名建築に住む
銀座からタクシーに飛び乗った。少し優越感をにじませながら「中銀(なかぎん)カプセルタワービルまでお願いします」とおじいちゃん運転手に告げると、「ちゅうぎんね。行くのはいいけど、あそこ今やってないでしょう」と返される。平静を装って「いえ、今日からあそこに住むんですよ」とニッコリ答える。怪訝な顔をされてちょっと不服だが、こんなやりとりもまるでドラマみたいじゃないか。頭の中でララランドのオープニングが流れ、ついた途端タクシーの上で踊り出したいくらい、盛大に浮かれていた。
ビジネスパーソンのために生まれた中銀カプセルタワービル
中銀カプセルタワービルは、1972年に建築家 黒川紀章によって生み出された、世界初のカプセル型ビルだ。A棟、B棟がありそれぞれの中心にエレベーターと柱が通っていて、それをぐるりと囲うように140ものカプセルが取り付いている。このカプセルは取り外して交換できる設計で、叶うことはなかったが、新陳代謝する建物になるはずだった。
1部屋は非常にコンパクトで、10平米ほど。デスクスペースとベッド、ユニットバスがおさまっていて、ベッドの上には電話、テレビ、オープンリールが取り付いている。いわずもがな、当時は時代の超最先端。キッチンや洗濯機を置くスペースはなく、食事は外食、洗濯ものはコンシェルジュに預ける未来的な暮らしを想定し、ビジネスをサポートするカプセルレディなるスタッフも常駐していたという。
最新機器で情報をキャッチし、余暇はカプセルから出てゆっくりと郊外でチルアウト。24時間機能し続ける未来都市と、多様化する人々の生活にフィットする住居として設計されたと聞けば、黒川紀章氏はあの時代にして2020年が見えていたのかもしれないとさえ思う。
テレビもねぇ、シャワーもねぇ!
と、感動的な設備が揃っていたのは50年も前のことで、老朽化やリノベーションを経て、当初の機能の多くは失われている。特筆すべきはお湯が出ないことだろう。ユニットバスはお飾りなので、バスタブには住民の教えにより、持ってきたキャリーケースを投げ入れてある。ちなみにお風呂は別にある共同のシャワーブースを使うか、近所の銭湯にお世話になっている。銀座の街を風呂上がりのすっぴんで歩くのって、最高。
カプセルはこれまでの住民や経年劣化により、それぞれ設備や内装が異なる。私が今回1ヶ月限定でお借りしたカプセルは、デスクやテレビが取り払われ、床はタイル張りになっていた。白い壁も前の住民が塗ったものだそうだ。少しガタがきていたり、人の手が加わったあとが見えるのは、不思議な安心感がある。SFチックなつくりに浮ついた心を優しくなだめてくれるのだ。
部屋に来る前はレコードを持っていこうとか、色々と思案していたのだが、不便なところも含めて、なるべくそのままを楽しむことにした。本を読むこともあるが、今は何もしないでじっとカプセルに対峙するのが心地いい。車の行き交う音がいいBGMで、夜景も良き酒のつまみ。瞑想のように頭を空っぽにしていると、ゆっくり眠くなってくる。
唯一持ってきたのは、お酒と……
ここで住むために持ってきたのは、ポットにもお鍋にもなる調理器とキャリーケースの半分を占めるお酒だった。キッチンがないなら、それすらも楽しみたい。しばらくはこのポットのポテンシャルを信じて、調理の限界にチャレンジしていく予定だ。
お酒は、これから友人を何人か招いて飲むためだ。音楽や映像のないシンプルな宴会を楽しみながら、私なりのカプセル暮らしを作っていきたい。
すでに何度かこのカプセルで眠って夢を見たのだが、今までに見てきたものよりもずっとエキサイティングなものだった。正夢になったら楽しいから、秘密にする。きっと、昔の住人と黒川紀章が見せてくれたのだろう。
後編ではカプセルで作った料理や、御用達の銭湯の良さなどを紹介しながら、実際に暮らした感想をつづっていきたい。乞うご期待。
取材・文・撮影=福井 晶