小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

恥ずかしい→あわれで気の毒→心惹かれる

小野先生 : 「かわいい」は、古くは「かはゆし」ということばでした。平安時代末期の「今昔物語集」には、「かはゆし」のほか「かははゆし」と言い方もあります。そのため、語源は「顔・映ゆし(かお・はゆし)」、つまり「顔が火照るような状況」であったと考えられています。
いまでも、「面映ゆい(おもはゆい)」といえば、顔が赤らむようで恥ずかしい、引け目を感じる、という意味になります。

筆者 : いつものことながら、ことばは長い時間の中で、ずいぶん意味が変わるのですね。

小野先生 : 顔が火照る状況とは、恥ずかしいだけではありません。「気の毒で見ていられない状況」「あるものに強く心惹かれる状況」と、対象を広げていきます。
室町時代までは、「あわれで気の毒だ」という意味合いが強かったようです。「失敗してかわゆい」といった使われ方をしています。

筆者 : 「心を惹かれる」は、現代の意味に近いように思います。

小野先生 : 室町時代末の「玉塵抄」に、「呉唐が子をかわゆう思ふことは鹿と人とかわることないぞ」という記述があります。「鹿も人も子供はかわゆい」という意味です。
このころには、「小さく、弱く、守るべきものに対する愛情が湧く様子」を指すようになっていることがわかります。
ちなみに、奈良時代には子供への愛おしさが「かなし」と表現されていました。胸が苦しくなるような気持ちが、現代でいう「かなしい」と感じられたのです。

筆者 : 私たちは色々な感情をひとことでまとめてしまいがちですが、昔の人はこまやかな気持ちの変化を、もっと繊細に感じ、表現していたのだと思います。

かわいくないものに「かわいい」と言うとどうなる?

小野先生 : さらに時代が下り、江戸時代末ごろからは、より広く「愛おしい気持ち」「好きな気持ち」を表現するようになりました。
そして、現代における「かわいい」は、これまでとは異なる役割を持っています。

筆者 : はい。何にでも「かわいい」と言うので、私も違和感を感じることがあります。

小野先生 : 年上の人や、一見かわいくないものにも用います。「うちのおじいちゃん、かわいいの」「かわいいゴリラだね」etc…。
立場が上の人、恐ろしそうなものでも、ある種の弱みや弱点を発見すると、「かわいい」と表現できるようになります。

筆者 : ふだん笑わないおじさんが、自分の大好物を目にして、満面の笑みを見せると「かわいい」と言われたりします。私からみると、特に中年男性を守りたくも、愛おしくもならないのですが……。

小野先生 : 「かわいい」と言うことで、相手が自分の手の内に入り、コントロールできる存在と認識できるようになります。親密さの表現、とも言えますね。
意味や用途が広がっている点では、昔の「かわゆい」に回帰しているようにも感じます。

筆者 : もうひとつ「Kawaii文化」といわれるように、現代の「かわいい」は日本を代表する概念にもなっているように思います。

小野先生 : 例えばファッションなら、小物を工夫したり、今までにはないようなものを付け加えるのが「かわいい」とされるように思います。「サイケデリック」のように、価値観をひっくり返すような自己表現ではありません。
もっと言えば、価値観を共有する人同士でしか気づかないくらいの細かい工夫が、オタク的であり、外国からみて魅力的だと思われるのかもしれません。人から理解されなくても、自分たちがおもしろければそれでよい、という考え方も、現代の「かわいい」には含まれているのではないでしょうか。

取材・文=小越建典(ソルバ!)