●ジギー 『ホット・リップス』(1988)、『ナイス&イージー』(1989)
かっこいいー。ハードロック聴き始めだった高校生の僕には耳になかなか馴染 まなかったけど、その後元ネタとなるHanoi Rocks やNew York Dollsを通過した今となってはダイレクトに全身に届く。
特にJohnny Thunders(享年38)が参加した曲なんかムチャクチャいいですね! 最高!
ちなみに拙著『さらば雑司ヶ谷』に「雑司ヶ谷は朝も昼もそして夜もない」という一節は森重樹一さんの歌詞からです。あとがきに謝辞も捧げています。
●角松敏生 『タッチ&ゴー』(1986)
TBSラジオ「サーフ&スノー」のジングルはこの人だった。センスの良さを感じさせ、中高生が背伸びをして聴くような感じ。今で言うとセロかサチモスみたいな。
当時はもっとも最新型だったはずなのにアレンジに時代を感じた。この歳になってようやく気づいたのですが、角松敏生ってこの世代の山下達郎だったんですね。声がよく似ている。顔面は圧倒的に勝っている。でも山下達郎はあまりにも偉大だからなあ。去年(注:2017年)広島県福山市で生タツローを体験して、神が神であることを実証するような3時間半ライブに完全ノックアウトされてしまった身としては、相手が悪いとしか言いようがない。
●レッド・ウォーリアーズ 『カジノ・ドライブ』(1987)、『キングス』(1988)
「1000 円で武道館」も行った。「1000 円で西武球場」も観た。ダイヤモンド・ユカイ出身校の専修大学ライブにも足を運んだ。階段を駆け上がるように売れていった。好きだったあ。まさかそれから30年後、味の素のクックドゥーや東京新聞のCMに出てくる美少女が、ギターのシャケの娘さんだと知ったときの驚きったらなかったですよ。
WOWOW でデビュー30周年ライブを観た。みんなおじさんになっていた。その中でユカイのアンチエイジングは異常。
●ザ・ブルーハーツ 『ザ・ブルーハーツ』(1987)、『ヤング&プリティ』(1987)
家のラジオで初めて「リンダ・リンダ」を聴いたときの衝撃は忘れられない。すっかりハマってしまい、それまで聴いていた音楽がすべてちんたら感じてしまって困った。
その後、アメリカやイギリスのパンクバンドを手当たり次第に聴いたがピンと来ず、「パンクを超えたものがブルーハーツなのだ」と、自分の中で乱暴な決着をつけた。
ご存知のようにブルーハーツは解散して20年以上経つ。再結成はありえないし、ヒロトとマーシーは一度もブルーハーツの曲をライブで歌っていない。だってふたりは真のパンクスだから。
●Billy Joel 『The Bridge』(1986)
これも懐かしいなあ。僕が初めて観た外タレはビリー・ジョエルだった。丹下健三設計の代々木第一体育館に足を踏み入れたのもこのときが最初。リリースされたばかりのこのアルバムと2枚組のベストを聴き倒してライブに参戦した。暴れたがりだったので「Pressure」で踊りまくり、「Honesty」でハモりました。
●布袋寅泰 『ギタリズム』(1988)
若い方はご存知ないでしょう。ボウイ解散後、ソロ活動を開始した頃の布袋は『ロッキング・オン・ジャパン』で、渋谷陽一が毎回インタビューをし、それこそ神のような扱いを受けていたことを。なのに現在の路線となる『ギタリズムIII』の表紙を最後にレビューさえ載らなくなった。完全無視。
2014 年にストーンズが東京ドームでライブをしたとき、ゲストが布袋で、渋谷は観に行っているのに、ライブレビューで布袋にまったく触れずじまい。以上、ロッキング・オンあるあるでした。
ともかく布袋が全編英語で歌ったこの名盤は必聴。今回の企画の中でダントツにレベルが高かった。ボウイで天下を取ったギターリストが日本のロックを世界で勝負できるものにしようとした壮大な一大絵巻。Eddie Cochranの「C’monEverybody」を知ったのもこのアルバムのおかげでした。
●山下久美子 『ストップ・ストップ・ロックンロール〜ライヴ 1988.12.5 TOKYO BAY N.K.ホール』
この日のライブ、観に行きました。ボウイを解散させた直後だったから、山下久美子の当時の夫の布袋と松井常松に対しての歓声はめちゃくちゃデカかった。キーボードのホッピー神山もドラムの池畑潤二(今さら言うまでもなく「ザ・ルースターズ」オリメン)もどうかと思うほどかっこよすぎてな。
当時は山下久美子活動休止最後のライブと銘打たれた。いま考えると30歳目前だったし、妊活だったのだろうと邪推してしまう。結局布袋と離婚するものの、両者とも現在幸せそうだし、良かった良かった。愛は消えても名曲は残った。
●オフコース『アズ・クローズ・アズ・ポッシブル』(1987)
オフコース及び小田和正信者がベスト3を選べと言われても絶対に選ばないだろうけど、実はターニングポイントとなった1枚。
初期メンバーの鈴木康博が抜け、4人で再活動し、『ザ・ベストイヤー・オブ・マイ・ライフ』という大傑作アルバムを生み出したものの、昔も今も日本で天下を取ったミュージシャンがやる次の展開=全編英語ボーカルのアルバムは世界に通用せず。目標を失い、各自がソロアルバムを発表した後にこのアルバムは出た。
前後してリリースされた小田和正のソロアルバムがそれまでのオフコースの路線を継承する一方、『アズ・クローズ・アズ・ポッシブル』は英語のサビが急増し、サウンドデザインががらりと変わる。松尾、清水、大間はわからないが、すでに小田の中では解散が頭にあったのでは(実際このアルバムから2年後に解散)。
小田と大貫妙子がデュエットし、坂本龍一が鍵盤の「嘘と噂」など、佳曲も多い。
ふう。振り返ってみました。30年という決して短くない歳月が流れたんですねえ。脱退、追放、金目当ての再結成、引退、復帰など、みなさん色々ありました。森重さん以外オリメン全員抜けたジギーも、森重さんがアル中でバンドを一時休止したこともあったけどまた歌い続けている。ビリー・ジョエルは不倫から自殺未遂もあったが、先頃100回目のマジソンスクエアガーデン公演を成功させた。
みんな迷ったり止まったり、だけど進んできた。
そして思う。僕は成長しただろうか。
文=樋口毅宏 イラスト=サカモトトシカズ
『散歩の達人』2018年10月号より