『舞い鶴』のぶどうパンはずっしり重い
『舞い鶴』があるのは、地下鉄千代田線の湯島駅のすぐ近く。上野広小路のにぎわいから少し離れ、落ち着いた雰囲気が漂っているエリアだ。
店舗は喫茶店も兼ねていて、こぢんまりとしている。が、ここで売られているぶどうパンが、とんでもない。ラインナップはぶどうパンの小550円、大が850円。天然酵母のぶどうパンが980円。さらに巨峰を使った天然酵母ぶどうパンが1900円となっている。
ちょいとお高め、特に巨峰使用は高く感じるが、食べてみれば、いや、食べる前に持った時点でその値段の意味は分かる。ぶどうパン大は長さ18センチほどだが、手にした途端、ズシッとした重さを感じる。重さは約550グラム。そのうち半分近くがぶどうの重さなのだ。
上の画像がノーマルのぶどうパンだが、切ってみると、その断面はぶどうの割合が半分以上。薄くスライスするとぶどうがこぼれ落ちてしまうので、3センチほどで切ることを推奨している。しかし、それでも食べるときにぶどうがポロポロと落ちてしまう。まさにぶどうまみれなのである。
まさに他にはない、キャラの立ちまくったぶどうパンが名物の『舞い鶴』だが、歴史はそれほど古くはなく、2001年の開業となる。その母体となっているのは、浅草田原町にある『ボワ・ブローニュ』というベーカリーだ。
もともとは製パンの道具販売
今回、お話を聞いた梅村かおりさんによると、家はもともと合羽橋で製パン・製菓の道具を扱う商店で、明治39年(1906)から続いているのだそう。その中で叔父がベーカリーを始めたのだが、それが田原町の『ボワ・ブローニュ』だった。
ぶどうパンは開店当時からのメニュー。叔父が小さいときにぶどうパンに入っているぶどうを、兄弟で取り合いしたことから「ぶどうたっぷりのぶどうパンを作りたい」と考え、商品化したのだという。
とはいえこれだけぶどうを入れるのだから、苦労も多かった。練り込んだぶどうがその重さのために下に偏ってしまったり、生地の発酵に影響したりもしたが、なんとか開発し、見事に人気メニューになったのだという。
『ボワ・ブローニュ』は好調で、その後、浅草橋に姉妹店の『ボワ・ド・ブローニュ』を開店。そして、喫茶とパンを売る店として、2001年ぐらいから『舞い鶴』を始めたのだ。
しかし『舞い鶴』はもともと小さい店舗で、さらに喫茶もやるため、販売スペースが狭かった。そこで、『舞い鶴』は『ボワ・ブローニュ』名物のぶどうパンの店として特化。湯島はオフィスや住宅が少なく、観光地といっていいエリアなこともあり、このぶどうパン推しが当たった。デイリーで食べるには価格も中身も贅沢だが、ちょっとした手土産として、このぶどうパンはピッタリ。口コミ経由で、すぐに人気となった。
SNSが人気を後押し
そしてしばらくすると『舞い鶴』に追い風が。ぶどうぎっしりな断面が「映える」ため、SNSやネット経由で人気となり、遠方から足を運んでくるお客さんが増えてきたのだ。さらに「レーズンぎっしり」というワードのアピール力もあり、テレビ番組の取材依頼も増えた。『ボワ・ブローニュ』の頃から、ぶどうパンは名物だったが、『舞い鶴』で売り始めたことで、さらに加速したのだ。
ただ、「わざわざ買いに行くパン」だったこともあり、人出の減ったコロナ禍の最中は、かなり苦戦したという。しかしそれも最近は、だいぶ戻り始めた。取材のときも、お客さんが途切れなく来ていたが、中には言葉に西日本のアクセントがある人もいた。わざわざ寄ってくれたのであろう。『舞い鶴』の復活だ。
取材後、家に帰り、買ってきた巨峰のぶどうパンを厚めに切って、バターを塗りトーストして食べた。天然酵母を使った生地はしっとり。大粒のぶどうをジャクっと噛むと、バターの香りと芳醇な甘みが合わさり、うっとりするほどおいしい。と思ったら、パンからはみ出て、ポロリと落ちたぶどうもおいしい。なんとも贅沢。そして唯一無二のうまさ。コロナが落ち着いてきた今、『舞い鶴』はわざわざ行くべきパン屋さんなのである。
取材・撮影・文=本橋隆司