「見えぬけれどもあるんだよ」。まるで昼の星のような喫茶店
実は『coffee fragile』は、入居するビルの外看板にはその名がない。夜になるとオープンする音楽バー『SHIGET‘S』が営業をしていない昼の時間帯にのみやっているためだ。しかし、左手入り口付近に並ぶスタンドボードを見ると、『coffee fragile』と手書きされたいい感じにくたびれたそれを見つけることができるはずだ。
そして、地下へと続く階段を下り切ると正面にイーゼルに載せられた小さな黒板。この看板が出迎えてくれたおかげで、確かにお店が存在することがわかり安心する。疑っていたわけではない、いや、正直に言うと疑いながら階段を降り、その途中でも少々不安であったのだ(小心者!)。
辿り着いた店の扉の前でふいに頭の中でつぶやいたのは、金子みすゞの「星とたんぽぽ」という詩だった。「青いお空の底深く……、夜が来るまで沈んでる……」。そんな儚い光を放つ店を見つけた感覚で、ちょっとうれしかった。
扉の向うにあったのは、コーヒーの香り漂うロックな小宇宙
うっかりポエムな気分に浸っていると、4人組の中年ビジネスマンが先に店内へと入っていった。それに続いて入ると、なかはテーブル席3つとカウンター席のみの小さな小さな空間。
レッドツェッペリンやプリンス、KISSなど1970から90年代のロックなポスターが壁面いっぱいに貼られ、カウンターの前の棚はレコードでいっぱいだ。
先ほどの4人組を背に、カウンター席に着いてケーキセットを注文。スタンドボードに書かれていた新宿3丁目NO.1のガトーショコラと喫茶店本気のコーヒーゼリーのどちらにするか、しばし悩んだが前者に決めた。合わせるコーヒーはマスターにアドバイスしてもらい、インドネシアをチョイス。
いざ、“新宿3丁目NO.1”のガトーショコラを実食!
マスター1人で手際よく4人組のオーダーを先にこなし、ほどなく「失礼します、お待たせしました」と、まずはコーヒーが差し出された。注文を受けてから1杯ずつ豆を挽き、ハンドドリップで丁寧に淹れられたコーヒーはすっきりとした味わいで、素直においしくて喉元から全身にじんわり沁み込む。添えられるミルクは生クリームではなく、牛乳だ。そして、お菓子がひとつ。
コーヒーに続き、新宿3丁目NO.1のガトーショコラが登場。生クリームとイチゴジャムが添えられている。
山口さん曰く、「勝手に新宿3丁目で一番って言ってるだけなんですけどね」というガトーショコラは山口さんの手作り。口に含むと、ほろ苦さと甘さが絶妙なバランスで溶けてゆく。濃厚で上質なチョコレートの味わい。それもそのはず、ヴァローナのカカオ分70%のチョコレートを使っている。世界のトップ・パティシエたち御用達のチョコレートだ。
生クリームと一緒に食べればまろやかに、イチゴジャムではその酸味が甘さをやさしく引き立てる。う~ん、絶品! これは新宿3丁目NO.1だよ、きっと。
店名の『coffee fragile』に込めた想い
コーヒーとガトーショコラをいただきながら、店名の『fragile』の由来を尋ねてみた。直訳すれば「壊れやすい」とか「脆い」「弱い」「儚い」のほか、「繊細な」という意味がある。
「“繊細な”という意味で、ちょっとネガティブな意味でもあるんですが」と笑う山口さんに、コーヒーの繊細さ? と聞くとそうではないとのこと。
「繊細なものって、たとえばガラスとか僕は結構好きなんですけど、そういうものってなんとなく人を惹きつける魅力があると思うんです。そんな人を惹きつけられるような店になったらいいなと思って」と山口さん。
さらに『fragile』に「coffee」とつけてあるのは、コーヒーを売りにしたかったのと、“カフェ”ではなくどちらかというと“喫茶店”と呼んでほしいというのもあったとのこと。「カフェと喫茶店の明確な違いって、うまくは言えないんですけどね」と言って、少しはにかんだように山口さんは笑う。
ああ、この感じ。たぶんご本人は気付いていないだろうけど、なんとも人を惹きつける笑顔だ。店名に込めた想いは、ちゃんと山口さん自身が果たしている。
江戸寄席の風情を残す、新宿末廣亭にほど近い雑居ビル地下の喫茶店。またフラ~っとオジャマしよう。……テケ、テンテンテン。はい、おあとがよろしいようで。
取材・文・撮影=京澤洋子(アート・サプライ)