ジューシーな肉を口いっぱいにほおばる幸福感
その店は、駅からそれほど近いわけでもない、富士街道という大通り沿いに突然オープンした。
ずいぶん小洒落た店だなぁと思いつつ、壁のメニューを見上げると……。
が、見ての通り、僕がふだん食べているようなサンドウィッチからすると、かなり高めの値段設定に感じる。なるほど、たとえ単価は上がろうとも、ひとつひとつの素材にとことんこだわり抜いた、ごく限られたセレブたちのための上品なサンドウィッチ。そういうものを出すお店なのかな。という僕の想像は、いい意味で思いっきり裏切られることになる。
まずは見てもらうのが早いだろう。メニューのいちばん上にある、パストラミビーフのルーベンサンドを注文してみる。
さっそく特注の鉄板で、バターを塗った面を下に食パンが焼かれはじめ、トッピングがのってゆく。
同時進行で、自家製のパストラミビーフがカットされる。ただし、驚くのはその量!
僕は、いつカットの手が止まるんだろう……と目が離せなくなり、途中からはむしろ、こっちが不安になってくるほどだった。
これを、自家製のキャロットラペやレタスなどの野菜の上に、これでもかと盛りつける。
初めてこのサンドウィッチを目にしたときは、あまりのインパクトに思わず笑ってしまった。
比較するものがないから写真だと伝わりづらいだろうことがもどかしいが、使っているパンが普通の食パンであることから、そのサイズ感を想像してみてほしい。チーズソースのかかったポテトなども添えられ、見るからに満足感たっぷりだ。
ちょっとはしたないけれど、パンを開いてみるとこの通り。
食べてみてさらに驚いた。パストラミとは、保存性を高めるために塩漬けにした肉を香辛料で調味し、燻製した肉料理。なのだけど、思いきってかぶりついてみると、信じられないくらいに肉が柔らかくてジューシーなのだ。それはまるで、高級なレアステーキやローストビーフを口いっぱいにほおばっているかのような、極上の幸福感!
そこにきめ細かく絡まるチーズや、シャキシャキとした野菜、そしてバター風味の、カリッと香ばしいパンの味わいや食感が加わる。これは僕の知るサンドウィッチを超えた、まるで“ひとかたまりのコース料理”だ。
しかも、大人ふたりでシェアしてもじゅうぶんに満足できるボリューム感。これで1550円は、むしろ破格だと思える。以来、『ムームー・サンドウィッチワークス』は、「今日はちょっと美味しいものが食べたいな」という気分の日、真っ先に候補に浮かぶ店となった。
店主、加藤さんがサンドウィッチ屋を開くまで
店主の加藤さんは「私、本当に何も考えてないんです! なんだかすいません」が口癖の、明るいキャラクター。初めて訪れた時に、「うちは本当に自由な店なんですよ。コーヒー一杯飲むのに寄ってもらってもいいし、ビールやレモンサワーも置いてるから、朝から飲んでもらってもいいし」なんて話を聞いて、その人柄にも惚れこんでしまった。
そんな加藤さんが、なぜこんなにもすさまじいクオリティーのサンドウィッチ屋をオープンすることになったのだろうか?
加藤さんの出身は静岡県駿東郡清水町。沼津と三島に挟まれた自然豊かな街で、「東京にも美味しい店はたくさんあるけれど、今思うととても贅沢な場所だった」と語るほど、魚介類も野菜も豊富な土地だった。
高校卒業とともに、「とにかく東京に出たい! 東京に出れば何かあるはず!」という漠然とした希望を胸に上京。新宿の調理学校へ2年間通ったが、両親との約束のため一度は故郷に戻り、地元のフレンチレストランで2年間修行を積んだ。
しかし当時の「カフェブーム」にあこがれを抱き、再度上京。ブルターニュ地方の伝統料理であるそば粉のクレープ「ガレット」を日本で初めて出したことでも有名な、神楽坂『LE BRETAGNE(ル ブルターニュ)』や、代官山『eau cafe(オゥカフェ)』などで働く。
その後、結婚〜出産を経て、一時的に飲食店で働くことができなくなり、ケータリング業を始める。その時の代表メニューが、丸パンを焼いて作る具沢山のサンドウィッチ。1箱500円とリーズナブルなこともあって好評で、つながりのあったアパレル業界の撮影現場などで重宝された。やがて、「仕事場で食べる朝ごはんが美味しいと、みんなの気分があがる」という声を頻繁に聞くようになる。もともとはお酒も大好きで、自分が店をやるなら夜がメインと考えていた加藤さんだったが、そんな経緯から、朝昼メインのお店もいいんじゃないかと思うようになったのだそう。
