儀式を境に「おとな」になる
小野先生 : 「おとな」は古くは「男子なら元服、女子なら裳着(もぎ=女子が初めて裳を着ける儀式)を終えたもの」を指すことばです。
元服と裳着は成人になったことを示す儀式。年齢はいずれも12~16歳ごろと、固定されておらず、成人になるタイミングは個人によりさまざまです。しかし、人為的なきっかけを経て「一人前」として認められるシステムは、現代と同じです。
筆者 : 現在は年齢によって線が引かれていますが、これも人為的なものですよね。通過儀礼を経て、さまざまな義務や権利が与えられます。そうして、段々と「おとな」としての精神性が身についていく、という考え方でしょう。
しかし、我が身を振り返ると、果たして18歳の自分と今とでどれだけ精神的な違いがあるか……。
小野先生 : 「おとな」には「年長者、かしら、代表者」との意味もありました。こちらは儀式に関係なく、集団内の役割を表現しています。
前者の用法は、「こども」から「おとな」へと変わる個人的なもの。後者は、それを集団内の年長―年少者の関係に拡大して当てはめたものです。
現在、後者の用法は標準語としては用いられませんが、青森と長崎など一部の方言には残っています。元々、中央(昔は上方)にあった用法が地方に追いやられて、日本の両端に残った「周圏的分布」の例です。
精神性を表現した「おとなし」と「おとなおとなし」
小野先生 : 「おとな」が形容詞化して「おとな・し」ということばになり、現代では「おとなしい」と言います。「おとなし」は平安時代には、すでに用いられていました。
「一族のリーダーとしてふさわしい様子をしている」といった意味で、私たちがイメージする「おとなしい」とは少し違います。
筆者 : 「おとな」の二番目の意味(年長者、かしら、代表者)が、引き継がれているようですね。
小野先生 : はい。小さなことで慌てたり、騒がしくしていてはリーダーはつとまりません。やがて、「おとなし」は穏やかで柔和な様子を指すようになりました。
安土桃山〜江戸時代初期につくられた「信長公記(織田信長の伝記)」は、戦国大名・松永弾正の子どもが自害するシーンを、次のように記しています。
「色をもたがへず、最後おとなしく西に向ひ、ちひさき手を合せ、二人の者共高声に念仏となへ生害」
現代語訳:「表情も変えず最後におとなしく西を向き、小さな手を合わせて、2人は高らかに念仏を唱えて討たれた」
「おとなしく」は「穏やかで落ち着いた」という現代に近い意味にも、「リーダーとしてふさわしい」といったより精神的な意味にもとれます。「おとなし」の意味が変化していく過渡期の用法と考えられます。
筆者 : 成人式から20余年たっていますが、そんな「おとなしい」態度は到底できていません……。
小野先生 : 平安時代には「おとなおとなし」という形容詞もありました。基本的な意味は「おとなし」と変わらないので、「おとなおとなし」はやがて用いられなくなります。
「おとなおとなし」はリーダーとしての様子を、さらに強調したことばです。昔の人は「おとな」としての精神性を重視していたことがわかります。
まとめ
元服や裳着などの儀式、あるいは現代のように一定の年齢によって、子どもは形式的に「おとな」になり、それをきっかけに精神的な「おとな」になっていく。裏返せば、今も昔も、形式的に決めてもらわないと、「おとな」になるのは難しいのだろう。
また、かつての「おとな」は、単に成人である以上という以上に、高い精神性を備える存在でもあった。そう考えると、「おとなしく」あるための歩みは、一生続いていくのだ。
取材・文=小越建典(ソルバ!)