美食の国のソウルフード
まるでシルクロードのオアシス都市のような店なのである。
「お客さんにはウズベキスタン人もいれば、ほかの中央アジアや中東の人も、ロシア人もいます。それにトルコ人やアゼルバイジャン人、ウイグルの人たちも来ます。彼らの言葉とウズベク語は似ているので、会話ができるんです」
店主のベキゾド・ハイダロフさん(39)は言う。ウズベキスタンがシルクロード交易で栄えたように、この『ヴァタニム』もさまざまな人でにぎわう場所であるようだ。
その誰もが、ウズベキスタンが美食の国だと知っている。「カザフスタンでもロシアでもキルギスでも、いい店のシェフはウズベク人」とベキゾドさんは胸を張る。
とくにプロフ(炊き込みご飯)は「ウズベク人ならつくれないと恥ずかしい。私も子供のころにパパと一緒につくって習った」というほどのソウルフードだというので頼んでみれば、これが確かにいけるのだ。ほの甘いニンジンがたっぷり入っていて、旨味のしみた牛肉、それにレーズンとよく合う。炊き方がいちばん大切で難しいというが、ふんわりしっとりした絶妙さ。
このプロフ、ウズベキスタンでも地域によってレシピは異なるが、『ヴァタニム』はベキゾドさんの出身地・東部アンディジャンのスタイル。プロフで名高い街で「プロフの歌まである」という。お店のシェフもやはりアンディジャン出身で、有名なチャイハナ(中央アジア風のカフェ・レストラン)からスカウトしたのだとか。
現地直送スパイスが香る、シルクロードの味
中央アジアといえばシャシリク(羊の串焼き)も知られているが、こちらではキーマ(ひき肉)を使う。クミンとコリアンダーの香りがなんともたまらないが、スパイスもウズベキスタン産だ。
「はじめは日本でも売っているインドのスパイスを使ってみたんですが、味がぜんぜん違うんです。でもウズベキスタンのスパイスは日本では手に入りません」
だから現地直輸入というわけだ。この串焼きはノンというふっくら大きなパンにぴったりだが、これも店内で焼いている。肉と玉ねぎの詰まったパイ、サムサも同様で、焼きたてをたくさんお持ち帰りするお客も多い。
そしてウズベキスタンではどこでも味わえる、これも国民的なスープといえるショルヴァにも、ノンを浸して食べたい。『ヴァタニム』ではコザという土鍋で煮込んであって、ごろごろのでっかい骨付き羊肉がいい味を出している。
親日国ウズベキスタンから留学生が急増中
まさにシルクロードの空気をたっぷり感じられる店なのだが、なぜ「新井薬師前」なのか。昨年、高田馬場から移転してきたというが、新宿区西部から中野区にかけてのこの地域に、ウズベキスタン人のコミュニティがあるのだろうか。そのあたりの事情を、ベキゾドさんとともに店を切り盛りする山口奈緒子さん(43)が教えてくれた。
「高田馬場は日本語学校がいくつもあるのですが、ここに通っているウズベキスタンの留学生が多いんです。それに新大久保に住むウズベキスタン人も増えていますが、これはモスクがあり、ハラルショップもたくさんあるからです」
また西武新宿線沿線の落合など家賃が安いところに住むウズベキスタン人もいて、新井薬師前はこれらの街から近い場所なのだ。自転車で店にやってくる人もけっこういるという。
ベキゾドさんが来日したのは8年前だ。日本に住んでいる友人を頼ってやってきた。日本語学校に通って言葉を学び、しばらくレストランで働いた後に開業。前のオーナーから店を買い取り、ここ新井薬師前にオープンした。
「ウズベキスタンでは、日本はテクノロジーの国というイメージ。クルマとか、地震でも倒れない建物とかね」
実は両国の間には、地震にまつわる意外なつながりがある。第二次大戦後まもない頃だ。旧ソ連では捕虜として抑留されていた日本の兵士たちが各地で働いていた。彼らが建設に関わった建物のひとつが、現在のウズベキスタン首都タシケントにあるナボイ劇場だ。オペラやバレエが上演される壮麗な大ホールだが、1966年に大地震が襲う。数多くのビルや家屋が倒壊する中、ナボイ劇場は無傷で、被災者の避難所としても役立ったという。このエピソードをウズベキスタン人は忘れていない。耐震技術に優れた日本で設計や建設を学び、祖国にフィードバックしようという留学生もいるという。
「あとは〝おしん〞ですよね」
山口さんが言う。1983年に放映されたNHKのあの朝ドラは、ウズベキスタンでも流れ、やはり大人気となった。いまの時代でも、子供に必ず見せるという親もいるそうだ。こうした縁から親日的なのである。
そんな話を、緑茶をいただきながら聞いた。ウズベキスタンでは「白いお茶」とも表現するそうだが、暑い夏には欠かせない飲み物だ。ちなみに冬場は「黒いお茶」と呼ぶ紅茶に砂糖をたっぷり入れて飲むそうだ。
お茶請けは店名にもなっているスイーツ、ヴァタニムで、クランベリー、レーズン、クルミ、イチジクを、スメタナ(サワークリームの一種)で包んだアイスケーキ。ほどよい甘さと木の実の味わいが後を引く。
日本人の味覚にも実によく合うウズベキスタン料理だが、まだまだ店は少ない。『ヴァタニム』は貴重な一軒なのである。
しかし、いま日本を目指すウズベキスタン人は急増している。留学を経て日本で働き、やがて起業を目指す人が多いのだとか。シルクロード交易を担った商人の血が、いまも流れているのだろう。
「ハラルショップや貿易会社を興そうとする若い人が出てきています」(山口さん)
日本でもウズベキスタンの味が、もっと身近になっていくのかもしれない。
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2022年6月号より