横須賀美術館からの眺め。曇天ながら東京湾と満開の桜が望めた。
横須賀美術館からの眺め。曇天ながら東京湾と満開の桜が望めた。

ではさっそく散策へ出かけます。きっと美術館の裏手を歩くと、レンガ製やコンクリートの構造物の遺構が眠っているのでしょう。ワクワクしてきます。横須賀美術館を出て、裏手にある丘陵へ細い散策道が続いています。

散策道は林の中へ分け入り、鳥のさえずりが心地よい。
散策道は林の中へ分け入り、鳥のさえずりが心地よい。
砲台跡の看板が現れる。
砲台跡の看板が現れる。

と、右手に10m程度の長さの古い石垣が現れました。一部は苔むし、なんだろうこれは?と訝しんでいると、前方にレンガの壁面が視界に入りました。どうやら、気が付かぬうちに「三軒家砲台跡」へ分け入っていたようです。

突如として現れた三軒家砲台の遺構。どうやら便所跡らしい。
突如として現れた三軒家砲台の遺構。どうやら便所跡らしい。

散策道の先を見やると、何やらレンガの構造物が。それは砲台跡のメイン部分である、砲座と弾薬庫の構造物でした。かつて三軒家砲台は二十七センチ加農砲(カノン砲)が4基、十二センチ速射砲が2基配備されており、前方に見えるレンガアーチは二十七センチ加農砲の部分にあたります。

散策道の坂を登ると現れるレンガ構造物。「横墻(おうしょう)」と呼ばれる部分で、左の階段部の上に砲座があった。
散策道の坂を登ると現れるレンガ構造物。「横墻(おうしょう)」と呼ばれる部分で、左の階段部の上に砲座があった。

いまとなっては、砲台というのは身近な存在ではなく、構造もいまいちイメージしにくいです。私だって「砲台といえば、ラピュタの要塞シーンに出てくるロボットに壊されるアレでしょ?」と思っちゃうほど(笑)。

砲台の構造をザッと説明すると、円形の空間に弾を打つ砲があって(砲座部分)、大抵は砲座の直下や至近に弾薬庫があり、距離や敵の状況を観測する観測所や司令所が隣接しています。

上写真の真後ろからみた。左の石垣がトイレ跡らしき遺構、右は横墻と砲座。奥は観測所跡。
上写真の真後ろからみた。左の石垣がトイレ跡らしき遺構、右は横墻と砲座。奥は観測所跡。

いま目の前にある砲台跡は、土塁(盛土)の側面部にレンガ造りの壁面があって、下部は地下構造となっており、階段が配置されています。地下部分に弾薬庫があって、土塁の上部側に砲台が配置されていました。

左の横墻部分は地下の弾薬庫へ降りる階段がある。親子連れの右側にも立入禁止の通路があり、掩蔽(えんぺい)部というシェルターへ通じていた。
左の横墻部分は地下の弾薬庫へ降りる階段がある。親子連れの右側にも立入禁止の通路があり、掩蔽(えんぺい)部というシェルターへ通じていた。
横墻と弾薬庫。レンガと石積みの境目が面白い。弾薬庫は塞がれている。立入禁止である。
横墻と弾薬庫。レンガと石積みの境目が面白い。弾薬庫は塞がれている。立入禁止である。

地下部分を覗くと階段はあるものの、弾薬庫だった部屋の入り口部分はコンクリートで蓋をされていて、中がどうなっているか分かりません。階段も立入禁止のロープがあり、降りることはできません。

加農砲のあった砲座部分は、直径10数メートルほどの円形となっていて、何かの青空舞台を連想します。円形の壁面部には伝声管のあったと思しき小穴が穿(うが)たれています。こういう同じ構造が合計4カ所等間隔にあって、一番左側のレンガ壁面だけは地下の弾薬庫がありません。そこには司令部や、砲撃の距離などを調べる観測所があったそうです。

二十七センチ加農砲があった砲座部分。壁面部分は「胸墻(きょうしょう)」と呼ぶ。迷彩塗装らしき痕跡が見受けられる。
二十七センチ加農砲があった砲座部分。壁面部分は「胸墻(きょうしょう)」と呼ぶ。迷彩塗装らしき痕跡が見受けられる。
砲座を逆にして見た。円形の空間が広がっている。
砲座を逆にして見た。円形の空間が広がっている。
胸墻には伝声管跡の穴がある。
胸墻には伝声管跡の穴がある。
同じく胸墻のクローズアップ。石垣部分には何かを設置していた跡が残っている。
同じく胸墻のクローズアップ。石垣部分には何かを設置していた跡が残っている。

観測所のあった煉瓦壁面には鉄扉が固く口を閉ざした状態で閉まっており、壁面には樹木が数本立派に育っています。もう役目を終えて87年。自然に還りつつある砲台の姿を見ていると、アンコールワットなどの森林地帯にある遺跡のような佇まいを醸し出していますね。アンコールワット行ったことないけど。

観測所。樹木が成長し遺跡の雰囲気が十二分に漂っていた。
観測所。樹木が成長し遺跡の雰囲気が十二分に漂っていた。
観測所の鉄扉。この部屋は観測所付属室であった。観測所はこの上部にあるが現在は立入禁止。
観測所の鉄扉。この部屋は観測所付属室であった。観測所はこの上部にあるが現在は立入禁止。

