清野とおる Seino Toru
1980年、東京都生まれ。漫画家。代表作に『東京都北区赤羽』シリーズ、『その「おこだわり」、俺にもくれよ!!』など。最新刊『東京怪奇酒』(全2巻)は、2021年2月にテレビ東京でドラマ化。現在「コミックDAYS」にて『さよならキャンドル』を連載中。
東京都北区赤羽2021
今こうして原稿を書いている僕、酒場ライターのパリッコは、清野さんとはもう15年来の飲み友達だ。清野さんが、日々目を疑うようなディープな出来事に遭遇しまくる伝説のノンフィクション漫画『東京都北区赤羽』シリーズ。連載当時の赤羽は、行けば必ず風景の一部のように路上アーティストの「ペイティさん」がいて、地場の狂いまくった居酒屋「ちから」が元気に営業していた。そして、清野さんが引き寄せているとしか思えないほど、信じ難くもエキサイティングな奇跡が必ず起こったものだ。
2018年、久々に赤羽で清野さんと飲んだ時、「最近の赤羽はすっかり様変わりしてしまった。自分も当時のように赤羽の街とチャンネルが合わなくなり、おもしろい出来事にもまったく遭遇しなくなった」と言っていたのを覚えている。
それから3年、またしても清野さんと赤羽を飲み歩く。はたして赤羽の街の今はどうなっているのか? 清野とおるという男と、現在の赤羽の周波数は合わないままなのだろうか?
清野とおるゆかりの地と叶えたい密かな夢
まずは手始めに、昼間の街を徘徊(はいかい)してみる。ビルの屋上にあり、清野さんの漫画によって“たどり着けないお稲荷さん”として有名にな った作徳稲荷大明神は、建物とともに2021年中に取り壊されてしまうらしい。普通なら部外者が立ち入っていい雰囲気ではない雑居ビルの入り口に、以前はなかった真新しい看板が設置され、ここがあの有名なお稲荷さんだと説明書きがある。階段を上って屋上に出ると、お稲荷さんの周囲が仰々しく飾りたてられ、変わってしまった赤羽と同時に、清野さんが力技で変えてしまった赤羽をも強く感じた。
僕やカメラマンも含む全員がお賽銭(さいせん)を投げ込んでみるが、誰も入らない。が、最後に清野さんが挑戦すると、五円玉はあっけなく賽銭箱に吸い込まれ、ふと、今日ならば何かが起こるんじゃないかという予感がした。
さらに、漫画に登場した「幸福地蔵」に参り、伝説の居酒屋「ちから」の跡地へ。現在はおいしいと評判のタイ料理屋になっているが、当時マスターが店の錠代わりに使っていた大きな石(入り口に外側から立てかけるだけで何の意味もなかったけど)が、そのままになっているのがうれしい。
パリッコ (以下パリ) : まさに、聖地巡礼な コースでしたね。
清野 : 懐かしいですね。当時の雰囲気を思い出しますよ。
パリ : ですねー。ではそろそろ、飲みに行きますか。どこで始めましょう?
清野 : 前に駅前の『ゴルフ』ってスナックに一緒に入ったの覚えてます? 地下にあって薄暗くて、目の前に絵に描いたような不倫カップルが座ってた。赤羽には『ほーるいんわん』ってスナックもあって、実はパリッコさんとその2軒をハシゴするのが小さな夢だったんですよ(笑)。なんだか縁起が良さそうじゃないですか?
『ゴルフ』は、チェーン店が並ぶ赤羽駅東口の目の前に、時が止まったような様子で残っていた。U字カウンターだけの小さな店で、10年以上前の記憶が瞬時によみがえってくる。驚いたのは、寡黙な印象だったマスターの陽気さと若々しさで、そこだけが記憶と違う。マスターに聞けば「ワケありの客が入ってくればすぐにわかるからね! きっと大人しくしてたんでしょ」。
パリ : この店、今年(2021年)で51年目。マスターは78歳ですって。異常に若くないですか?
