これが香取航空基地に残存する生き証人、掩体壕です。エンジン単発の機体(零戦など)が入る大きさです。
畦道を歩き近づくと、田んぼの中にポツンポツンとありました。ここもかつては航空機が行き交っていたのです。上記に転記した米軍航空写真の左上部分を拡大してみると、碁盤目に造られた道(水路?)の部分に、この2基が写っているのが分かります。その他の掩体壕は解体されたようですね。
掩体壕のある場所は匝瑳(そうさ)市にあります。畦道に注意しながら掩体壕へ近づくと、セメントの合間から草木が生えて、こんもりとした塚のように見えます。掩体壕は敵機から判別しにくいよう、カマボコ状に鉄筋やセメントで製造したあと、土を被せてカモフラージュしていました。その名残もあって草木が育つ土壌ができていたのでしょう。カマボコの上部は草が生えています。
畦道を歩き、掩体壕の背後へ回ってみます。掩体壕は飛行機のエンジン排気を逃すため。背後は穴が空いています。以前、廃もので調布飛行場の掩体壕を観察したときは、背後の穴が小さかったのですが、ここは大人が屈んで入れそうなほど大きいです。背後の部分は脇から木が生え、田んぼギリギリまで低木が繁っています。
さらに調布飛行場のものとは異なり、背後はなだらかにすぼんではなく、大きなカマボコと小さなカマボコ、二段構えの構造です。一口に掩体壕と言っても、いろいろな形状があるのです。掩体壕は現場で土を盛り、その上に鉄筋とセメントで作り上げて、固まったら土を払って完成させます。現場で製造するため、場所によって形状が異なっていたのかもしれませんね。
もう1基の掩体壕は、ほぼ隣接してあります。双方の向きはそっぽを向いているので、これは爆風避けのためにわざわざ向きを変えたのか、それとも運用上の理由か……。
2基の掩体壕が田んぼの中でそっぽを向きあっている。この存在を知らなければ、モアイみたいな遺跡に見えるだろうな……。これを紹介する説明板は掩体壕の脇にあるので、稲作が始まった田んぼに近づいていいのか躊躇してしまいます。
夕刻が迫ってきました。掩体壕は夕方のアンバーな斜光のほうが映えるのではと思い、今回夕方前に訪れました。だんだんと日が沈んでくると、掩体壕も影が降り、正面のセメント部分が夕焼けで浮かび上がります。
草木の生えたこんもりとしたフォルムを背後から眺めていると、これは戦争遺構なのだが、何かの巨大生物が動きを止めたあと、そこに人の営みができて田んぼが形成されたのだと、全く異なる世界を想像していました。そう、ナウシカの作中で“大海嘯後に暴走を終えて果てた王蟲(オーム)の亡骸と、その亡骸から生える腐海の植物”のような……。
つくづく、掩体壕というのは不思議なフォルムをしています。この中に航空機が格納されていた時代を知らないので、本来の役目を見たこともなく、こうして田んぼの中にあったり、今回は見学しませんでしたが家の敷地にあったりと、なんとも不思議な光景なのです。そして、滑走路から離れたこの辺りまで基地の敷地だったと思うと、航空基地というのは広大な土地を必要としたのだと、あらためて再認識させられます。
最後に、この2基の掩体壕周囲は田んぼです。稲作のシーズンには農作業の邪魔にならぬよう配慮しましょう。駅からだとそこそこ歩きますが、コンビニもあるので小休止できます。
戦争遺構を訪れるたびに思うのですが、遺構の生い立ちは戦争のために出来たものであり、その時代の背景まで考えると、微妙な距離感というのをいつも感じます。田んぼの中にポツンとある掩体壕は、周囲の田園と集落にとけこんでいるような、あるいは異彩を放っているような、なんとも微妙な距離感を感じる光景でした。
取材・文・撮影=吉永陽一