想像力をかけたてる消えかけのペンキ看板
ペンキ絵は、年月を経るうちに色あせて風化してしまう宿命にある。年代物のペンキ絵は、「かつては色鮮やかな色彩で描かれていたのだろうな」と、古墳の壁画を眺める気持ちで鑑賞したいものだ。たとえば小田原の梅干工場で発見した絵は、絵柄がほぼ消えかけてしまっているが、目を凝らしてよくよく見てみれば、おばあさんが梅干しづくりに精を出している様子が見えて微笑ましい(画像1)。
また高田馬場の商店に掲げられた「アンナの家」というクッキーブランドの看板は、すっかり色あせてはいるものの、パステルカラーの配色や丸いフォントに時代を感じることができるだろう(ちなみにここは私の中学時代の通学路なのだが、この看板が30年前もこの状態であったことは付け加えておきたい)(画像2)。
ペンキで描かれたキャラクターの味わい深さ
ペンキ絵のジャンルの一つに、キャラクター絵がある。割と多く発見できるのは車のキャラだ(画像3,4)。
車の擬人化についてはまた稿を改めて述べたいところである。人物がペンキ絵で描かれている場合、それは大抵昭和の漫画の香りを色濃く残したキャラクターで、これら人物画の傾向に着目するのも鑑賞の楽しみである(画像5,6)。
また古いペンキ絵の場合、有名なキャラクターと類似しているのでは……というギリギリの雰囲気を持った絵も存在する(画像7)。これらの絵を通して、「類似性とは何なのか」といった問題も考えていきたいところだ。
思わず立ち止まる超絶技巧のペンキ看板たち
そしてペンキ絵の醍醐味は、何と言ってもリアルな表現にあるのではないだろうか。府中・大東京綜合卸売センター内の鮮魚店では、ウロコの一枚一枚まで丁寧に描かれたタイやカニの絵を鑑賞することができる(画像8)。
狛江のすし店の看板に描かれた寿司も、色あせてはいるものの、イクラの一粒一粒まで細密に描かれている(画像9)。
府中のスポーツ施設の看板も、フットサルに興じる人々がリアルに描かれ、一枚の作品として完成されている(こちらの看板には、左下に作者のサインがある)(画像10)。
また同じ作者の手によると思われる作品が駐車場内にあるが、こちらは「過去‐現代‐未来」を一枚に収めた想像画となっている(画像11)。
リベラルに主張するペンキ絵たち
この絵のようにペンキ絵は、表現方法とマッチしているためか、作者の主張とともに掲示されることも多い。東大阪で発見したペンキ絵は、缶を手に持つ女性の絵とともに「くちびるタッチのなかなのに やめてポイステ!」という刺激的なコピーが書かれている(画像12)。
また花巻の道沿いに掲げられた数枚のペンキ絵では、米や牛肉の輸入自由化に反対する主張が、花巻出身の宮沢賢治の作品にかけて表現されていた(画像13,14)。これら作品を鑑賞することで、グラフィックデザインの勉強にもなる。
そして理屈抜きに感動の絵はこれ!
ここまでさまざまな種類のペンキ絵について述べてきたが、絵画鑑賞にあたって最も大切なことは「絵を見た瞬間に受ける感動」ではないだろうか。そういった意味で私の心に一番響いたのは、所沢街道の田無付近をバイクで走っていた際に発見した絵である(画像15)。
虹と雲を背景に、飛行機が青空へ飛び立っている。看板には会社名が記されているのみで、業種や所在地、電話番号など何一つわからず、看板としては不十分かもしれない。しかしこんなに夢溢れた看板があるだろうか。このような絵を描けるようになるべく、今後も精進していきたいと思う。
絵・取材・文=オギリマサホ