せっかくの東京だから

ある晴れた日。昼過ぎに家を出て東京を目指す。が、出発が遅過ぎたのか東京まで辿り着けず静岡県三島のデニーズで夜を越すことになった。疲労困憊しながら翌日の昼前にようやく淵野辺に到着。青山学院に合格したばかりの中学時代の剣道部の先輩のアパートに数日間泊めてもらうことになった。

この時私は無理な移動と宿泊のせいで、下痢と発熱に見舞われていた。しかしせっかく東京にいる貴重な時間を寝て過ごすわけにはいかず、とりあえずオープンキャンパスに出かけることにした。今後学力が向上したならば受けるだろうと思っていた首都大学東京のある南大沢へ向かう。しかし体に鞭打ちやっと到着した首都大の門は固く閉ざされていた。迂闊だった。やっぱり春休みだから閉まっているのだろうか。まあ、キャンパスらしきものは見れたし、とりあえずこれで最近口うるさくなってきた親にもオープンキャンパスへ行ったと申し訳が立つだろう。

そう自分を納得させ、周辺を適当にぶらついて淵野辺へ帰った。そもそも私はオープンキャンパスというものが分かっていなかった。

声をかけてきたのは?

しかし、正直今は大学のことはどうでもいい。私が東京へ来た一番の理由は、原宿を訪ねることだった。当時よく読んでいた『smart』『CHOKi CHOKi』などのファッション誌には、原宿のファッションスナップがほぼ毎月載っていたし、古着屋もたくさん紹介されていた。日本最高峰のファッションの聖地、原宿で買った古着で、地元の友人に差をつけたい。そしてあわよくばファッションスナップに取り上げられたい。私は検討に検討を重ねたベスト・コーディネートを抱えて上京していた。

翌日の昼。私は折り返しにピアノの鍵盤の柄がプリントされたニット帽を被り、デカいグラサンをかけて原宿の街を闊歩した。雑誌で見た『シカゴ』という古着屋や、全品390円の『サンキューマート』で何枚かの服を購入。

地元で売っているものと大差なかった気もしたが、とにかく私は原宿で服を買った。

だがやはり気にかかるのはファッションスナップのこと。竹下通りや表参道を何往復かしているにもかかわらず、カメラマンが声をかけてくる気配は一向になかった。

日も暮れる頃になってようやく声をかけて来たのは、重さ百数十キロはあるだろう巨体の黒人。受け身で話を聞いているうちに強引なテンションで裏通りの店へ連れこまれた。店にあるのはB-BOY系の服ばかりで好みと違ったし、値段も全体的に高かった。入ってすぐに店を出たくなったが、入り口を塞いでいる黒人の圧が強く簡単に出られそうにない。欲しくはなかったが比較的安いジャマイカ柄のブレスレット(3000円)を購入し、ようやく解放された。

グラサンを着けたり外したりしながらさらに竹下通りを往復していると、今度は美容師が声をかけて来た。少しテンションが上がって「え、これカットモデルってやつですか?」と聞いてみたが、ただの客引きだった。気力が萎えた私はそそくさと原宿を後にした。

単なる田舎者が原宿を歩いて起きるであろうこと以上のことは何も起きなかったが、まあ一日だけではこんなものだろう。東京の大学に入り、日常的に原宿や渋谷を歩けばファッションスナップを撮られることもあるだろうし、私服のセンスの良さで飛躍的にモテ始めても全然おかしくはない。

香川でパッとしない奴が東京で急にチヤホヤされるようなことはないと、腹から理解できるまでは、その後数年を要することとなる。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2021年5月号より