昭和のぬくもりに包まれた老舗のパン屋
吉祥寺駅から井の頭公園沿いに走る吉祥寺通りを南下。ジブリ美術館を通り過ぎ、さらにまっすぐ進んだ左手にかわいいパン職人のイラストが描かれたお店が見えてくる。
『トーホーベーカリー』は1951年(昭和26)に創業した老舗のパン屋さん。ほのぼのとした外観だがお店の中に足を踏み入れるとパンの種類の多さに圧倒される。長年日本で親しまれてきたソフトなタイプのパンが多く、気取ったところのない顔ぶれがちょうどいい。昭和の空気をまとったぬくもりのあるムードに和むが、実は名作と呼べるような絶品パンがいくつもある超実力店なのだ。
しみ出るバターがたまらない。激売れ塩バターロール
まずは『トーホーベーカリー』の大ヒット商品のGOLD塩バターロールからいただく。バターの芳醇な香りに期待を膨らませながら一口。カリッと軽やかな生地からすぐにバターがしみ出て広がる。モチっとした生地とジューシーなバターのコンビネーションがたまらない!
「北海道産のバターがたっぷりと入っています。焼くと中のバターが流れ出て下の方へ落ちていき、揚げ焼きの状態になります。するとカリカリジュワジュワの食感に仕上がるのですよ」と店主の松井さん。
売り上げは1日約1000個! その数には驚くが、いつ行っても焼きたてが手に入りやすいよう営業時間内に40回は焼き上げて並べていると聞き、ますます感嘆する。
続いて、自家製サクサクカレーパンが登場。全国のカレーパンの中から頂点を決める「カレーパングランプリ2021」金賞を受賞と聞けば、食べ逃すわけにはいかない。スパイスから作る本格カレーは程よい辛さ。お肉はゴロゴロ。それに加えてミンチ状にした牛筋もあって旨味はばっちり。食パンの耳をローストしサクサクにした衣をコレステロール0の油で揚げているから、外はカリッカリ。時間が経ってもサクサク感が長く続くのも特徴だ。
明太フランスは、福岡・博多の『ふくや』の明太子を使用する。『ふくや』から明太子を卸してもらえるパン屋は関東の中でも極々わずか。『トーホーベーカリー』はその信頼を勝ち取ったのだ。フランスパンの部分はモチッと感がやや強いセミハード。食べちぎると中に塗られた特製明太クリームがしたたり落ちそうになる。あとをひくおいしさで、一瞬で胃袋へ消えていく。
“トーホー”の名前に、お店の歴史が宿る
“トーホー”とはどういう意味なのか。話は創業の1951年までさかのぼる。もともとは現在の店主の祖父に当たる人物が和菓子屋を麻布で開業したのがこのお店の始まりだ。
当時の名前は「ニコニコ家」。一時は暖簾を分けた店が20店舗ほどあり、ちょっとした勢力を誇ったそうだ。しかし戦争で麻布は焼け野原になってしまった。戦後は実家のあった三鷹へ戻り、和菓子屋を再びスタートさせたそうだ。
するとちょうど隣にあったパン屋「宝(タカラ)ベーカリー」が廃業するという話が持ち上がり「ニコニコ家」が職人ごと引き受けることになったという。
時代に応じて和菓子、パン、洋菓子を扱うお店として栄えたが、パン食が日本に根付くにつれ、パンを専門にするお店になっていった。名前も一新。「宝ベーカリー」の“宝”に東京の“東”を冠して『トーホーベーカリー』となった。
長く愛され続けるための店主の努力とは
「戦後からずっと同じ土地でお店をやらせていただいているのが最大の強み」という松井さん。吉祥寺駅からも三鷹駅からも少し遠い場所であるにもかかわらず、お客さんが集まり続ける理由は何だろう。そこには店主の絶え間ない研鑽があった。
「妥協をしないで作れるように努力をしています。例えばカレーパンのカレーもクリームパンのクリームもお店の鍋でイチから手炊きをしています。もういい加減に機械を使ってもいいじゃない? なんて言われます。その方が合理的かもしれませんね。でも、やっぱり口にすると納得できません。全然違いますから」
どのパンも1日に何度もこまめに焼くのがお店のポリシー。人気の商品は20回、30回、40回と焼いていく。「もちろん効率は良くないですよ」と松井さんは言うが、味の良さを最優先するため、パン作りはできる限り丁寧に手間を惜しまない。
そしてバージョンアップをするのも忘れない。既存の商品は常に見直し、レシピは改良を重ねていく。同時に毎週のように新商品をリリース。フェアを企画・開催し目新しさの維持にもこだわる。
昭和のぬくもりの残る『トーホーベーカリー』は令和の今もにぎわっている。“もっとおいしく、もっと新しく”を目指す店主の探究心と情熱がお客さんのハートをつかんで離さないのだ。
構成=フリート 取材・文・撮影=宇野美香子