2週間煮込んだデミグラスソースが人気の老舗洋食店
雷門から仲見世通りを抜け、浅草寺本堂を越えたところに広がる浅草観音裏。かつては芸妓がかっ歩する花街として知られたこのエリアの一角に『グリルブランド』はある。
創業は1941年。山王ホテルでフランス料理の腕を磨いた坂本友治郎さんが、西欧料理店としてオープンしたこの店は、洋食の草分け的存在だ。戦争の機運が高まるなかでの開店だったが、浅草花柳界で話題となり、当初は売り上げの大半を近隣の料亭に運ぶ仕出し料理から得ていたという。
一般の客が訪れるようになったのは、2代目に代替わりしてからのことだ。伝統の味は地元の人々の胃袋をつかみ、揺るぎない支持を得た。人の流れが変わり、浅草の街が観光客で賑わうようになると、新規の客も急増。観光客の間でもあこがれのスポットとなり、2019年には人気番組『情熱大陸』に取り上げられ注目を集めた。
2000年以降は、2代目の譲一さんと3代目シェフの良太郎さんが伝統の味を支えてきたが、数年前には、大手企業で25年間経営のノウハウを学んできた長男の昌一さんが加わり、親子3人体制で『グリルグランド』の新たな歴史を刻み始めた。
そんな『グリルグランド』の名物は、良太郎さんが2週間かけて作り上げるデミグラスソース。おもにビーフシチューやハヤシライスに使われるこのソースの特徴は、一度食べたらやみつきになるビターさにある。デミグラスソースは甘くないと! という人には敬遠されることもあるが、旨味と苦味が絶妙にからみあう濃厚ソースはどれだけ食べても食べ飽きない。なかでもビーフシチューは、シェフ特製デミグラスソースにさらなる手間を加えた自信作だ。歯がなくても食べられるほどやわらかな肉は、デミグラスソースで7時間煮込み、煮崩れを防ぐための一工夫をプラス。見た目と匂い、食感、味、口の中でほろっとほぐれるかすかな音、まさに五感で堪能できる一品に仕上がっている。
コロッケグランプリ6回連続金賞受賞のカニクリームコロッケが愛される理由
ビーフシチューやハヤシライスの“追加の一品”として人気を集めているのが、カニクリームコロッケ。一般社団法人 日本コロッケ協会が主催するコロッケグランプリでクリーム部門の金賞を連続受賞、マツコ・デラックスの冠番組でも絶賛された、コロッケ好きにはたまらない一品だ。重量は約80gとかなりのボリューム。箸を入れるとカリッと音をたてて割れるが、形が崩れるようなことはない。サクサク食感をたのしみながらほおばれば、ベシャメルソースの風味とカニのエキスが口いっぱいに広がった。
この味にハマって以来、ほかのコロッケが食べられなくなった常連客も多いという。その理由を昌一さんに聞くと、意外な答えが返ってきた。
「カニの茹で汁を混ぜているので風味は感じられると思いますが、ベシャメルソースの作り方というのはどの店も大差ないんです」。
おいしさの秘密は、油にあった。
こだわりは、自家製ラード。大量の背脂を鍋で煮出し、黄金の油を抽出する。その一番油でていねいに揚げることで、カリッと香ばしく仕上がるという。新鮮なラードを使って揚げたコロッケは、胃もたれしないばかりか、クリームの風味まで際立つらしい。この魅力は、エビフライやロースカツ、メンチカツなどにも生きている。
経営を担う兄と厨房で腕を振るう弟、二人三脚で創業100年を目指す
兄の昌一さんが会社員としてキャリアを重ねる間、弟の良太郎さんはホテルやレストランで修業を積み、30歳で家に戻った。長い間、2代目と二人きりで店を切り盛りしていたが、親子げんかを機に厨房を受け継いだ。
昭和ロマン感ただよう老舗洋食屋の経営は、見た目と違わずアナログだ。そこに新風を巻き起こしたのが、兄の昌一さんだ。家に戻った昌一さんがまず着手したのは、台帳のデータ化。さらにワインのリストや顧客データベースを構築していくうちに、店の弱点が見えてきた。
「厨房のことは弟に任せきり。僕はサラリーマン時代に身につけたノウハウを活かして、接客や経営面から店を盛り上げていくつもりです。顧客データベースを接客に活かすようになってからは、新しいリピーター客も増えたんですよ」。
3歳違いの良太郎さんとは、関係性も良好だ。
「最大の目標は、100周年まで兄弟でがんばること。祖父母や両親が築き上げてきた伝統を守りつつ、浅草の洋食文化を全国に広めていきたいですね」。
時代が移ろい、人の流れが変遷しても、変わらぬ味がそこにある。100周年まであと20年。浅草の街並みがどんなに変容したとしても、『グリルグランド』は伝統の味でもてなしてくれるだろう。
構成=フリート 取材・文・撮影=村岡真理子