小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

濁音から始まるのはマイナスイメージのことば

小野先生 : 「出会う」は日本語のなかでも、珍しい部類のことばです。
まず、「であう」は濁音から始まりますね。日本語では、濁音はネガティブな印象を与える音のため、訓読みのことば(日本に昔からあることば。和語)の語頭にはめったにつきません。濁音ではじまることばは、「たま」→「だま」(例「粉が溶け切らずだまが残った」)、「さま」→「ざま」(例「ざまあみろ」)など、マイナスのイメージのことばが多いのです。
これは、「でる」が元々「いでる」という発音で、後に「い」が省略されたからです。 「であう」も古代は「いであう」ということばでした。「いであう」は9世紀末の「竹取物語」からみられ、室町時代ごろに「であう」が登場し、徐々に置き換わっていきます。

筆者 : 確かに、濁音からはじまることばは、あまりないですね。

小野先生 : 「いであう」「であう」には歴史的に3つの意味合いがあり、こちらも珍しい変遷をたどっています。

①人に会うために出ていく
②人と人が出ていった結果会う
③戦うために出ていく

筆者 : 現代の「出会う」は、出かけた結果という②のニュアンスが強いですよね。①は端的なことばがなく、あえていえば「会いに行く」でしょうか。③はそういえば時代劇でよく聞きます。

小野先生 : 竹取物語では①の意味で使われていて、やがて②の意味合いに変わっていきます。会うために出ていく一方通行の行為から、人と人が偶然出会う双方向の出来事になっていったのです。
ところが、鎌倉末〜室町時代の初めに③の意味が加わります。時代劇で、敵のボスが「出会え!出会え!」と叫んでちゃんばらが始まるのは、①と同じ一方通行の行為です。

筆者 : ①と③は明確な目的がありますが、②だけは目的のための行為というより、偶然の結果です。ことばの性格が目的→偶然→目的と変化して、今また偶然性が含まれるようになったと……。うーん、複雑!

「いであう」が「であう」になって意味が変化

小野先生 : 奇妙な歴史の背景には、「いであう」という言いかたそのものが廃れたことが関係しています。
先ほど、濁音始まりのことばは、ネガティブな意味合いで使われると言いました。その点、物騒なイメージもある③は、ややマイナスのニュアンスを含んでいます。

筆者 : あっ! 「であう」という言い方が現れるのも、戦いのシーンで用いられるようになったのも室町時代のころでした。

小野先生 : そのとおり。濁音で始まる「であう」の登場とともに、ネガティブなニュアンスが加わります。しかし、「いであう」が消えていくと、その後継である「であう」が「いであう」の意味を備えていきます。
武士の戦闘というシーンがなくなったことで③は廃れ、①もあまり使われなくなったことで、現在は専ら「人と人が出ていった結果会う」の意味になったのです。

筆者 : 今の「出会う」はポジティブなイメージしかありません。「最高のラーメンに出会った」「感動の絶景に出会った」など、人以外にも使います。偶然のうれしい感情も含んでいると思います。

小野先生 : そうですね。「一期一会」というように、縁を大切にする日本人の感性が現れたことばです。

まとめ

「いであう」から「であう」へ、音の変化とともに複雑な歴史をたどってきた「出会う」の一語。かつてネガティブなニュアンスも含まれていたという小野先生の指摘には驚かされた。

今の「出会う」が示すのは、ポジティブな偶然。素敵な人や風景との出会いを求めて、散歩にでかけよう!

取材・文=小越建典(ソルバ!)