ひっそりとした路地の2階、開いたばかりの喫茶店に訪れたサプライズ
数々の名店がある歌舞伎座周辺の木挽町通りと松屋通りがぶつかる角にあるビル。細い階段を上がったところに『樹の花』はある。オープンして4日目の1979年8月4日に思いも寄らない人物が訪れた。
「初めて開いたお店で、最初はお客さんが階段を上がってくる音が聞こえると、それだけでドキドキしていたんです。ドアが開いたから、『いらっしゃいませ』と顔を向けたらオノ・ヨーコさんが最初に入っていらっしゃって、その後にジョン・レノンさん。本当にびっくり」
店主の成沢弘子さんは40年以上経った今も当時の驚きをありありと語る。ロングヘアのオノ・ヨーコさんは長いスカートを履いていたという。
「おふたりが目を見つめ合いながら、お話していた姿が目に焼き付いています」
若いころから何か自分の仕事を持ちたいという気持ちを持っていた成沢さん。子育てが落ち着いてから知人のレストランを手伝うなどするうちに、おいしいコーヒーとケーキを出す店を出せたらと思うようになった。コーヒーの淹れ方や喫茶店経営を学べる学校に通ったあと、不動産屋さんに紹介されたのが今『樹の花』がある場所だ。
「今は飲食店がたくさんできましたが、当時はこの通りはひっそりしていました。2階だし、入り口の階段が狭いし、お客様が入ってきてくださるだろうかと心配でしたが、まあやってみよう、と。それからが大変でしたけどね」。成沢さんは上品な口調で話しながら、ときにコロコロと明るい笑い声を交える。
銅製のやかんを使ってコーヒーを淹れて味見。そこに楽しみがある。
1979年当時は、家庭でもコーヒーを淹れられる道具類がようやく普及してきた頃。この頃の喫茶店は一度に何杯もコーヒーを淹れて、注文ごとに温めて出すという店がほとんどの一方、コーヒー専門店と称して自家焙煎をする店が少しずつ増えつつあった。
『樹の花』では、オープン当初から焙煎所から1日おきにコーヒー豆を配達してもらって、新鮮な豆で淹れたおいしいコーヒーを提供することを基本にしている。もちろん注文を受けてから豆をひき、ハンドドリップで丁寧に淹れる。お客さんに味の好みを聞いて提案することも多い。成沢さんがコーヒーを学んだ先生が銅製のやかんを使っていたのを受け継いで、今日まで変わらず銅製のやかんを使うのが『樹の花』流だ。
「やかんが重いので、淹れるときは少し足を開き加減にして体全体でバランスをとって回しいれていくんです。最初に蒸らしているとき、豆が気持ちよさそうに膨らんでふっと一息、膨らみ切るとポッと息を吹くみたいな合図があって、そうしたら次のお湯を注ぐ。タイミングは豆が教えてくれるんです」
成沢さんはお客さんに出す前に必ず一口小さなカップでコーヒーを味見する。
「コーヒーをね、入れる楽しみがあるの。味見をして『ああ、よく入った』とお客様にコーヒーを出して、チラリとお顔を見るんです。満足していただいているようだと嬉しくなります」
ジョンとヨーコのファンに加えて、近隣の大企業に勤める人がランチや休憩に訪れることも多く、歌舞伎観劇帰りの客でも席がいっぱいになった。成沢さんの人柄やコーヒーの味を慕った文化人も店をよく訪れた。
オープンから20年ほど経った頃には、人伝てに知り合ったインド人青年によるスパイスを使った本格的なカレーがメニューに加わって、ランチタイムもより一層にぎやかに。カレーは今も人気メニューだ。
「店を閉めてから夜遅くまで仕込みをやって、疲れて東銀座の駅から飛び乗った最終電車が反対方向に行っちゃったこともあったぐらい。夢中でやっていたらもう何十年も経っていて、今でもびっくりします。でもおかげで、銀座のこの店でなければ、出会えなかったいろんな方とお会いできました」と成沢さんは振り返る。
実際、常連の文化人たちがその著書の中で取り上げることも多く、『樹の花』は銀座の文化や歴史に小さくない功績を果たしてきたのだ。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻が訪れた日から40年あまりがすぎ、やかんを使ったコーヒーの淹れ方はスタッフにも受け継がれている。これまで成沢さんが長く育ててきた『樹の花』の魅力は、これからもたくさんのお客さんがコーヒーと共に味わっていくことだろう。
取材・文・撮影=野崎さおり