ではさっそく散策へ出かけます。きっと美術館の裏手を歩くと、レンガ製やコンクリートの構造物の遺構が眠っているのでしょう。ワクワクしてきます。横須賀美術館を出て、裏手にある丘陵へ細い散策道が続いています。
と、右手に10m程度の長さの古い石垣が現れました。一部は苔むし、なんだろうこれは?と訝しんでいると、前方にレンガの壁面が視界に入りました。どうやら、気が付かぬうちに「三軒家砲台跡」へ分け入っていたようです。
散策道の先を見やると、何やらレンガの構造物が。それは砲台跡のメイン部分である、砲座と弾薬庫の構造物でした。かつて三軒家砲台は二十七センチ加農砲(カノン砲)が4基、十二センチ速射砲が2基配備されており、前方に見えるレンガアーチは二十七センチ加農砲の部分にあたります。
いまとなっては、砲台というのは身近な存在ではなく、構造もいまいちイメージしにくいです。私だって「砲台といえば、ラピュタの要塞シーンに出てくるロボットに壊されるアレでしょ?」と思っちゃうほど(笑)。
砲台の構造をザッと説明すると、円形の空間に弾を打つ砲があって(砲座部分)、大抵は砲座の直下や至近に弾薬庫があり、距離や敵の状況を観測する観測所や司令所が隣接しています。
いま目の前にある砲台跡は、土塁(盛土)の側面部にレンガ造りの壁面があって、下部は地下構造となっており、階段が配置されています。地下部分に弾薬庫があって、土塁の上部側に砲台が配置されていました。
地下部分を覗くと階段はあるものの、弾薬庫だった部屋の入り口部分はコンクリートで蓋をされていて、中がどうなっているか分かりません。階段も立入禁止のロープがあり、降りることはできません。
加農砲のあった砲座部分は、直径10数メートルほどの円形となっていて、何かの青空舞台を連想します。円形の壁面部には伝声管のあったと思しき小穴が穿(うが)たれています。こういう同じ構造が合計4カ所等間隔にあって、一番左側のレンガ壁面だけは地下の弾薬庫がありません。そこには司令部や、砲撃の距離などを調べる観測所があったそうです。
観測所のあった煉瓦壁面には鉄扉が固く口を閉ざした状態で閉まっており、壁面には樹木が数本立派に育っています。もう役目を終えて87年。自然に還りつつある砲台の姿を見ていると、アンコールワットなどの森林地帯にある遺跡のような佇まいを醸し出していますね。アンコールワット行ったことないけど。
「三軒家砲台跡」全体を見ると、いつ整備されたかわかりませんが、立入禁止箇所には柵やロープがしてあって、見学できるのは砲座部分とレンガ壁面部分です。あちこち立入禁止となっているので、その先が気になると思っても立ち入らないように。お気をつけください。
砲台跡が現役のころは大きな加農砲が並び、将兵が忙しなく行き来していたことでしょう。東京湾を守備するという緊張した空気感は87年後のいまガラッと変化し、市民の憩いの空間となっており、家族連れや散歩する人々が、レンガ構造物の脇を通り過ぎて行きます。
先を進むと、門柱が一対現れました。門扉はとうに撤去されており、門柱のコンクリートもボロボロです。骨組みに使用していた鉄骨が剥き出しになっていましたが、なんとトロッコレールが使われていました。レールは再利用品なのか定かではありませんが、意外なものが使われているのですね。この門柱を境にして、「三軒家砲台跡」の敷地は終了です。
いまは丘陵全体が県立観音崎公園となっていて、誰でも自由に散策できますが、終戦までは丘陵一帯が陸軍の敷地となり、一般人など立ち入れないエリアでした。
そのためか、散策道のあちこちには古い石垣や、何かに使用されたであろうコンクリート躯体が残存し、軍施設であった名残がちらほらと発見できます。
道なりに歩いていると、眼前に「花の広場」という平原が広がり、その隣の「うみの子とりで」と呼ぶ遊具のあるエリアでは、親子連れが和気藹々(あいあい)と歓声を上げて楽しんでいます。微笑ましい姿を横目に、ちょっと奥まったところへ歩みを進めると、行き止まりの空間があり、奥の壁面はレンガ積みとなっていました。ここは「腰越堡塁(こしごえほうるい)」という施設の名残です。保塁とは防御設備のある陣地で、日本の場合では、海に面した砲台の背後を守るため、陸側に配備した砲台を保塁と称しました。
レンガ積みの壁面下部はアーチ部分が判別できます。現在は埋まってしまっているけれども、現役時代は半地下の弾薬庫になっていました。アーチ部分は弾薬庫扉の上部ですね。砲座は左側にあったそうですが、アスレチック遊具があり、そこも立入禁止となっていて、その先へ進むことはできませんでした。
腰越堡塁は子供達の遊び場として、今後も残されていくことでしょう。そういえば「うみの子とりで」の「とりで」は、やっぱり「砦」を指すのでしょうね。保塁跡に出来た遊具施設だから、そんなネーミングにしたのかな。
徐々に夕方となってきました。まだ日が高いので、この先も散策してみましょう。行く手には、日本初の西洋式砲台である観音崎砲台群があります。この続きは後半で……。
写真・文=吉永陽一