「三軒家砲台跡」全体を見ると、いつ整備されたかわかりませんが、立入禁止箇所には柵やロープがしてあって、見学できるのは砲座部分とレンガ壁面部分です。あちこち立入禁止となっているので、その先が気になると思っても立ち入らないように。お気をつけください。

砲座へ至る階段は苔むしている。
砲座へ至る階段は苔むしている。
井戸跡と思しき遺構。
井戸跡と思しき遺構。
掩蔽部へ至る道は立入禁止の柵からでも覗ける。
掩蔽部へ至る道は立入禁止の柵からでも覗ける。
東京湾を望める「三軒家園地」脇にも砲台の一部と思しき石垣があった。
東京湾を望める「三軒家園地」脇にも砲台の一部と思しき石垣があった。

砲台跡が現役のころは大きな加農砲が並び、将兵が忙しなく行き来していたことでしょう。東京湾を守備するという緊張した空気感は87年後のいまガラッと変化し、市民の憩いの空間となっており、家族連れや散歩する人々が、レンガ構造物の脇を通り過ぎて行きます。

「三軒家砲台跡」は遺跡のように静けさに包まれている。この砲座は第一砲座である。同じような形状で第一〜第四砲座があった。
「三軒家砲台跡」は遺跡のように静けさに包まれている。この砲座は第一砲座である。同じような形状で第一〜第四砲座があった。
散策道を進むと掩蔽部の鉄扉がひっそりと佇んでいた。
散策道を進むと掩蔽部の鉄扉がひっそりと佇んでいた。
同じく掩蔽部の扉。
同じく掩蔽部の扉。

先を進むと、門柱が一対現れました。門扉はとうに撤去されており、門柱のコンクリートもボロボロです。骨組みに使用していた鉄骨が剥き出しになっていましたが、なんとトロッコレールが使われていました。レールは再利用品なのか定かではありませんが、意外なものが使われているのですね。この門柱を境にして、「三軒家砲台跡」の敷地は終了です。

門柱だけが残る。洋館の入り口のように重厚感がある。
門柱だけが残る。洋館の入り口のように重厚感がある。
門柱の一部が壊れてトロッコレールが顔を出している。
門柱の一部が壊れてトロッコレールが顔を出している。
たしかにトロッコレールだ。
たしかにトロッコレールだ。
右側が三軒家砲台の入り口部分。年季の入った案内板があった。
右側が三軒家砲台の入り口部分。年季の入った案内板があった。

いまは丘陵全体が県立観音崎公園となっていて、誰でも自由に散策できますが、終戦までは丘陵一帯が陸軍の敷地となり、一般人など立ち入れないエリアでした。

そのためか、散策道のあちこちには古い石垣や、何かに使用されたであろうコンクリート躯体が残存し、軍施設であった名残がちらほらと発見できます。

散策道に突如として現れる謎のコンクリート物体。何に使われたのであろうか。
散策道に突如として現れる謎のコンクリート物体。何に使われたのであろうか。
花の広場。ストーンヘンジのようなオブジェがお出迎え。
花の広場。ストーンヘンジのようなオブジェがお出迎え。

道なりに歩いていると、眼前に「花の広場」という平原が広がり、その隣の「うみの子とりで」と呼ぶ遊具のあるエリアでは、親子連れが和気藹々(あいあい)と歓声を上げて楽しんでいます。微笑ましい姿を横目に、ちょっと奥まったところへ歩みを進めると、行き止まりの空間があり、奥の壁面はレンガ積みとなっていました。ここは「腰越堡塁(こしごえほうるい)」という施設の名残です。保塁とは防御設備のある陣地で、日本の場合では、海に面した砲台の背後を守るため、陸側に配備した砲台を保塁と称しました。

腰越堡塁。一見すると単なる広場だ。
腰越堡塁。一見すると単なる広場だ。

レンガ積みの壁面下部はアーチ部分が判別できます。現在は埋まってしまっているけれども、現役時代は半地下の弾薬庫になっていました。アーチ部分は弾薬庫扉の上部ですね。砲座は左側にあったそうですが、アスレチック遊具があり、そこも立入禁止となっていて、その先へ進むことはできませんでした。

近寄ってみると三軒家砲台跡と同じように横墻があった。アーチ部分は弾薬庫入口。弾薬庫は地面に埋められている。
近寄ってみると三軒家砲台跡と同じように横墻があった。アーチ部分は弾薬庫入口。弾薬庫は地面に埋められている。
横墻の左側は弧を描いていた。網目の遊具の先に砲座があったそうだが現在は立入禁止。
横墻の左側は弧を描いていた。網目の遊具の先に砲座があったそうだが現在は立入禁止。

腰越堡塁は子供達の遊び場として、今後も残されていくことでしょう。そういえば「うみの子とりで」の「とりで」は、やっぱり「砦」を指すのでしょうね。保塁跡に出来た遊具施設だから、そんなネーミングにしたのかな。

徐々に夕方となってきました。まだ日が高いので、この先も散策してみましょう。行く手には、日本初の西洋式砲台である観音崎砲台群があります。この続きは後半で……。

写真・文=吉永陽一