子供が保育園に通うようになると、やはり好きだった飲食店に関わりたいという気持ちが戻ってくる。そして、どうせなら自分のお店を持ってみたいと思うようにもなり、物件探しを開始。
ご主人も飲食業をやられているため、自宅から通いやすい、大泉学園、石神井公園エリアの空き物件を一緒にあちこち見て回った。しばらくは「ちょっと違うなぁ」の連続だったのが、この場所を見た時、初めてふたりとも「いいんじゃない!?」と意見が合ったのだそう。
そして2020年11月、『ムームー・サンドウィッチワークス』はオープンした。
クレームがくるほどの大ボリューム
ご自身の店について聞くと、「本当は何屋でもよかったんですよ。単なる思いつきです」とはぐらかすのがいかにも加藤さんらしいが、修行時代〜ケータリング時代にかけて、やはり深い縁があったのだろう。この場所で、サンドウィッチ屋をやろうと決意する。
ただ、加藤さんの理想とするサンドウィッチは、誰もがお腹がいっぱいになって、野菜もたっぷりとれる満足感のあるもの。いい具材を選んでたくさん使えばどうしても原価が上がる。ならばぜんぶ自分で作ろう! と思いつく。というわけで、修行時代の経験をいかし、パストラミビーフも、ベーコンも、スモークサーモンも、すべてを加藤さんが仕込むという、安心安全で美味しく、かつギリギリまで価格を抑えた店を実現することができたのだ。
「ただ、クレームもたまにあるんです。食べづらいって(笑)」と語る加藤さん。
ここまでやれば、そりゃあそんな愛のあるクレームがくるだろう……。
ただし、パンだけはどうしても毎日焼いていると追いつかない。そこで、信頼している創業60年の老舗、東武練馬の「鈴木ベーカリー」に、自分たちで仕入れに行っているのだそう。卸し専門のパン屋でありながら、「朝早くから作業していて申し訳ないから」と、近隣の子供たちにサービスでパンを配ったりもする人情あふれる社長で、ここのパンでないと『ムームー・サンドウィッチワークス』の味は完成しないのだとか。
ラインナップは、単純に自分で食べたいと思ったもの。「本当に何も考えてないんです! ぜんぶノリと思いつきだけで。なんだかすいません」と、相変わらずの加藤さんだが、そんな発想の自由さから飛び出す幅広いメニューが、ここをいっそう楽しい店にしていることは間違いない。
たっぷりの野菜や玉子焼きと渾然一体となる、ガーリック風味のぷりぷりとしたエビ。それをふわりと包み込む、香ばしくも柔らかめのバゲット。これまたごちそうすぎる!
パンではないけれど、これまた美味なブリトー。全粒粉入りのトルティーヤ生地に、マトウダイのフィッシュフライや野菜、さらにはごはんまで入る。
その理由は、かつて加藤さんがハワイで食べて気に入り、「ごはんがないと食べた気がしないから」とのことで、これまた大人2人でシェアして食べても大満足なボリューム。
テイクアウト&デリバリーにもぴったり
こんなにも実力のある店だから、若干の立地的不遇にも負けず、『ムームー・サンドウィッチワークス』はどんどん地元の人気店になっていった。それでも、刻々と状況の変わる新型コロナウイルスの影響により、一時は存続が危ぶまれることもあったという。
そこで加藤さんが思いついたのが、デリバリーサービスの導入。もともとテイクアウトには対応していたものの、世間的なデリバリー需要の高まりを見て試しに登録してみたところ、その美味しさは口コミによってどんどん広まり、特に、熱心なリピーターが増えていったのだそう。
燻製の香りをまとったとろけるようなサーモンとクリームチーズのまろやかなハーモニーがたまらない! 本当に、何を頼んでも想像を超えた満足感を味わえる店だ。
またまたパンではないけれど、お子さんに食べさせるため、家で作っていたそのままのレシピで作っているというパンケーキも、やっぱりスペシャル感がすごい。
今や店は、4人もの店員さんが手伝うほどの繁盛店に。
写真に写るふたりは、かつては夜な夜な都会の街で飲んでいたという古い友人だそう。加藤さんの人柄を慕って集まる仲間たちが作り上げる店の空気は、どこまでも開放的で心地よい。
加藤さんは、もっとお子さんが成長したら営業を夜まで伸ばし、定食やもつ煮を出すような、なんでもありの店にしたいと語る。また、飲食以外にも、この店のつながりを生かしたオリジナルグッズも作りたいし、店でアコースティックライブをやってみたいしと、そのアイデアはとどまるところをしらない。
そんなふうに自由で、今後の展開に目が離せず、そして何より、本当に美味しいものが食べられる店が地元に誕生してくれたことが、心の底から嬉しい。
取材・文・撮影=パリッコ