清野 : 年を取ってないどころか若返ってますね。さっき入り口の螺旋(らせん)階段を下りてくる時、過去の赤羽へタイムスリップしていくような感覚を抱いたんですけど、それと合わせてすでに脳がクラクラしてます。
その時、かつての赤羽で毎度感じた混沌(こんとん)の夜が始まる合図、カチリと歯車が噛み合う音が確かに聞こえた。
ふと前を見ると、パック寿司をつまみに持参した日本酒を飲む男性がいる。その客が突然、まるで旧知の仲のように次々と我々に酒を振る舞いだし、いきなりの日本酒祭りとなった。
その後も街の要人ともいえる濃厚なキャラクターの客たちが続々来店し、出来すぎたシチュエーションに笑ってしまう。清野さんも「ひとりまたひとりと役者が揃ってくる感じ。かつての赤羽ってこういう出会いがたくさんあったなぁ」と言葉をもらす。
漫画に描けなかった気になるあの店へ初訪問
あまり密になっても良くないだろうと、名残惜しくも『ゴルフ』を後にし、『ほーるいんわん』に向か ったが、あいにく休業中。小さな夢は後日にとっておくことにしよう。
そこで、近くにあって、清野さんがあえて行くのを避けていたという『スナック雪子』を訪ねてみることに。
清野さんの記憶によれば、『雪子』は以前、ごく普通のスナックだったそう。店の外観が狂気すらも感じる貼り紙に埋め尽くされだしたのは つい最近のこと。ママ(本名:百代・ももよさん)に話を聞くと、ここに空きを見つけて店を開いたのが3年前。その際、もともとこの場所にあった「雪子」というスナックの店名を、変えずに残してあげたのだそう。それが今ではすっかりこっちが赤羽の「雪子ママ」で定着しているのだから、人生はおもしろい。
パリ : 雪子ママ、上品で物腰のやわらかい素敵な方ですけど、だからこそ店のインパクトとのギャップが引き立ちますね。
清野 : この店の雰囲気がどんどんおかしくなっていったのって、赤羽の連載が終わってからだったんですよ。それでここがおもしろい店だったら、漫画に描けなかったことを悔しいと思うに決まってるんで、どこか嫉妬混じりの気持ちもあって来られなかったんです。なので今日はいい機会になりました。遅咲きの、しかも狂い咲きの桜のような店ですね。見事な咲きっぷり(笑)。
パリ : ところで清野さん、さっきマスターの太郎さんに「そば食ってる姿、記憶にあるよ」って言われてませんでした?
清野 : そうそう! マスター、僕が昔からよく行ってる『百万石』っていう立ち食いそば屋で働かれてた方だったんです。僕もそばを茹でてる姿が記憶にありましたよ。
パリ : さっき「ほらほら!」ってかぶってくれてたの、その店の帽子だったんですね。なぜ持っているのかは謎だけど。
清野 : そんな方が今、スナックで二郎系ラーメンを作ってるのも謎。
パリ : 謎だらけ(笑)。
この日のラストは、漫画にも何度も登場した現赤羽“最狂”の店、タイ料理の『ワニダ2』。ここだけは清野さんが事前に予約をしておいてくれたものの、清野さんが『雪子』でサイン色紙責めに遭い、予定の時間を遅れそうだったので、僕だけ先乗りしておくことに。カウンターで飲んで待っていると、遅れて到着した清野さんが、興奮気味にこんなことを教えてくれた。
清野 : 今ここに着いた時、店の真ん前に、昔漫画で描いた「ウロウロ男」が座ってたんですよ! 数年ぶりの再会に感動して思わず話しかけたら、無視された挙げ句どっかに行かれちゃいましたけど。
パリ : えー、あのウロウロ男が!
清野 : カメラマンさんが一緒にバッチリ目撃してくれました。すぐにパリッコさんも呼べ ばよかったです。まぁ、呼んだところで、ですけどね……。
パリ : 奇跡起こりすぎで、もうおなかいっぱいです(笑)。
清野 : 奇跡といえばさっき『雪子』に、漫画にも描かせてもらった大好きな弁当屋の従業員がたまたまいまして、そこが来週水曜に閉店しちゃうことを教えてくれて。明日、別れの挨拶に行ってきます。
パリ : すごいタイミング。今日の赤羽、大盤振る舞いですね!
それからは、いつものようにワニダの下ネタを聞きつつ楽しく飲んだ。その後も、店で飲んでいた謎の号泣美女に絡まれたり、帰り道に駅前で声をかけてきたキャッチの男性に、清野さんが突然「ところで幽霊って信じますか?」と聞いてみたら、「うちにすごい心霊写真があるんですよ」と語りだしたので、後日改めて見せてもらう約束をしたり。
そしてそんな小さな奇跡が起こるたび、清野さんが「パリッコさん、これ完全に“赤羽”ですね!」と笑う。本当に、あの頃の赤羽にタイムスリップしたような楽しい夜だった。
清野さんと赤羽のチャネルが再び合い、新たな物語が始まる日も、そう遠くはないのかもしれない。
取材・文=パリッコ 撮影=鈴木愛子