コロナが生んだ数奇な運命
大森駅から少し歩くと、昔ながらの居酒屋さんが多い。いずれのお店も焼き鳥やもつ煮などを手ごろな価格で楽しめて、夕方にはサラリーマンたちがワイワイと集まる。
だが、そうしたリーズナブルなお店ばかりが大森の居酒屋のすべてではない。最近では素材にこだわり、静かに日本酒とおいしい和食を楽しめるお店も大森の街には増えている。その代表格とも言えるのが、2021年にオープンしたばかりの『お酒と創作和食を楽しむお店 酒彩 たなか』である。
2021年オープンということは、言わずもがなコロナ禍真っただ中。当時は酒類を提供する飲食店には厳しい時期だったが、そんな逆風の中で開店した理由を田中さんに伺うと、これまたコロナの影響だったという。
「私はもともと、日本料理の職人として都内にあった山形料理のお店で料理人として働いていたんです。ですが、コロナが本格化してきた2020年ころに、勤めていたお店が東京から撤退することになってしまって。ならば、どこかで働くのではなく自分でお店を出してみようと思って始めたんです」
もともと住んでいたエリアに近く、なおかつ手ごろな空き店舗があったことで晴れて開店。店主が30年以上培ってきた知識と経験から裏付けされたおいしい創作和食をメインとするお店が生まれた。
その日一番おいしいものを食べてほしい
メニューを見ると「本日の○○」「おすすめの○○」といった具合に、日ごとにメニューが若干異なるようだ。
田中さんによると「私たちとしてはその日、一番おいしいものをおいしく食べてもらいたいし、おいしいお酒を楽しんでもらいたいという思いが強いんですよね」ということで、アラカルトメニュー以外の料理はその日の食材次第で多少変更することがあるという。「一番おいしいものを食べてほしい」という愚直なまでの思いがこうしたこだわりを生む。
お通しの自家製胡麻豆腐500円だけでもその手間暇かけた仕上がりに驚いたが、テキパキと仕上げられていった中で現れたのがこの日のメインである「お刺身盛り合わせと酒菜五種盛りセット」。少しずつ盛られた酒菜はどれもすべて手作りで、田中さんのオリジナルである。
関西方面ではなじみ深い鱧や宮崎の夏の定番である冷や汁などをうまくアレンジして盛り込む辺り、田中さんの熟練の技術とセンスが良くわかる。
一つ一つが美しく、まるで宝石のように映るメニューはもちろんながら写真映えも抜群。そのため「食べる前のスマホ撮影」が、初めて来店した女性客の定番となっているという。
「見映えがするようには意識していますが、女性にも喜んでもらえるのがうれしいです。インスタ映えすると思うので、来店した際にはぜひ投稿してもらえるとうれしいですね」と田中さん。これだけ上質なセットが2500円というのは破格の値段。大森に行ったら覚えておきたいお店と言えるだろう。
理想の一杯に巡り合うために
店主の作り出したメニューはどれも目にも美しく、食べるとおいしい。そして値段もリーズナブル……と、まさに大森の新たな流れを代表するようなお店と言える『お酒と創作和食を楽しむお店 酒彩 たなか』。
当然お酒もこだわりがあり、山形県のお酒を中心に全国各地から取り寄せ、客の好みや飲みたい種類に合わせて飲み比べセットを提供し、理想の一杯に出合えるお手伝いもしているという。それだけにこのお店で日本酒デビューをする客も最近は増えてきているそうだ。
「私たちとしては、おいしいものやお酒を楽しんでもらいたいというだけなので、お酒も好みに合わせて提供させてもらっています。これをキッカケに日本酒が好きになってくれてうちのお店のリピーターになってくれたお客様もいますし、大切にしていきたいと思います」と、田中さん。どこまでもお客様ファーストな目線が印象に残った。
最後に田中さんは「正直、かなりわかりづらいところにあるお店だから、迷ってしまう方も少なくないんです。でも、おいしい料理とお酒を提供できるよう毎日頑張っているので、ぜひ一度来てもらえるとうれしいです」と、締めくくってくれた。
日本酒デビューはもちろん、ちょっと大森“らしくない”新しい大森を体験しに『お酒と創作和食を楽しむお店 酒彩 たなか』へ行ってみるのもいいだろう。
構成=フリート 取材・文・撮影=福嶌弘