浦和といえばレッズ。だけど名前は「鹿島」湯で……
「こっちが先に名前付けてますからね……」
鹿島湯の創業は昭和31年(1956)。鹿島アントラーズの設立が平成3年(1991)だから、もちろんこちらの責任(?)ではないし、この辺りの地名である鹿島台から取った名前なのだし……。とはいうものの、浦和レッズサポーターでもある3代目店主・坂下三浩さんは微妙な気持ちである。
初代店主は三浩さんの祖父で、銭湯専門の大工だったそう。息子とともに建てたのが現在の建物で、一度だけ内装を大きく改築したものの、ほとんどが当時のまま。昔ながらの高い天井に、お湯や桶の音が心地よく響く。「銭湯っていいなあ」と思うような空間だ。
工夫がいっぱい、ピカピカの浴室で豊かなお湯に浸かる
ペンキ絵からつながる壁や天井が水色だからか、明るい陽射しの入る浴室は、青空の下の露天風呂のよう。男湯と女湯にまたがる二股の電灯がおしゃれで、明かりが灯る暗くなってからの時間も風情がありそうだ。
薬湯はぬるめ、ジェットは座風呂でちょっと熱め、ジャグジーはその中間くらい。
「井戸水を薪で焚くので、温度の調整が難しくて」と三浩さんは話す。薪を焚くだけでも重労働だが、季節や天気によって、水の温度や薪の状態が変化することを考えると、本当に難易度が高い。しかし、薪による遠赤外線効果で、お湯がやわらかいと客には好評だ。また飲料用として、冷やした検査済みの井戸水を無料で提供している。風呂上がりはぜひ忘れずに。
週替りの「今日の薬湯」も人気だ。この日はこんぶ湯とにごり湯のミックス。こんぶのぬめりが肌によく、しっとりすべすべになるという。
銭湯を継ぐとは夢にも思ってなかった、という三浩さんが3代目になったのは2013年頃。約2年後、銭湯を手伝うようになった妻の知枝さんが驚いたのは、常連たちの肌だ。
「みんな、本当につやつやでピカピカなんですよ。大体10歳は若くみえる感じ。だから、実年齢を聞くとびっくりしちゃう」とのこと。まさに銭湯健康法。あやかりたい……。
イベントにランステ、充実のサービスがいっぱい
冷たい井戸水が飲めることは前述したが、それ以外にも、誕生日月限定の無料入浴券の配布や、ここに荷物を置いてランニングを楽しみ、銭湯にも入れるというランニングステーションとしての機能もあり、サービスはとても充実している。
また、待合を利用したカフェやクラシックのコンサート、落語会など、今までに企画したイベントも数多い。イベントがきっかけとなり、一見から常連になってくれる人もたくさんいるため、これからも続けていきたいと話す。
「イベント企画はいつでも募集中なので、声をかけてください!」とのこと。
「鹿島湯を支える会」とクラウドファンディング
「浴室プラネタリウムもやりたいんです」と三浩さん。やりたいことも続ける意欲も十分すぎるほどあふれているが、今一番心配なのは設備の老朽化だ。シャワーや水栓、イオン調整器、ボイラーの故障……。数々のトラブルに、どうにか対応してきたが、ここにきて銭湯の心臓部である釜が経年劣化で破損してしまった。やむを得ず臨時休業し、応急処置で対処したものの、日々戦々恐々である。
3代目になった最初の3年間も本当に厳しかったそうだ。意外なことに、5年目に友人が作ってくれた自虐コピーで救われたという。「ホームなのにアウェイ。」や「この鹿島はあの鹿島ではありません。」「肩身はせまいですが、湯船はひろいです。」などがメディアに取り上げられて、それが宣伝となり、瀕死の状態から浮上した。
そして、新たなピンチが訪れている今、立ち上がったのは常連と地元の友人たちだ。「歴史ある銭湯を残したい。そして地元とつながりの強いこの空間を守りたい」という気持ちから「鹿島湯を支える会」を発足。クラウドファンディングで修繕資金を集める準備を進めている。応援してくれるこの声が力になる、と三浩さんは語る。
「ありがとう 感謝」と書かれた釜の蓋に寄せる想い
銭湯の数は年々減り続ける一方だが、「銭湯という文化を残したい」と三浩さんは語る。大きな風呂に入る、それだけではなく、地元の人の繋がりができる場としての役割、また「残してくれなきゃ困る!!」という常連の声にも応えたい。そして、そのためには設備にもまだまだがんばってもらわなければならない……。
「ありがとう 感謝」。釜の蓋に書かれたこの言葉は、諸々の銭湯の設備に向けたものだ。風呂を沸かしてくれる道具たちに毎日感謝の気持ちで接する三浩さん。静かに燃える、熱い想いを感じた。
取材・文・撮影=ミヤウチマサコ