪いのは自分の
激しさを隠せないぼくのほうさ
肩が乾いたシャツ 改札を出る頃
きみの町じゃもう雨は小降りになる
今日だけが明日に続いてる
こんなふうに きみとは終われない
中学生、20代の終わりを通過して、僕も46歳の押しも押されもせぬおじさんになった。大江千里も、僕も、こんな風に日々が続いていく。
『散歩の達人』2018年4月号