一品一品にこだわりが感じられる種類豊富なメニュー

江戸時代のはじめに五街道の起点と定められた日本橋。西北の橋詰にある日本国道路元標から日本銀行方面に進むと、すぐに『日本橋 室町 紅葉川』が見えてくる。

道路を挟んで向かいは、日本橋三越新館。ビルの1階にさりげなく佇んでいるけれど、どっしりとした分厚い看板からは、隠し切れない老舗の風格が漂う。

店頭に貼ってあるおすすめメニューは写真やイラスト付き、親しみやすくておいしそう。よし決めた、今日のランチは、前から気になっていたここにしよう。

店頭のメニューに引き寄せられる。季節のおすすめや鴨南そば、天せいろも気になる。
店頭のメニューに引き寄せられる。季節のおすすめや鴨南そば、天せいろも気になる。

店内にはイス席のほか、障子で仕切られたソファー席もある。ソファー席のテーブルは角が丸く、中央は鍋料理や焼き物もできるようになっている。

ふと見上げた天井がとてもいい雰囲気で、ビルの中にある店であることを忘れてしまいそう。木がふんだんに使われた空間に心が和む。

障子は開閉することができるので、ほどよく開放感もあるプライベート空間に。
障子は開閉することができるので、ほどよく開放感もあるプライベート空間に。

メニューはかなり豊富、一品一品にこだわりが感じられて、どれもおいしそう。迷ったけれど、やっぱり鴨せいろに。ふと見ると、サイドメニューにあげもちと、コロコロもちがある。コロコロもちも追加してみよう。

さらにメニューをめくると、夜は豪華な鴨しゃぶうどんすきに鴨焼きコースもあって、鴨はこの店の看板メニューなのがわかる。注文した鴨せいろが、ますます楽しみになってきた。

達筆の手書きメニューがいい味わい。
達筆の手書きメニューがいい味わい。

まずは何もつけずに挽きたて・打ちたて・ゆでたてのそばを味う

運ばれてきたそばは、しっとりつややかで、鴨汁の表面には細かい油がキラキラと輝いている。まずは、そば。何もつけずに食べてみる。冷水できゅっとしまったそばはひんやりとして、しっかりとしたコシがある。喉を通り過ぎていくときに、繊細なそばの香りがふわりと立つ。

鴨せいろ1440円。熱々の鴨汁に冷たいそばをくぐらせていただく。
鴨せいろ1440円。熱々の鴨汁に冷たいそばをくぐらせていただく。

粋であることを何よりも大切にした江戸っ子は、箸で持ち上げたそばの先にちょいと汁をつけて一気にすすりこみ、「そばをたぐる」といったらしい。

せっかちな江戸っ子が、ちゃんと味わっていたのかは怪しいけれど、本当によいそばはそのままでおいしいんだってことは、このせいろを食べればよくわかる。

ところで、鴨せいろに添えられる汁といえば、大きくて分厚い鴨肉と4~5センチもあろうかという筒切りの白ネギが定番だけど、『日本橋 室町 紅葉川』は違う。スライスした鴨肉にごろりとしたつくね、2センチほどに切りそろえられたネギ。これが、旨いのだ。

分厚い鴨肉が硬いと、噛むのに往生して味わうのもそこそこに飲み込むことがある。大ぶりなネギも、繊細なそばとの相性はどうなんだろう。正直に告白すると、『日本橋 室町 紅葉川』の鴨せいろに出会うまでは、そういうものなのだと思っていたけれど。

スライスした鴨肉がたっぷり。繊細なそばとの相性も抜群によい。
スライスした鴨肉がたっぷり。繊細なそばとの相性も抜群によい。

スライスした鴨肉は、汁とも馴染んで心地よい歯ごたえや旨味を存分に味わえる。プリッとしたつくねもうれしい。ネギも、このサイズだからほどよい歯ごたえが楽しめる。

油でさっと揚げたコロコロもちも到着。プリッと膨らんで、表面は香ばしく中は柔らかい。このままふたつ、みっつと食べたくなるけれど、鴨汁に入れてみよう。思った通り、最高の組み合わせだった。大盛りやお替りは多すぎるけれど、もうちょっとだけほしいなという日にはぴったり。

コロコロもち130円。普通サイズのもちよりも断然食べやすい。
コロコロもち130円。普通サイズのもちよりも断然食べやすい。

そして、そばやコロコロもちを食べ終わっても、最後にもうひとつの楽しみがある。器に残った鴨汁に、熱いそば湯を注いでゆっくりと堪能しよう。飲み干すころには、お腹も心も幸せに満たされる。

肉のエキスと油の旨味たっぷりの鴨汁。これを残したら必ず後悔する。
肉のエキスと油の旨味たっぷりの鴨汁。これを残したら必ず後悔する。

自家製全粒粉のそばと鴨を知り尽くした日本料理の技

現在店を切り盛りしているのは、4代目の鈴木貴晴さん。店名は、かつて近くを流れていた紅葉川から名付けられたという。箸袋に記された「さらさらとしなやかに」という言葉は、川の流れだけでなく、「そばを食べて血液サラサラになり健康に過ごしてほしい」という先代の願いが込められている。

右が4代目の鈴木さん。左は職人の小内さん。
右が4代目の鈴木さん。左は職人の小内さん。

大正期の初頭に創業し、100周年には元総理の麻生太郎氏からお祝いの花が届けられた。「大手町や丸の内からも近いので、大きな会社の経営者の方も、ふらりとお見えになります。ショッピングのついでに立ち寄られるご婦人も多く、ほとんどが常連のお客様です」と鈴木さん。

舌の肥えた常連が、繰り返し足を運びたくなる一番の理由は、なんといってもそばの旨さだろう。店頭の石臼で毎日挽くそば粉は、ほのかな香りを守るため1分間に12回転とたっぷり時間をかけた自家製粉。黒い外皮以外は、すべての部分を使った全粒粉だ。

店の入り口の石臼は、1分間に12回転で生命力のある自家製全粒粉を挽いている。
店の入り口の石臼は、1分間に12回転で生命力のある自家製全粒粉を挽いている。
枕に使う黒い外皮だけを取り除いた、令和3年北海道石狩沼田産キタワセ種のそばの実。
枕に使う黒い外皮だけを取り除いた、令和3年北海道石狩沼田産キタワセ種のそばの実。

胚芽の部分は変色劣化しやすいので、多くのそば店では取り除いてしまうけれど、「胚芽は種子が芽を出す一番大切な部分。未精製の素晴らしさは、水の中に入れておくと発芽する力強さがあります。やせた土に強い根をはって力強く成長するそばの生命力を、召し上がっていただきたいのです」と語る。そこには、代々受け継がれた思いが込められている。

そばだけでも素晴らしいのに、鴨しゃぶうどんすきや鴨焼きといったコース料理、アラカルトの充実ぶりは驚くほど。そばのバリエーションとして鴨せいろがあるのではなく、鴨を知り尽くした日本料理店が渾身のそばで作っているのだから、食通たちの胃袋をつかまないわけがない。

再開発のサイクルの速い街だけど、こういう老舗がビルの一角に残っていて、とびきりのランチを味わえるのは、日本橋という街の底力だなと思う。

住所:東京都中央区日本橋室町1-2-4 三越SDビル1F/営業時間:11:00~15:00・17:00~20:40LO(土・日・祝は11:00~15:00)/定休日:無/アクセス:地下鉄半蔵門線・銀座線三越前駅から徒歩3分、地下鉄東西線日本橋駅から徒歩4分

構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=松本美和